世界の半分を怒らせる


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押井守の「世界の半分を怒らせる」。 第6号


                   2012-12-01 12:00:00 



 ■ MAMORU OSHII MAIL MAGAZINE
 ■ 押井守の「世界の半分を怒らせる」。
 ■ 第6号(2012.11.01 *1




【CONTENTS】目次
 1. NEWS
 2. 時事砲弾/第6回「えゔぁ」
 3. 何度言ってもわからない/監督かく語りき
   号外編(2)「いま語れる『The Last Druid: Garm Wars』」
 4. 再録:ニコニコ生放送押井守×鈴木敏夫×川上量生 ( 第4回 )  .
 5. 監督外部記憶装置【押井守の映画ベスト10】
 6. 熱海おたより通信
 7. I.Gマキノの「ガルム戦記」(2)
 8. 募集

 『ヱヴァQ』と言われて「オバQ」の間違いじゃないかと思いました。
 いきなりどうでもいい話ですが、なんでもかんでも短縮するのはやめて欲しいものです。


 前号で「公開中の作品については何も言わないのが仁義」てなことを書きましたが、もはや恒例行事と化した観の『エヴァ』ではあるし、相変わらず盛況のようではあるし、私ごときが何を言おうが書こうが1ミリの影響もあるでなし。編集部に請われるままに書くことにしました。
 あらかじめ言っておきますが、僕は『エヴァ』に関しては、シリーズを何本かと、最初の映画版(「春エヴァ」?)以外は全く見ていません。見ていませんが、おそらくは『エヴァ』という作品について、もっとも適切に語り得る人間のひとりであろうと自負しております。


 ひと言で言って、『エヴァ』という作品は、まるで明治期の自然主義文学の如き私小説的内実を、メタフィクションから脱構築まで、なんでもありの形式で成立させた奇怪な複合物であります。
 キャラクターの周辺に関してはパンツ降ろしっぱなしで、監督である庵野の現実のまんま。島崎藤村田山花袋もかくやのダダ漏れ状態です。一方で表現や文体はと見れば、異化効果どころかラフ原レイアウトもあり、セルまでひっくり返す徹底ぶりで、正直言って劇場でみたときは仰天しました。
 ワタシでもここまではヤらなかった。


 「庵野はけっしてバカではない」どころか、その表現に関する自己批評のありようから察するに、アニメという表現形式への自意識の持ちようは、これは見事なものだと感心した記憶があります。その一方で、物語に関してはまるで無頓着。まさにステロタイプのオンパレードで、いつかどこかで見たもののコピーの連発。キャラクターが口にする台詞のあれもこれも、決め処は全て私生活におけるあれこれの垂れ流し。


 かくも奇怪な作品がなぜ成立するかといえば――要するに表現すべき内実、庵野という人間に固有のモチーフが存在しないからであって、それ以上でもそれ以下でありません。
 「テーマがないことがバレちゃった」という宮さん(編集者注:宮崎駿監督)の物言いは、その限りおいて全面的に正しいことになります。テーマも固有のモチーフも何もないけど、映画も映像表現も大好



*1: BLOG管理人 注 : 「 2012.12.01 」 の間違いか?。