帝都散策 Vol. 0161 永代橋

 

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大正期までに
  隅田川には
    5つの鉄橋が架橋されていた。

が、その多くが橋底の基部や橋板に木材を使用していた。

このため、大正12年関東大震災では
  永代橋厩橋吾妻橋が炎上し、
巻き込まれた避難民は多数が焼死、あるいは溺死した。

両国橋、新大橋も木材を使用した構造だったが、
  焼失を免れて避難路として機能した。


1926年(大正15年)に震災復興事業により
  隅田川の9橋の再架橋が決まり]、現在の橋梁が再架橋された。
   「震災復興事業の華」と謳われた清洲橋に対して、
    「帝都東京の門」と言われたこの橋はドイツの ライ

帝都復興院で橋梁を担当した田中豊、太田圓三らが技術とデザインの両立に腐心した成果である。

ライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋(レマゲン鉄橋)をモデルにし、現存最古のタイドアーチ橋かつ日本で最初に径間長100 mを超えた橋でもある[3]。帝都復興院で橋梁を担当した田中豊、太田圓三らが技術とデザインの両立に腐心した成果であり[3]、東京大学工学部1号館に架橋当時の永代橋のレプリカモデルが存在する。