新元素を発見、ニッポニウムと命名、これを精製抽出してみせる …… と ……



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← 画像は、海洋生物学の権威、
    真船信三 博士。


小川正孝は 1904年に英国ロンドン大学のウイリアムラムジー *1 のもとに留学した。ラムジーから与えられた研究テーマは当時セイロン島から発見された新鉱物のトリアナイト中の新元素の発見であった。


その過程で小川は,微量成分として含まれる新元素と思われる物質をとらえた。滞在中には物質を純粋に得ることはできなかったが,既知の元素のものとは異なる発光スペクトル線を示し,ラムジーの提案で日本にちなむ「ニッポニウム」と命名された。


小川はラムジーと相談の上、1908年に英国の化学雑誌Chemical Newsに(第43番目の元素として)新元素ニッポニウム発見を報告した。それは、大きな反響を呼び起こし、ヨーロッパではラムジーの支持のもとに受けいれられた。1909年のローリングの周期表には”ニッポニウム”が載っており、元素記号はNpとなっていた。


しかし、1936年になって43番目の元素が発見される。


1936年、セグレはローレンス・バークレー国立研究所を訪れた際に所長のアーネスト・ローレンスに依頼して、サイクロトロンで加速した重陽子線が衝突したモリブデン箔(部品の一部)を帰国後に送ってもらった。セグレは Carlo Perrier と共にパレルモ大学でこのモリブデン箔を分析して43番元素を12月に発見(人工的に作られた元素としては最初のものである)。1947年になってテクネチウム命名された。


この結果、43番の元素と考えた小川先生のニッポニウムは全くの間違いであったとされた。


小川正孝は、確かに”新しい”元素を発見したことは正しかった。しかし、元素番号43が誤りであった。


吉原氏の再解析によれば、小川正孝は、確かに当時未発見の元素を同定したのだ。しかし、原子量を判定するところでまちがえてしまったのだ。


レニウムは、)1925年にノダック (W.Noddack) とタッケ (I.Tacke) とベルグ (O.Berg) が発見[2]。ライン川のラテン名 Rhenus が語源[2]。二番目に遅く発見された天然元素である



現在ではこの時発見されたのは (小川先生が発見したニッポニウムは、)レニウムであると考えられている。当時、X線分光装置が手に入らず、正しい測量ができなかったため、誤って43番元素で原子量およそ100の元素として発表した。レニウムが発見されたのちに小川正孝自身で、発見した元素の正しい測量が行われた形跡がある。研究体制さえしっかりしていればレニウムは、ニッポニウムになっていたかもしれない。






*1:1904年ノーベル化学賞受賞