kiratei2004-03-18

白い巨塔、『野望の果てに』


 
 
病気と向き合うか、患者と向き合うか?、
病気を治すのが医者か、患者を治すのが医者か?。

病気を治せなくても、患者の不安を取り除けるのが医者か?。

被控訴人財前が仮に、専門的な知識と自らの経験から判断して、庸平の食道癌が多臓器への転移のない?期※1だと確信していたとしても、現実に里見医師や柳原医師から転移の可能性を疑って追加検査をすべきとの進言を受けていたことや、仮に肺への転移があれば外科手術ではなく抗癌剤治療を行うのが第一選択であるとされていたことなどからすれば、手術以外の治療法についても説明すべきであった。
治療法の選択は、医師がどの手技を選ぶかの問題を超えて、患者の将来や人生に関わる重要な問題である。よって被控訴人財前には、手術以外の治療法について患者に検討する機会を全く与えず、手術をせかしたという過失がある。
仮に柳原医師がそれまでに、どのような説明をしていたにせよ、執刀医として不十分な説明にとどまり、手術以外の治療法を「助かりたいなら手術しかない」の一言で退けた事実が動かぬものである以上、その過失は否定しがたい


判決理由には、σ(^_^)自身に思いっ切り心当たりあり p(@O@)q!。
もう、 >>>―(@_@)―→ って感じ。

『外科医』としての財前教授に過失は無くても、
『医師』としての財前教授には過失があったということか……。

ならば、それはその診療を財前教授にゆだねた里見助教授にもあるのではないか?。
なぜ、里見助教授が担当していた時点で、一通りの検査を行わなかったのか?。
検査を行わずに、『外科』医たる財前教授にその診療をゆだねた事に過失はないのか?。

すなわち、初期治療の後にどのような治療を施すかは、
初期治療に当たった医師が担うべき責任ではないではないのか?。