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中条省平「小説家になる小説家になる! ――芥川賞・直木賞だって狙える12講 (ちくま文庫)
小説家になる! ――芥川賞・直木賞だって狙える12講 (ちくま文庫)
!ー芥川賞直木賞だって狙える12講」(ちくま文庫)を読んだ。創作学校創作科の講義をまとめたものというだけあって、具体的で有益だ。本の副題が誇張でないと思わせられた。
 この第5講が大変! 門田泰明の「黒豹ダブルダウン」(光文社文庫)を反面教師のテキストにして悪い例を逐一指摘している。これを読んだら門田がうつ病になってしまわないか心配した。断筆しても不思議ではない。
小説家になる!―芥川賞直木賞だって狙える12講 (ちくま文庫)


 まず門田泰明の小説から。

 暮れなずむ春の日、鏡のように凪いだ海は、大小百二十余の島々を静かに呑み込んで、黄金色に輝いていた。


 夕日は、はるか彼方の海に半ば沈み、紺碧と紅の混じり合う空に向かって、目の眩むような幾条もの輝きを、放射状に放っている。島々の小さな湾にひっそりとへばり付く村々は、その金糸銀糸を浴びて、神々の里にふさわしい高貴な装いを見せていた。


 やがては、夜の帳が降りようというのに、どの村々にも、潮風と戯れるようにして、紋白蝶が乱舞している。それは、心優しき島の人々を守ろうとする、神々の使者なのであろうか。


 それにしても島々は、あまりにも何事もなく、不知火の海に浮かんでいた。


 ここは熊本県天草諸島の一つ、上島にある松島町のはずれ。入り組んだ小さな湾と、天草五橋の一つ松島橋を見下ろす高台に、白い土塀に囲まれた豪壮な入母屋造りがあった。訪ね来る者を圧倒しそうな四脚門の左右には、樹齢七、八十年を思わせる松の木が、がっしりとした枝を四方へ伸ばしている。その松の木の脇に、大型テントが二張りずつ張られ、そこから白い土塀に沿ってずっと向こうの角まで、喪服を着た人々の列が続いていた。いずれの表情も暗く沈み、あるいは物想いにふけるかのように、じっと足元を見つめたりしている。


 これに対して中条は書く。

 われわれは、面白い小説や人を驚かせたり感動させる小説を書こうと目指しているのであって、「文学」して自分が悦に入ることだけは禁じなければいけない。(中略)
 まず「暮れなずむ」は、かっこ悪いまでに「文学」ですよ。いまどき「暮れなずむ」などという表現は歌謡曲でもそう使わない。しかも「春の日」ですよ。「鏡のように凪いだ海」。なんと、できるだけ節約せよと言っている比喩を思い切り使っている。しかもこれは月並みが昂じて、常套句化している比喩です。さらに、不要の技巧を凝らすことの恥ずかしさ。「大小百二十余の島々」という限定の仕方はまるで観光案内の引き写しです。「大小」などと、こんなところで細かくこだわってどうするんだ、という恥ずかしさですよね。しかも「静かに」など、できるだけ副詞は削って、文章を停滞させないという原則に逆らっているだけでなく、つい先ほど「鏡のように凪いだ海」と、静けさを大げさに表現したことと冗語的に重なっていて無駄です。「静かに呑み込んで、黄金色に輝いていた」。この言葉の薄っぺらさ、イメージの大仰さにはちょっとついていけない。ところが、これが何万部も売れる小説なわけです。(中略)
   「目の眩むような幾条もの輝きを、放射状に放っている。」
 これを絵に描けと言われたらどう描くんでしょうか。つまり、これを書いた人は、自分の頭のなかで厳密にイメージを突きつめていない。自分でも信じていない言葉を、「文学」的な感じに任せて、ただ書きつけているんです。
   「島々の小さな湾にひっそりとへばり付く村々は、その金糸銀糸を浴びて、神々の里にふさわしい高貴な装いを見せていた。」
「へばり付く」はないでしょう。言葉の適不適、選択と配置をもう少し真面目に考えてほしい。「その金糸銀糸を浴びて」、五月人形のキャッチ・コピーじゃないんですから(笑)。(中略)
   「どの村々にも、潮風と戯れるようにして、紋白蝶が乱舞している。」
 紋白蝶というのは潮風と戯れるような場所に乱舞するものでしょうか。こういう現実にはありそうもないことをつい筆の滑りで皆さんも書いてしまいがちですが、ここまでやる人はそうはいない。(中略)
   「樹齢七、八十編を思わせる松の木が、がっしりとした枝を四方へ伸ばしている。その松の木の脇に、大型テントが二張りずつ張られ、そこから白い土塀に沿ってずっと向こうの角まで、喪服を着た人々の列が続いていた。」
「ずっと向こう」もすごい。「ずっと」という言葉はその場に居あわせて指差したりする時の説明に使う言葉です。つまり、この作者は、自分の書いている対象に距離が取れていない。自分の書く状況に無自覚で入り込んで「ずっと向こうの方までね」と指差しているつもりになっている。まるで子どもの文章みたいです。

 子どもの文章みたいです、とまで言われてしまった。指摘はこのあとも延々と続くのだ。門田泰明がこれを読まないことを祈る。
 まあ、しかしこんな悪文の小説が何万部も売れて、金井美恵子なんかやっと1万部くらいなんだろう。昔「砂の上の植物群」がその性描写が評判になってたくさん売れたとき、吉行淳之介がぼくの読者はせいぜい3千人なのにと言っていた。俵万智がベストセラーになって塚本邦雄が売れないのだ。

mmpolo 15年前


i-miya

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中条Jr

まあ、売れない人のねたみにしか思わないでしょうね。門田氏はそんなくだらない評価気にもしないでしょう。物でも人でも「売れている=世間に評価されている、受け入れられている」という証ですから。中条氏に指導された生徒が何だかんだ理屈ばかりでこれじゃあ面白くもおかしくもない、売れない文章にしかならないだろうなと実感したと言ってましたよ。

11年前

MM

中条さんって面白くない文章ですよね。売れ筋と純文学ってまた違うのでは?

10年前