プロジェクト・ブルー 〜〜 秘匿計画名 『 青 』


『 「 結晶 」 、「 物性 」 、「 デバイス 」 は 不可分 』  …… などと、簡単に言ってくれるが、
実際には、それ以外にも、成長炉の改造や、走査型電子顕微鏡の走査、銀塩カメラによる撮影、現像、焼付、
PCに取り込んでの画像処理 ……


今の σ(^_^) は、その数々の  に成り立っていると言ってもいい。


コバルトブルーに魅せられて -前人未到のGaN p-n接合への挑戦 *1   名城大学 / 名古屋大学 赤崎 勇


真空管からトランジスタの時代へ


 現在は青色発光ダイオードやレーザーを研究していますが,スタートは真空管からでした。大学を卒業して神戸工業という会社に入りました。
 神戸工業という会社は,富士通に合併されて現在はありませんが,以前は川西機械製作所といいまして,真空管や飛行機などを作っていたそうです。この神戸工業には優れた人材が沢山いたことでも良く知られています。
 当時は,半導体が全盛期を迎える前で,真空管が主流の時代でした。真空管といいましても,いろいろな種類がありますが,私は明石工場でやっていた放送用の大型発信管を担当していました。そうこうするうちに,RCAというアメリカの名門メーカーが,現在の方式のカラーテレビを開発したのです。1952?53年頃,日本の電気メーカーもこれの国産化にやっきになっていました。私はそのブラウン管の蛍光面の開発を担当することになりました。  蛍光体は,Zn(Cd)S系の“多結晶粉末”で,フェースプレートへの塗布工程の再現性が悪く,また発光色の不均一性も厄介な問題でした。しかし,電子線励起発光(カソードルミネッセンス:CL)は電界発光(エレクトロルミネッセンス:EL)現象とともに,私の興味をそそりました。
 そのころ,神戸の本社技術部では,トランジスタの開発が本格化し,Geの単結晶作りや研究が進められていました。“粉末”(蛍光体)の再現性の悪さに悩まされていた私には,この“単結晶”は大変魅力的でした。ですから,神戸でトランジスタをやっていた人が羨ましかったのを憶えています。しかし,Geは光らないので,夢物語ではありますが,光る半導体であるジンクサルファイド(ZnS)の単結晶を作れないものか・・・と考えたこともありました。ZnSの単結晶薄膜で蛍光面が出来ると素晴らしいものになると思いました。
 このZnSというのは10年程度前に青色レーザーの候補として騒がれたジンクセレナイド(ZnSe)の兄弟分です。今考えると,この頃から青色発光ダイオードやレーザーなど,“光りもの”に縁があったのかもしれません。




気相エピタキシャル成長技術の開発


 50年代の後半というのは,次世代技術が大きく展開しようとしていた時代でした。原子力産業もその1つで,シンチレーターと呼ばれるβ線γ線を捉えるデバイスといったものの開発も行いました。よほど縁があるのか,これも“光りもの”です。
 そのような時に,私の上司が名古屋大学に新設された電子工学科の教授に決まり,私も一緒に行くことになったのです。名古屋大学では,Geを使ったトランジスタの研究をやりました。その頃は,Geの単結晶を入手すること自体が大変な時代でしたから,研究用に望みの特性をもったGe単結晶を得るには自分で作ることから始めなければなりませんでした。
 単結晶ができると,次はp-n接合を作らなければなりません。その頃の一般的なp-n接合の作り方は“拡散法”と呼ばれる方式でした。例えば,p型Ge単結晶にn型の不純物をしみ込ませるのですが,私はこの方法に少し疑問を感じていました。というのは,本来ならn型の部分(層)にはp型不純物はないほうがいいのですが,この方法ではもともとp型結晶を使うので,それは不可能なのです。
 しかも,半導体は,バルク結晶という大きな単結晶から切り出して使うのですが,実際に素子動作に必要な厚さは,ミクロンオーダーなのです。ですから,全く無駄なことをしているわけです。
 そこで考えたのが,“エピタキシャル成長”と呼ばれる方法です。エピタキシーというのは結晶を基板上に軸をそろえて堆積させる方法です。“気相エピタキシャル成長”は,原料をガスの状態で加熱された基板上に流し,原子を積み上げていく方法です。
 しかし,非常に残念なのは偶然にも同じ研究をIBMでやっており,彼らの発表の方が少し早かったことです。 <次ページへ続く>



III-V族半導体の研究とLEDの開発


 このエピタキシーという結晶成長法は非常におもしろく,学会や研究会で何回か発表しました。それをたまたま,当時,新設の松下電器産業東京研究所長になられた小池勇二郎東北大学名誉教授が聞かれて,東京研究所にこないかとスカウトされたのです。名古屋大学は反対しましたが,結局,東京研究所の基礎第4研究室長として移ることになりました。当時の松下電器東京研究所というのは非常にユニークで,所長のほかは研究室長が10人いるだけなのです。そして室長は,大学の教授会のように年齢に関係なく,若い者も年配の人も立場は同等で,自由な雰囲気がありました。できたばかりの研究所でしたから,研究室員もすべて自分で集めてくるのです。
 私は,この研究所に移ったら,それまであたためていたことをやろうと心に決めていました。ちょうど,ヒ化ガリウム(GaAs)の半導体レーザーが出て間もないころで,“光る結晶”であるIII-V族化合物半導体の研究を始めたのです。
 私は半導体の研究では“結晶”,“物性”,“デバイス”の3つのことがらは分けては考えられないとつねづね思っていました。したがって,研究するなら結晶成長から物性研究,デバイスまで一貫してやらなければその半導体の真の姿はとらえることは絶対にできないと思っていました。この信念は,現在も変わってはいません。
 最初は,GaAs単結晶をいろいろな成長法でつくり,その物性を調べることから始めました。その結果,非常におもしろい研究成果がでて,モスクワでの半導体物理学国際会議に発表したりレベデフ研究所に招待されたりしました。そのレベデフ研では,低温で発振するGaAsレーザーを見せてもらったのを憶えています。
 GaAsの結晶成長や物性研究と並行して,赤色LEDや緑色LEDの開発を行いました。赤色LEDではGaAsにアルミニウム(Al)やリン(P)を混ぜて作るのですが,緑色にはリン化ガリウム(GaP)を使います。このGaPのバルク単結晶の作製は難しく,高圧下で引き上げる必要があります。当時,高圧引き上げ炉はなく,イギリスで開発された1号機を買いにいきました。そして,日本で初めてGaP単結晶の高圧引き上げをやり,緑色(黄緑色)LEDを作ったのです。しかし,高輝度の青色LEDだけは良質のGaN結晶がどうしても作れないため,実現出来ませんでした。
 一方で,半導体レーザーの方はどうだったかというと,GaAsの赤外半導体レーザーの発振の発表が1962年で,その室温連続発振に林さんの研究グループが成功したのが1970年です。といっても,すごく短寿命で使いものにはならなかったようです。1970年代でしたが,当時はそのような状況でしたから,半導体レーザーでは色(波長)をとやかくいうような段階ではなく,信頼性の向上や長寿命化が最大の課題でした。発光ダイオードの方は,もうすでに赤外はもとより可視光の赤色から黄緑色までは一応実現されていたような状況で,ただ(p-n接合による)青色のみが”未踏”の分野として残されていたのです。その頃の”光りもの”半導体屋にとっては,”高効率青色発光デバイスの実現”と”半導体レーザーの長寿命化”という2つの困難かつ重要なテーマに巡り合えたわけで,これは考えようによっては非常に幸運だったといえるわけです。 <次ページへ続く>



GaNを用いた青色LED,レーザーの研究へ


 実は,私は,GaAsの研究をはじめて間もなく, 窒化ガリウム(GaN)の兄弟分の窒化アルミニウム(AIN)の結晶を1966年から作っていました。1967年には論文もだしています。この時の論文はAINの光学特性についてのもので,主に赤外域の特性について書いています。このAINはいろいろな波長で発光しますがバンドギャップが大きすぎて殆んど電流が流れません。つまりELができないのです。そんなときに(1969年),マルスカという人が,GaNの結晶を作ったのです。このときの結晶は,品質は良くなかったのですが,GaNはバンドギャップが3.4eVあり,青色LEDを実現できる可能性があることが分かったのです。その後,非常に暗かったのですが,RCAのグループがMIS型の青緑色LEDを作り,GaN研究は一気に立上りましたが,やがて殆どの研究者は撤退してしまいました。その理由は,1つには良質な結晶の作製が極めて困難であることと,さらにp型結晶が出来なかったからです。一時,p型伝導は理論的にも無理だろうと言われたこともありました。そのようなこともあり,その後の10年間に研究者の数が世界中で数えるほどに減少し,GaN研究は下火になってしまいました。  ところで,青色発光デバイスを実現するための候補材料は3つ考えられます。
 シリコンカーバイド(SiC),ZnSe,GaNです。青色発光デバイスの実現をめざす研究者のほぼ半分はSiCを研究していました。というのは上記3者のうち唯一p-n接合ができるからなのですが,このSiCはバンド構造が間接遷移型で,どう転んでもレーザーにならないのです。これでは本質的にレーザーは作れません。私はレーザーができないものには興味がなく,最初からSiCを研究する気はありませんでした。
 ZnSeとGaNはいずれも直接遷移型ですが,2つを比べた場合,GaNを使って青色を実現するのはより難しいのです。なぜかというと,融点も蒸気圧も高く結晶を作るのがより難しく,また硬いので加工も難しいからなのです。それだけでなく,バンドギャップもZnSeより大きいので,ZnSeよりもさらにp型になりにくいのです。このようなことから,残りの直接遷移型を研究するグループの9割以上はZnSe派で,私を含めたごく僅かの人がGaNへの挑戦を続けていました。
 その中で,海外では唯一フィリップス社だけがGaNを続けていました。しかし,フィリップスのグループも,70年代後半になるとGaNの研究をやめてしまったのです。そのときの心境は,まさに「我一人荒れ野を行く」といった感じでした。しかし,私は結晶さえ良くすれば,必ず道は開けると信じ,GaNの結晶成長の研究を続けました。そのような時に名古屋大学に帰る話しが持ち上がったのです。松下電器東京研究所には部下の人もいましたから,すぐには行けませんでしたが,あらかじめ,名古屋大学の私の研究室に入る(予定)の学生さんにGaNの勉強をしてもらいました。その時の学生が,あとで言うのです。
 GaNの論文を読まされた時は何のことか分からずびっくりしました。ほかの先生に聞いたら,「出来るかどうか分からないよ・・・・・・」だったというのです(笑)。


原点に戻り結晶作りから
 私はGaN研究をすすめることにはまず良質の結晶を作ることだと思っていましたから,名古屋大学に帰ってからは,原点に戻って”結晶成長”の研究からはじめようと決めていました。つまり,GaN結晶の作り方から見直そうということです。そのころのGaN結晶は,最初のものに比べればほんの少しは良くはなっていましたが,やはり品質は相当悪いものでした。
 私は長い間結晶成長をやってきましたので,結晶の作り方1つで性質(品質)が劇的に変わると考えていました。そこでいろいろ考えた結果,MOCVD(有機金属化学気相成長法:Metalorganic Chemical Vapor Deposition)と呼ばれる方法を使おうと決めたのです。1978年のことです。この方法でそれ以前にGaNの良い結晶を作ったという例はまだありませんでした。成長法としてMOCVDを使うと決めると次の課題は,結晶成長させるための基板に何を使うかということでした。実は,サファイアとGaNは不整合は極めて大きいのですが,MOCVDではアンモニアを使い約1000℃で成長させますからその条件下での耐性を優先しました。
 これで,MOCVD法とサファイア基板というところまで決まったのですが,実は肝心のGaN用のMOCVDの装置はなかったのです(笑)。ですから自分たちで設計し,学生さんに作ってもらうところから始めました。なんとか装置も無事完成し,いざ結晶をつくるという段階になって,大きな壁にぶつかったのです。これははじめから分かっていたことなのですが,GaNとサファイア基板の不整合があまりにも大きいということです。
 いろいろ条件を変えて作っても,結晶の表面は相変わらず“かたがた”でした。そのままではどうしようもなくて,何とかしてこの不整合を緩和する方法がないだろうかと考えているときに,ふと浮かんだのが“低温バッファー”というアイディアです。
 低温バッファー法というのは,GaNとサファイア基板の間に緩衡層を挿入するという考え方で,GaNを成長させる前に低い温度で一旦,緩衡層となる柔らかい材料を積んでおくのです。柔らかいものといっても液体というわけにはいきませんので,“低温”で(微結晶を含む)アモルファス状の薄層にしました。バッファー層用材料として,その時考えたのは,GaNやサファイアになるべく性質が似通っている材料がよいということで,候補としてZnO,AIN,GaNとSiCを考え,メモしました。その中でAINは66年からやっていましたので,まずAINからはじめたのです。
 このアイディアは,見事に的中しました。もちろん,最適条件を見出すまでには,学生さん達の大変な努力,協力がありました。このAINの低温バッファー層がサファイア基板とGaNの不整合によるさまざまな不都合を解消し,その上に成長させたGaNは無色透明,クラックやピットのまったくないもので,品質は飛躍的に向上したのです。この技術は,日米で特許を取得しています。(写真1)
(a)は顕微鏡的にも構造(欠陥)は何も見えない。(b)は成長時間がそれほど長くない時は,それ以外の部分には何も成長せず,基板表面が現れている。

写真1
(a)は顕微鏡的にも構造(欠陥)は何も見えない。(b)は成長時間がそれほど長くない時は,それ以外の部分には何も成長せず,基板表面が現れている。
 現在GaNの単結晶作製にはこの低温バッファー層技術が不可欠となっており,これにより,それまで表面の凸凹が激しくスラックやピットだらけの劣悪な品質の結晶というのが常識だったGaN結晶が, 全く無色透明になったのです(写全2)。
写真2低温堆積緩層の効果は絶大で,写真のようにきれいに(無色透明で,下に敷いた方眼紙に印刷された文字がはっきりと読める)なっただけでなく,結晶性(X線,電顕等)のみならず,電気的,光学特性もこれ(b)を用いて,飛躍的に向上した。

写真2
低温堆積緩層の効果は絶大で,写真のようにきれいに(無色透明で,下に敷いた方眼紙に印刷された文字がはっきりと読める)なっただけでなく,結晶性(X線,電顕等)のみならず,電気的,光学特性もこれ(b)を用いて,飛躍的に向上した。
このことを夢見て研究をしてきましたが,実際に実現した時には興奮しました。このGaN結晶は外見がきれいに見えるだけでなく,電気的性質や光学的な性質も格段に優れていることが分かりました。これで,GaN研究の最大の山場を突破したのです。











*1: OplusE 2002年6月号掲載の記事