今では壮大な薔薇園になっており、その面影といえば薔薇樹の中に密かに存在する
薄っすらと錆が浮いた砲台だけかもしれない。
しかし、ここがかつては星型多段要塞
あの大公が仕掛けた悪巧みの中で最も大規模なものの名残なのである。
それまでは三個師団が常時駐留するという地帯であったが、
その駐留と引き換えに常備要塞を築こうという提案があったのは至極まともとすら言える。
…… もっとも、野戦決戦主義の大公は反対したとの伝承であるが …… 。
拠点地域の主要部に要塞を築き、侵攻してきた敵軍を要塞で拘束し、機動力を持った遊軍
(事実上の主力)で弱点を突く。
もしくは、そのような事態を憂慮させることにより他の領地域に
迂回させる *1 。
しかし、要塞としての築城にはまったく手抜きはなく、
また配属部隊としても 200mm 長砲身平射砲実験中隊を始めとして、
駐屯していたという非公式記録がある。
*1:ひぢょうに、大公らしい考え方である。