味噌樽 の ズボン

1967年、自白ではパジャマで犯行に及んだはずの被告の衣類「5点」が、
事件発生の1年2カ月も後になって現場の味噌工場の味噌樽の中から
見つかったという逸話。
血の付いたシャツやズボン、ブリーフなどは、被告のものとされ、
犯行時の着衣と認定された。


σ(-_-) なりの疑問点。


「真犯人を名乗るメールのアドレスの痕跡」とは何か?

メールを送信したというスマホは、いつ、どこで入手されたものなのか?
逮捕〜保釈されたK被告がスマホを入手できるのか?


何故に、河川敷に埋める?

スマホで発見された被告のDNA型とは、いったい何から発見されたのか?
時間設定付きで送信し、自動削除されるという設定ができるのか?