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太宰一家が利用していた伊勢元は、「十二月八日」にも店名が登場します。その跡地に建ったビルの1階に、太宰治文学サロンが開設されました。

  • 2野川家跡(下連雀3-15-15 イル・デ・パン1F)
    • ★ゆかりの案内板あり
    • 野川家跡(現:永塚葬儀社)の写真 現:永塚葬儀社

山崎富栄と親しくなった1947(昭和22)年9月頃から、彼女の下宿先の野川家2階も仕事場にしていました。太宰最後の日、ここから2人で玉川上水へ向かいます。

  • 千草跡(下連雀3-24-3)
    • ★ゆかりの案内板あり
    • 現:Brillia MITAKA

1947(昭和22)年7月から小料理屋千草の2階も仕事場にしていました。


4井心亭(百日紅)(下連雀2-14-7) ★ゆかりの案内板あり
市の和風文化施設です。すぐ近くの太宰治旧宅の「玄関の前の百日紅」(「おさん」)が庭に移植されています。


5連雀湯跡(下連雀1-11-7) ★ゆかりの案内板あり
当時の連雀湯の写真 現:ホンダカーズ東京中央井の頭公園
「十二月八日」には、銭湯に妻が長女を連れてでかける場面があります。連雀湯には、太宰一家が通っていました。


6陸橋(跨線橋)(上連雀2-21) ★ゆかりの案内板あり
中央線の上にかかる陸橋に友人を案内することもありました。この陸橋は、1929(昭和4)年に竣工した当時の姿を今も留めています。


7中鉢家跡(下連雀3-43-32) ★ゆかりの案内板あり
当時の中鉢家の写真 現:藤和シティスクエア三鷹駅
1946(昭和21)年11月、疎開から戻った太宰は、三鷹駅前郵便局のはす向かいに仕事場を借ります。ここで「ヴィヨンの妻」などを執筆。「朝」はこの部屋が舞台です。


8うなぎ若松屋跡(下連雀3-35-8) ★ゆかりの案内板あり
太宰が編集者との打ち合わせ場所にしていた馴染みの屋台でした。品川用水(現:さくら通り)沿いにありました。


9田辺肉店離れ跡(下連雀3-27-8 ムサシ三鷹ビル1F) ★ゆかりの案内板あり
現:三鷹の森書店
1947(昭和22)年4月から、「斜陽」を書き継ぐために、田辺肉店のアパートを借りました。この店を舞台にして「犯人」が書かれました。


10太宰横丁(下連雀3-27-8 ムサシ三鷹ビルの東側の通り) ★ゆかりの案内板あり
小さな飲食店が軒を並べていて、太宰が通ったことで通称ができました。行きつけの「喜久屋」(小料理屋)が、この通りの三鷹駅近くにありました。
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11玉川上水
ポケットスペース」のレリーフには、玉川上水を「青葉のトンネル」と書く「乞食学生」の一節が刻まれています。
12玉鹿石
太宰を偲んで、故郷、青森県五所川原市金木町産の玉鹿石を石碑としました。このあたりの玉川上水で、太宰は入水しました。


13太宰治旧宅跡
1939(昭和14)年9月から亡くなる1948(昭和23)年6月まで、疎開の一時期を除き、住んでいました。同じ造りの平屋の借家が3軒並んでいました。すべて建て替えられ、路地だけが残っています。
※路地は私道ですので、中に入らないでください。


14井の頭公園
「東京八景」にもあるように、井の頭公園は東京の名所でした。「日の出前」「黄村先生言行録」「ヴィヨンの妻」など多くの作品で、井の頭公園や近隣を舞台に物語が展開します。
15松本訓導殉難碑
1919(大正8)年、麹町区(現・千代田区)永田小学校の遠足の際、落ちた生徒を救おうとして亡くなった教師の殉難碑。「乞食学生」に登場します。
16禅林寺太宰治
「花吹雪」では、森鷗外の墓に言及しています。そのため、没後、太宰の墓は鷗外墓の近くに建立され、桜桃忌が禅林寺で営まれるようになりました。
17三鷹駅前郵便局
太宰が原稿料受取りなどに利用した郵便局です。随筆「男女川と羽左衛門」では、横綱男女川を見たことをユーモラスに描いています。
18美登里家鮨跡
太宰馴染みのすし屋でした。「鷗」と随筆「酒ぎらい」には、「三鷹駅近くの、すし屋」として書かれています。
19三鷹駅
三鷹駅」が最寄り駅で、その近くの飲食店などを利用していたことは、「鷗」ほかの作品からうかがえます。「新郎」では、三鷹駅前の広場が描かれています。




太宰治 芥川賞ピース又吉は同じ場所に住む?噂の三鷹の住所はここ! [ピース又吉]
太宰治 芥川賞ピース又吉は同じ場所に住む?噂の三鷹の住所はここ!
 「火花」で芥川賞受賞

お笑い芸人ピースの又吉直樹

相方はピース綾部

又吉はお笑い芸人「ピース」の肩書の他にもの凄い肩書が加えられた

それが「芥川賞」!!

多くの作家の夢である芥川賞を「火花」で受賞

日本中が又吉、火花でフィーバーしている

作家として有名な「太宰治

ピース又吉太宰治と繋がりがあった!

太宰治の生まれ変わり?)とも言える繋がりとは?

調べてみました

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 2人は同じ場所に住んでいた!

ピースの又吉が「火花」で芥川賞を受賞し注目を浴びている

芥川賞作家となったピース又吉太宰治と繋がりがあった!

なんと、同じ場所に住んでいた

その場所は「東京都三鷹市下連雀2丁目」

ピース又吉が大阪から上京後、初めて東京に住んだアパートが太宰治の家があった場所らしい



もともと太宰治の家があった場所に建てられたアパートにたまたまピース又吉が住んだ

それだけみたいです・・^^

でも、芥川賞を受賞したとなると「何か」の縁(繋がり)があったかもしれません

三鷹市下連雀

住みたい町で毎年上位にランキングされる「吉祥寺」と「三鷹」の駅が利用できる人気のエリア

人気ショップ、井の頭公園ジブリ森美術館もあり、最高のロケーションです!

ところで太宰治芥川賞は受賞していないんですね!

ノミネートされ、手紙で懇願したそうですが、受賞にはならなかったみたいです

お笑い芸人のピース又吉

芥川賞受賞後初のお笑いライブも注目されてました

今後も、注目され続けるような芸人、作家でいてください!

古館伊知郎、和田アキ子みたいに素直に人を認めないという芸能人もいることでしょう!

しかし、ピース又吉は凡人では受賞できない芥川賞を受賞しました

これが認められた「事実」なんです!

これからも応援してます^^


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 「又吉 太宰治」ネットの反応

又吉が大阪から東京に上京したとき、最初に住んでたボロアパートは、なんと芥川賞作家の太宰治が住んでいたアパートだったことが、わかった。又吉本人もこれは、知らなかったらしい。なんという引き寄せ。

— しばくぞおじさん (@shibakuzo123) 2015, 7月 18



族長
@GAHAHAonline
ピース又吉さんが「太宰治人間失格を読んで、自分以外にもこういう考えの人間がいたんだと感銘を受けた」って言ってるけど、『人間失格』のすごいところはまさにこれで、「読んだ人に『この狂人の境遇を理解できるのは私だけ』と勘違いさせる最高の厨二本」なんだよなぁ。俺も『人間失格』大好きです

10:35 - 2015年7月17日
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たられば
@tarareba722
ご存じの方も多いでしょうが、今回芥川賞を獲った又吉さんが愛してやまない太宰治が、欲しくて欲しくて仕方ない芥川賞に落選して、当時選考委員だった川端康成に宛てて書いた完璧にキマっちゃってる文章がこちらです。
「刺す。そうも思った」http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1607_13766.html

10:29 - 2015年7月17日
2 2件の返信 1,202 1,202件のリツイート 1,265 いいね1,265件
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ガッテム竹内(元ハガキ職人)
@GTT214
太宰治芥川龍之介に片思い
恋い焦がれ芥川賞には辿り着かぬも
歴史に名を残す作家となる

ピース又吉太宰治に片思い
恋い焦がれ太宰治を読み耽り
彼の辿り着かなかった
芥川賞を手にした

片思いはする側を成長させる
片思いは素敵なんだ

23:45 - 2015年7月16日
件の返信 23 23件のリツイート 37 いいね37件
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又吉が芥川賞とったの「太宰治越え」って言われてんの…つら…太宰、、、つら…

— たいらか (@ytairam) 2015, 7月 16


あの太宰治がとりたくてとりたくてふるえながら川端康成に手紙書くくらいとりたくても結局とれなかった芥川賞を、又吉がとった……!

— 踏絵 (@10_fu) 2015, 7月 16