The 立喰師!

DANCYU 93年10月号 「 立ち食いそばの正しい食し方 」



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その年の夏、街は記録的な猛暑に喘いでいた。
バリケードのように麺の木箱が積み上げられた店内のテレビが、客足も途絶えた街路へ向けて凄惨な予報を告げる昼下がり。


屹立する影のように、季節に逆らう漆黒の外套を纏ってその女はやってきた。


喧騒の染み込んだ街路を刻む、その靴音が暖簾の向こうに立ち止まる。


らっしゃい―――と自棄気味の声をあげて振り向く主人に、いつの間に暖簾を潜ったか、涼しげな声で女は告げる。


「ケツネ・・・・・・おソバで」


年の頃は二十過ぎであろうか。後ろに束ねた髪のほつれが血の気のない頬に懸かり、ぞっとするような凄い美貌だった。
掃き溜めに鶴、の揄もあるが切れあがった目じりがむしろイヌ科キツネ属の肉食哺乳類を連想させる。
こんな場末に場違いにと見えつつも、カウンターに肘を懸けて身を任せた姿に寸分の隙もなかった。


と、揚げ箸を釜に突っ込んだ主人の耳に何やら声明とも祈誦ともつかぬ声が聞こえる。


抑 揚 頓 挫 流 暢 哀 腕―――それは神仏の秘号を鄭衛の末韻と化し、当時の錬師をして憤激せしめた


念仏行者遺裔末流の業とも聞こえ、その実は蕎麦の茹で上がりを量る立喰師伝承の秘技にほかならなかった。


驚き畏れて蕎麦を上げ、鍋底からアゲを攫い、出汁を盛って差し出すところへ、冴えた笑いを口元に浮かべ―――


「コロッケも欲しいな」

――― 多々良伴内 「 暖簾の迷宮/魔性の女狐 」

狐が現れるのはきまって昼下がり―――カンバン時と並んで蕎麦屋の正念場と呼ばれる時間であった。
ふりの客待ちであってみれば仕込みと称して暖簾を外すもならず、釜前に立つ主人が睡魔に襲われる頃合を計ったように現われて、
これも決まったように「お揚げ」を所望する。狐は美女に化けるのが相場とはいえ、文字通り目の覚めるような美女である。
長い黒髪を束ねた八寸元禄を口に咥え「コロッケも欲しいな」と小首を傾ければ店主に否応なく、揚げ置きのコロッケを丼に差し入れる。
二杯三杯と丼を重ね、油に濡れた紅い口を舐め、コンと一声啼いて黒髪を靡かせ暖簾を分けるとたちまちにして雑踏の中に消える。
 この狐、名をケツネコロッケのお銀という。
 稀代の女立喰師にして女侠でもあった。

――― 八尾一郎 『 昭和女侠伝/戦後篇 』

「何者だ手前は」
「誰に聞いてんのさ」
「キツネそばへコロッケを漬け込み、ひいふうみい・・・・・・十と二杯も喰らった挙句に銭を払う気もねえらしい手前に聞いてるんだ。
おおかた下ッ腹に毛のねえ海山に千年ずつの古猫だろう」


亭主がたたみかけるのを受け流し、今しがたまで蕎麦を手繰っていた九寸利休を一舐めして髪に戻すと紅い口元に凄い笑いを浮かべた。


深窓にひととなった娘とは違う―――千年経った野干(狐)なりに、凄い素性が窺える。いうことが姿に似合わず伝法過ぎた。


が、笑顔になると、いままでの冷たさが消しとんで、桜の花の七分咲き、夜目遠目傘のうちといって、すべた女も美しくみえることもあるが、
この女のそれは掛け値なしの本物だった。美しいなあと亭主が、われにもなくトロリとなる。
仕置きをしようにも、支度も覚悟するに隙がすこしもなかった。


「お代は先刻の講釈で替えてもらうさ・・・・・・生れ在所に後足で砂をかけたお銀は、三界に家なしの女だもの、その日の風次第で、往きもすれば復りもする、
どこへ日限りでとんで行く身であるじゃなし、三日遅れても一年遅れても、得も損もない喰い稼ぎのからだ。


どうで最後は街の塵芥に埋もれるさ。末始終よりいまが大事なんだよ、いまさえよけりゃそれで本望さ。立喰いの女は世間の女と違って若いときだけが命じゃないか。話はざッとこのぐらい。


ご縁があったらまたお目通り、きょうはこれで」


亭主、余計な穴が、どこかにあいてる人間のようにひたすら聞き入っていた。


ず、ずッとうしろに下がり退いて、七歩のところで踵を返し、亭主に背中を向けるなり、お銀は八ッさがりの日の下を、街の風に鬢を吹かせて去って行った。


(あのアマ―――憎い振舞いだ)


胸をそらして行くお銀のうしろ姿が、亭主の眼には、道幅いっぱいに拡がって見えた。

――― 長谷川伸太郎 『 女狐お銀 』





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