ああ、ついに、 キッチン南海 までが、閉店 …… (T^T)

 

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「 建物の老朽化に伴い
  店舗契約期間終了のため
  6 月 26 日( 金)をもちまして
  閉店することになりました。

  創業昭和41年 長年にわたり
  ご愛顧いただき
  誠に有り難うございました。


  なお、7月中に神保町花月の向かいにて
  のれん分け独立店 キッチン南海を開店予定です。

  宜しくお願い致します 」

黒いカレー で 60年 「 神保町 キッチン南海 」 が 閉店 90才社長が語る “ 我が人生 ”

黒いカレー で 60年 「 神保町 キッチン南海 」 が 閉店


 古書 と 学生 と カレー の 街 ・ 神田神保町(東京千代田区)で、
半世紀以上にわたり、
“ 真っ黒 ” な カレー を 提供してきた 「 キッチン南海 」 。

昼時は学生やサラリーマンが行列をなす光景は今も変わらないが、
6月26日をもって閉店することになった。

理由は、店が入るビルが築90年で老朽化したためだ。
建物と同い年の創業者・南山茂社長(90)が、思いの丈を語る。

 出版社の多い街でもあるから、「 神保町 キッチン南海 」 のファンには、
作家や編集者も少なくない。
文芸評論家の福田和也氏は 「 神保町 の 顔 」 「 これは 文化財 である 」 と絶賛しているほどである。

 昭和4(1929)年生まれの南山社長は、いまもバイクで店に通っている。

「 カレー の 南海 」 時代

南山 : バイクには昔から乗ってるからね。いまは原付だけどね。
     店ではレジもやるし、コップくらいは洗わないとね。

     閉店を決めたら、お客さんが却って増えちゃったし、
     若いもんが忙しいから……。

◇◇ : カレー(550円)以外にも、カツカレー(750円)、
     ひらめフライ・しょうが焼きセット(850円)、
     エビフライ・しょうが焼きセット(850円)も人気メニューだ。

     無駄口をきかず、キビキビと動く厨房の料理人たちは、
     見ているだけでも気持ちがいい。客のほうも心得たもので、
     厨房に合わせるかのように、
     さっさと食べて帰って行くから回転はいい …… 、はずなのだが、
     店の前には、昼の部が終わる15時を過ぎているというのに、
     閉店を惜しむお客たちの行列ができていた。


南山 : ありがたいですよ。
     だけど、ご近所のお店の前にまで列ができちゃっているでしょう。
     迷惑かけてると思うと、申し訳なくてね。

◇◇ : 創業はちょうど60年前の1960年。
     当初、店は飯田橋にあったが、
     6年後に神保町に移った。
     店名は 「 カレー の 南海 」 だった。


南山 : 神保町は明治大や日大など学生が多いでしょ。
     あの頃の学生は、麻雀をよくやっていた。
     授業の前に雀荘の席を取りに行くなんて学生もいたからね。
     そこへ出前すれば、当たると思った。
     実は、僕は麻雀は知らないんだけど、
     “ 打ち ” ながら食べやすいものならカレーだろうと。
     その予想は当たって、出前専門店も含め、神保町に5店まで増えた。

◇◇ : たしかに麻雀を打ちながら、
     スプーン1本で食べられるカレーはいい。
     とはいえ、カレーでなくたって良かったような気も……。

南山 : カレーが好きで好きで……。だけど、
     うちのおふくろが作ってたような小麦粉臭いのは嫌いだった。
     親戚のレストランの厨房を借りて、
     小麦粉をよーく炒めれば粉臭さもなくなるだろうと、
     炒めていたら黒くなっちゃった。
     それがカレーを作った最初だったかな。

◇◇ : 「キッチン南海」の南海は、
     プロ野球南海ホークスに由来する、というのは
     知る人ぞ知る話だ。社長は関西出身なのだろうか? 

南山 : 父親は長野の松本出身の大工でね、
     それが東京に引っ越してきてから、僕が生まれた。
     だから東京生まれの東京育ち。
     でもアンチ・ジャイアンツだった。
     だからといってホークスファンというわけでもない。
     僕はホークスの鶴岡一人監督が好きだったの。
     戦後の水原(茂)、三原(脩)と並ぶ三大監督の一人だよ。
     彼はいろんな選手を育てたんだけど、人の使い方が巧かった。
     選手を褒めるときにも、直接褒めずに、人を介して褒めたという。
     もちろん知り合いじゃないけどね、
     そういうところを学びたいと思って店名にしたんだ。

◇◇ : キッチン南海は、現在は神保町以外にも
     池袋、早稲田、下北沢、梅ヶ丘、上井草などなど都内各地、
     長野県松本市にも店舗がある。
     いずれもホークスカラーの緑色の看板が目印だが、
     チェーンではない。

南山 : のれん分けっていうの? 
     うちで最低10年修行して、お金を貯めて、
     「キッチン南海」として独立したいと言ってきたら、
     そうさせてるだけ。
     これまで20人くらい独立したかな。

     そこからさらに独立した人もいるから、何軒あるのか……。

     特に契約書を交わしたこともないけど、
     カレーが1500円なんてのは、
     うちの看板では出すなというのが条件だね。

◇◇ : どこの「キッチン南海」もリーズナブルだが、
     真っ黒カレーでない店もあれば、手打ちうどんを出す店もあるのは、
     厳しい条件がないためのようだ。
     ところで、社長自身はどんな修行をしてきたのだろうか。

南山 : 僕がね、 「 キッチン南海 」 という店を出したのが30歳の時。
     それまではね、いろいろやったんだよ。
     16歳で終戦だから、幸いにも戦争には行ってない。
     ただ、中学1年の時はちゃんと授業があったけど、
     2年、3年は軍需工場へ出されていたからろくに勉強はできなかった。
     それで戦後になって、東京物理学校(現・東京理科大学)に入学した。
     当時は卒業は難しいけど、誰でも入れるという学校だったからね。
     でも、中学でろくに勉強していないやつが
     授業について行けるわけもなくて中退。

     それからは傘屋、靴屋洋品店……いろんな職業をしたよ。

     給料が5000円なのに、
     33万円もした中古のバイク・陸王を買って、
     乗り回してた。

     その借金が払えなくなって大阪へ逃げて、
     2年ほど配送業をしたこともあったな。

◇◇ : 結構、ヤンチャだった? 

南山 : ハハハ。
     父親から金の問題は解決したから帰ってこいと連絡があって、
     それで東京に戻った。

     その頃に、カレーを自分で作ってみたんだよ。

あと5年は働く

南山 : 料理の勉強はしていないんだよ。
     だからカレーだって、自分が信じて作っていたら黒くなっただけ。
     でも最初のうちは、
     「 こんな真っ黒なのはカレーじゃない! 」 と怒って帰っちゃう人もいたなあ。
     それが、学生の頃に通っていましたと言って来てくれるようになった。

◇◇ : カレー激戦区として知られる神保町で、
     60年生き抜いた店がなくなることについては? 

南山 : サラリーマンだって働けるのは、せいぜい40年でしょ。
     それが60年も続けることができたんですから、
     残念なんて言ったら贅沢ですよ。
     いい潮時です。

     でも、あの建物が僕と同い年だとは思わなかったなあ……。

◇◇ : 「キッチン南海」を運営する株式会社南海はどうなるのか。

南山 : 唯一の店舗が神保町店だったわけだから、会社もなくなるんだろうね。

◇◇ : 「キッチン南海」の味は、現在の料理長・中條知章 氏(52)が今後、独立。
     同じ神保町に店を構えることで受け継がれるという。

南山 : 妻方の甥っ子に当たるんだけど、
     彼はうちで10年どころか30年も働いてくれた。

     これが 最後 の のれん分け だね。頑張ってくれるといい。

◇◇ : 社長は今後、どうするのか? 

南山 : 体は元気ですよ。
     若い頃から風邪一つ引いたことがないからね。
     熱があるという状態が分からないくらい。
     健康法を教えましょうという医者もいたけど、
     彼らのほうが先に死んじゃうからねえ。
     まあ、あと5年は働きたい。何をやるかは話せないけど、
     新しいことを始めたいと考えてる。
     それと、各地の「キッチン南海」を見て回りたいね。
     みんな元気かな。
     腰を痛めているから、電車に座っているのは無理。
     だから、バイクで……。

 齢90にしてますます盛んである。

神保町「キッチン南海」が閉店、54年の歴史に幕 あのカツカレーはどうなる?料理長に聞くと...
京・神保町の神田すずらん通り沿いに店を構える「キッチン南海」。

都内に複数あるキッチン南海だが、1966年に創業したここが本店で、黒いルーを使ったカツカレーでお馴染みの老舗だ。

半世紀以上にわたって多くの客に親しまれてきた店舗だが、2020年6月26日に閉店することが決定。ツイッターでは閉店を惜しむ声があがっている。


店頭に展示されているサンプルケースの上には、「お知らせ」と題したこんな掲示がある。

「建物の老朽化に伴い 店舗契約期間終了のため6月26日(金)をもちまして閉店することになりました。創業昭和41年 長年にわたりご愛顧いただき誠に有り難うございました。

なお、7月中に神保町花月の向かいにてのれん分け独立店 キッチン南海を開店予定です。宜しくお願い致します」

このキッチン南海は閉店するが、近くに新たなのれん分け店を開店する、ということらしい。どうも移転とは違うようだが...ここのカツカレーはもう食べられなくなってしまうのだろうか。

ツイッターでは、閉店と聞いてショックを受けるファンから、

「今月で閉店と聞いて慌ててやって来ました!確かに建物の老朽化は否めない」
「10年ちょい前に東京に転勤してきて、上司に教えてもらった思い出のお店だったので、凄い寂しい...」
「もうこのカツカレー生涯で100杯弱はここで食べてるはず、寂しいけどのれん分けして移動しても味が変わらなければいいな」

といった声が寄せられている。

カツカレーを食べてみた
Jタウンネットは5日、キッチン南海に訪れた。

平日の昼も行列
平日の昼も行列

キッチン南海のランチタイムは15時まで。事前に打ち合わせていた通り15時直前に訪れた筆者だったが、残り10分を切っているにもかかわらず店の外には10人ほどの行列ができていた。

さすがに全員入らないのではないかと心配したが、客の回転は想像以上に速く、あっという間に順番が回ってきた。

カレー以外のメニューもある
カレー以外のメニューもある

筆者が注文したのは看板メニューのカツカレー(税込750円)。ネット上では「結構なボリューム」とのコメントが多く見られるが...。女性の筆者でも食べられるだろうか。

これがあのカツカレー
これがあのカツカレー

出てきたカレーは噂に聞いていた通り、ルーが真っ黒。薄めのカツ1枚がドンとのり、千切りキャベツが盛られている。

さっそく一口食べてみると、ルーの濃厚さに驚く。しかし舌ざわりはサラサラとしており、カツやキャベツとあわせてご飯がどんどん進む。気が付けばペロリと平らげてしまっていた。


料理長の中條知章さん(52)によれば、

「カレーには余計な糖分が入っていません。胃もたれしない、『毎日食べられるカレー』を目指しているので。ルーを良く焙煎しているのもあって、胸やけが起きにくくなっていると思います」

とのこと。現在は新型コロナウイルスの影響で客足が減っているが、それ以前は1日に400食以上のカツカレーの注文があったという。

本店は閉店、しかし...
中條さんによれば、本店の閉店自体は今年の初めに決まっていた。

「 昔から来ている常連客が心配 」 という理由から神保町で店を探し、
  3月に新店舗の場所を決定。

  6月2日頃に閉店のお知らせを掲示した。

  新型コロナウイルスの影響で、掲示が遅くなってしまったという。


  本店のコックは中條さん含めて2人。7月中にオープン予定の新しい店舗でも、続投するという。

  「僕はここで30数年働いて、変わらない味を守り続けているので、味は変わらない自信があります。あの掲示だけじゃ僕が移ることが分からないので、お客さんに『やめられちゃうんですよね』と聞かれることもありますが...僕が料理長なので味は大丈夫だと思います」


中條さんによれば、この店は今も現役で働く南山茂さん(90)が創業。建物の老朽化に伴う契約期間終了のため、こちらの店はたたみ、新しく開業する店は中條さんの独立店になる。


中條さんは南山さんの甥であり、中学生くらいから店の手伝いに訪れていた。
中條さんにとって、ここのカレーは「家のカレー」。20年ほど前に料理長となり、同じ味を守り続けてきた。

「開店当初から来ている、当時学生だったお客さんが今は老紳士だったりしますが、『変わらない味でホッとする』と言ってくれます。それが一番嬉しいですね」

「本店で修行して独立するのは僕が最後」と話す、中條さん。
新店舗の開業に向けて意気込みを聞くと、


「変わらない味を守り続けていきたいです。
  絶対に味は変えない、働き始めたころからそう思っています。
  ここに来ているお客さんは、それが一番心配だと思うので」

としている。