「 入社10年は泥のように働け 」 などという発言はない!

国内のIT戦略を支援する情報処理推進機構IPA)の西垣浩司理事長は2008年5月28日に行われたIT業界イベントのなかで、伊藤忠商事丹羽宇一郎取締役会長の「入社して最初の10年は泥のように働いてもらい、次の10年は徹底的に勉強してもらう」

、「泥のように眠る」とは中国の言い伝えから来た言葉だそうです。中国では「泥(デイ)」という想像上の生物が海の中に住んでいると言われており、その生物は海の中では元気なのですが、海から外に出ると途端にダラ〜〜〜となって動かなくなってしまうことから、疲れ果てて眠り込んでしまう様子を「泥のように眠る」と表現するようになったとのこと。またグテングテンに酔ってしまった様子を表す「泥酔」という言葉も、同じところから来ているそうです。


伊藤忠商事 丹羽宇一郎―本物のリーダーへの道

変革トップ「先が見えない時代、いかに自分を耕すか」
勝見 明=構成 市来朋久=撮影
[PRESIDENT Online]







世界一になるつもりで徹底して勉強する

 一昨年逝去された作家城山三郎さんが、商社マンの日常を描いた『毎日が日曜日』という小説がある。ビジネスマンにとって幸福な人生とは何かを追求したこの作品に、主人公が社訓を語る場面が登場する。「ワタシハ、アリニナレル。ワタシハ、トンボニナレル。シカモ、ワタシハ、人間デアル」。

 アリのように黙々と勤勉に働けるか。トンボのように複眼でものを見ることができるか。何より血の通った温かい人間の心を持つことができるか。

丹羽宇一郎
伊藤忠商事会長
1939年、愛知県生まれ。62年名古屋大学法学部卒業後、伊藤忠商事入社。98年社長、2004年より現職。「自立の精神と負けない心を持ってほしい。そういう気持ちで日々努力する人は、情報が流れてもパッと掴める。時間の緊張感が大切だ」

 これが実話に基づいていることを私は城山さんと対談をさせていただいたときに知った。伊藤忠商事の役員が新卒の採用試験でこの質問をしていたのだ。アリ、トンボ、人間。この3つのステップには優れたリーダーへと成長していくプロセスが見事に示されている。私にとっては大先輩がそれを看破していたことに意を強くしたものだった。

 もちろん、すぐに優れたリーダーになれるわけではない。入社して30代前半までの最初の10年間はアリのように泥まみれになって働く。若い時期に人生を切り開くために必要な仕事の基本を体に覚えさせる。力を出し切るまで働くという意味を込めて、私は“泥のように働け”という。

 次の40代前半までの10年間は、自分が関わっている仕事について日本一、いや、世界一になるつもりで徹底して勉強することだ。学者と議論しても負けないほど勉強を重ねる。自動車業界に身を置いていれば、「自動車」と名のつく本はすべて買うぐらいの覚悟が必要だ。並大抵の努力ではない。

 アリのように働き、経験を積めば、仕事に関するさまざまな知識を覚えることができる。ただその多くは言葉で表現できない「暗黙知」で、そのままでは概念化できない。そこで勉強を通した「形式知」を得ることで経験と理論が結びつき、トンボのような複眼的な思考を身につけることができるのだ。

 私の場合、9年間に及ぶアメリカ勤務と帰国後の数年間がこの時期にあたる。食料畑を歩んだ私は「アメリカの農業については誰にも負けない」といえるだけの力をつけようと、「アメリカ」と名のつく本は農業関係を中心に片端から買い集め、読破した。

 駐在中も頼まれて商品市場の記事を日本の新聞に書き、帰国後は一課長の立場で業界誌に「アメリカ農業小史」などの論文を執筆し、学者相手のディスカッションもこなした。アメリカ農務省の最新データと現地での経験を持つ私のほうがはるかに詳しかった。いつしか、「伊藤忠に丹羽という男がいる」と認められるようになっていった。

 より重要なのは40代前半からの次の10年間だろう。中枢を担うためのマネジメント力が問われるからだ。経営の神髄は人的資産をいかに運用管理するかにある。とすれば、人間とはいかなる存在か、その本質を知ることにこそマネジメントの原点はある。それはどうすれば知ることができるのか。

努力する人間を社会は放っておかない

 一つは経験だ。自ら苦しい経験を重ねる中で見えてくるものがある。困難な課題に直面したとき、打開するのは「自分は間違っていない」という能力の過信でもなければ、「自分は間違っていた」という全否定でもない。信念は持ちつつも、困難な状況に応じて自らの思考を開いていく謙虚さだ。また、人は苦しい状況になるほど人の痛みがわかるようになる。他者への共感はともに困難に立ち向かう場を生み出す。

 やがて、これまでにない知恵と力が生まれ、状況が変わり、不可能が可能になる。このとき、人は理屈では説明できない何か不思議なものを感じる。それは「サムシング・グレート(偉大なる何ものか)」と呼ぶべきものだ。

 分子生物学の世界的権威で、高血圧の原因の一つ、レニン酵素の遺伝子解読に初めて成功した村上和雄筑波大学名誉教授は、合理的には説明できない遺伝子同士の見事な調整に驚き、それを可能にするものをサムシング・グレートと呼んだ。それが人間の世界にも存在することへの気づきは、個人的な苦難の経験に加え、もう一つ、先人たちの数多くの経験を知ることによって初めて得られる。そのために必要なのが勉強であり、なかでも多くのものが得られるのが読書だ。私は多忙を極めた社長時代も年間60冊を読破した。

 本を読むとは時空間を超えて、自分では経験できない経験をすることだ。すると、自身が経験した漠とした不思議さが先人たちの経験と結びつき、普遍化される。私の場合、2500年前の『論語』と出会い、経営の根幹にすべき倫理を学んだ。人間には本来、私利私欲や自己保身に走る「動物の血」が流れている。今回の金融危機はその歯止めが利かずに生じた資本主義の暴走以外の何ものでもない。その過程では自分たちの能力を過信した数々の強欲や傲慢が跋扈したことだろう。

 一方、『論語』が説く「仁・義・礼・智・信」の五常や「温・良・恭・倹・譲・寛・信・敏・恵」の九つの徳目を心がければ、自らの驕りを抑え、謙虚であり続けることができる。この自律自省の精神を実践していくと長期的には必ず成果に結びつく。それは人間の能力を超えたサムシング・グレートの存在を知ることで初めて到達できる世界にほかならない。このとき、温かい血の通った経営ができるようになる。

 何を読むべきか。人それぞれで「これを読みたい」と思う本を読むのが一番だ。例えば、私がよく推薦書に挙げる『木のいのち木のこころ』(新潮文庫)は今は亡き法隆寺の宮大工西岡常一さんと弟子の言葉を聞き書きしたものだ。木の癖を読みとって活かす使い方を語りながら人の育て方も示す。

 1冊の本を読んで心に刻む言葉が1つ、2つあれば十分だ。それが頭と心の両方に栄養を与える。ただ、同じ本に接しても自立と成長を志向する意識がない限り、情報は流れていくだけだ。そこでアリからトンボになれるかが分かれる。むろん誰もができるわけではなく、おそらく上位20%ほどの層がトンボへ、人間へと成長し、リーダーとして組織を率いていくのだろう。

 今、あなたはどこに位置しているか。誰もが持つ「動物の血」は隣同士の矮小な競争へと駆り立てようとする。しかし、本当に大切なのは、いつか訪れる死の瞬間に、自分は人の役に立つ仕事ができたと思い返せる偽りのない生き方だ。もし、どこかに強欲さがあれば、謙虚な気持ちで原点に戻り、勉強を重ねることだ。努力する人間を社会は決して放っておかない。どこかで誰かが見ていて光を当てようとする。それがサムシング・グレートであり、その存在を信じられる限り、あなたの努力は必ず実を結ぶに間違いない。

PRESIDENT 2009.4.13号 掲載