ニイタカヤマノボレ 1208




『 Pearl Harbor 』という英語名からもわかるように、
真珠湾 」 は、実際は 「 湾 」 ではなく 「 港 」 である。

第一波攻撃

1941.12.07 AM 01:30 JPN

    ハワイ近海に接近した日本海軍機動部隊から、第一波空中攻撃隊として艦戦43機、艦爆51機、艦攻89機、計183機が発進。

同 AM 02:45

    第二波空中攻撃隊として艦戦36機、艦爆81機、艦攻54機、計171機が発進。

AM 07:45

    第一波空中攻撃隊は真珠湾上空に到達し、攻撃隊総指揮官の淵田美津雄海軍中佐が各機に対して「全軍突撃」(ト・ト・ト・・・のト連送)を下命した。

AM 07:35

    7時53分(同3時23分)、淵田は旗艦赤城に対して「トラ・トラ・トラ」を打電した。 これは「ワレ奇襲ニ成功セリ」を意味する符丁である。

AM 07:55

    7時55分(同3時25分)翔鶴飛行隊長の高橋赫一海軍少佐が指揮する急降下爆撃隊がフォード島への爆撃を開始した。

AM 07:58

    7時58分(同3時28分)、アメリカ海軍の航空隊が「真珠湾は攻撃された。これは演習ではない」と警報を発した。戦艦「アリゾナ」では7時55分頃に空襲警報が発令された。8時過ぎ、加賀飛行隊の九七式艦上攻撃機が投下した800キロ爆弾が四番砲塔側面に命中。次いで8時6分、一番砲塔と二番砲塔間の右舷に爆弾が命中した。8時10分、アリゾナの前部火薬庫は大爆発を起こし、艦は1,177名の将兵と共に大破沈没した。戦艦「オクラホマ」にも攻撃が集中した。オクラホマは転覆沈没し将兵415名が死亡または行方不明となった。


第二波攻撃

    ハワイ時間午前8時54分(日本時間4時24分)、第二波空中攻撃隊が「全軍突撃」を下命した。奇襲から立ち直った米軍は各陣地から猛烈な対空射撃を行い、日本軍航空隊を阻止しようとした。第二波攻撃隊は、米軍の防御砲火を突破する強襲を行い、小型艦艇や港湾設備、航空基地、既に座礁していた戦艦「ネバダ」への攻撃を行った。第二波攻撃隊の被害は第一波攻撃隊と比べて大きく、「加賀」攻撃隊(零戦9機、艦爆26機)だけでも零戦2機、艦爆6機を失い、19機が被弾した。

損害

日本海

    空襲部隊:未帰還機29機、損傷74機、戦死55 特別攻撃隊甲標的 未帰還 x 5隻、戦死 x 9、捕虜 x 1

アメリカ海軍
  • 戦艦
    • ネバダ:被雷1、被弾5、至近弾2。擱座。1942年4月22日サルベージ作業終了。1942年12月修理改造終了。
    • オクラホマ:被雷5。転覆、沈没。1943年浮揚、1944年、修理を断念し除籍。1947年サンフランシスコへ移送中沈没。
    • ペンシルベニア:ドック内で被弾1。修理の際にオクラホマアリゾナから取り外した主砲を搭載し、1942年3月艦隊に復帰。
    • アリゾナ:被雷1、被弾8。800kg爆弾の命中による弾薬庫(火薬庫)の爆発で艦体切断・沈没。サルベージ中止。引き上げ可能な装備を引き上げの後、除籍。その後1962年以来記念艦として在籍し現在に至る。
    • テネシー:被弾2(不発弾1)。損害は軽微だったが、修理と同時に大改装を施して艦隊復帰。
    • カリフォルニア:被雷2、被弾1、至近弾1。着底。1942年3月浮揚、1944年5月修理・大改装終了。
    • メリーランド:被弾2。1941年12月21日、応急修理終了。本格修理の後1942年2月艦隊に復帰。
    • エスバージニア:被雷7、被弾2(不発弾)。着底。1942年5月サルベージ作業終了。修理・大改装を実施し1944年7月に艦隊復帰。