幼女戦記
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ああ
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番外編7 『ラインの…オムツ』
Name: カルロ・ゼン◆f40da04c ID:f789329c 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/09/25 02:13
※この物語は、お食事中にご覧になると、一部不快を催す可能性があります。
また、人間の体に備わったしくみの問題であり戦闘に従事する兵士たちの尊厳・名誉に対するいわれなき誹謗中傷でもありません。
繰り返しになりますが、お食事中はご覧にならないようにご注意ください。
古い顔なじみの新聞記者が最初に呟いた一言。
「紙おむつ発明の経緯を、知っていないか?」
それに対して、彼、ヴォーレン・グランツは断固たる決意も露わに一言叫んだ。
「断る!!!」
と。
古びた事務所に相応しい拡張高いと備品係たちだけは主張してやまない古ぼけた机。
新聞社の机というのは、大なり小なり酷使される机の類いであるのは間違いない。
とはいえ、記者の机についていうならばそれほど酷使されているとは言えないだろう。
その机の上に鎮座しているのは…紙おむつだ。
そして老記者は、つい先ほど年甲斐もなく断じて話すことなどないと妙に激高する老人の姿に思いをはせ、何を知っているのだろうか?と首を傾げていた。
古い付き合いだが、彼があれ程取り乱したのを見たのは初めてなのだが、と。
いや、何かトラウマでもあるのだろうか。
そう考えた彼の眼差しは、机の上に鎮座する紙おむつに向かう。
帝国で、少数生産され、いつの間にか戦後に世界へ広まっていた紙おむつ。
たまたま、帝国で同時代を生きていた人間に話を聞いてみようと思っただけなのだが、あれほどの反応だ。
…一体、何が本当にあったのだろうか、と。
ライン戦線は、地獄だ。そこでは、人間の尊厳という幻想に対して五感全てで明瞭極まりない否定を味わえる。
塹壕の一週間は、勇壮な戦争という空虚なプロパガンダが如何に無意味かを実感させてくれる。
代わり映えのない砲弾の雨と、乏しい糧食、そして仲間の戦死。
そんなものは、単なる表層にすぎない。
ニュース映画は、匂いも、味も、音も、触覚も伝えないのだ。
音が付いた映画とて、匂いも、味も、触覚も伝わりはしない。
戦場で鼻にするのは、大量の腐敗臭と汚物の匂い。
耳にするのは、砲弾の着弾音と、砲弾の音の中に紛れて小さいはずにもかかわらず聞こえてくる呻き声。
敵砲兵隊の重砲で制圧下にあってなお、恐怖に値するのは実のところ皮膚の下から聞こえてくるぷつぷつという音だろう。
あれは、聞いたことのない人間には分からない恐ろしいものだ。
ガス壊疽は、どれほど勇猛な兵士であってもどうしようもないものだ。
勇猛無比な誉れ高き魔導師ですら、ガス壊疽と聞けばああだけは成りたくないものだと震えるしかない。
時として、ある研究が意図せぬ思わぬ事実を発見することは珍しくない。
その例に漏れず、最新の研究…主として戦闘員の心理状態に注目した研究である、は、人間がどの程度正直者かという事実を驚くほど明快に数値化した。
調査の結果によると、実に戦闘員の25%は正直者である。
言い換えると、4人に3人は大嘘つきだ。
この驚くべき結果をまとめたのは、合衆国軍の退役中佐らを中心とする『殺人学』或いは、戦闘時の兵員の心理状況に関する研究とでもいうべき心理学の一分野を専攻するグループの研究結果である。
第二次世界大戦中の米兵に注目したその調査の結果によれば、実に4人に1人の兵士が戦闘中に尿失禁の経験があることを認めたという。
海外戦争復員兵教会や戦没者記念日には誰も口にしない事実であるが、別に戦地では語られないタブーの一つにすぎないことだ。
まあ、戦争を崇高で偉大な何かと勘違いしている大半のメディアや商業番組では絶対に漏らす兵士の群れなど描かれないのだが。
そういう訳で、古参兵らの共通見解は単純明快な事実に基づく。
兵士とは、人間であり、激戦に際して『チビる』のは当然なのであり、自己申告できない大嘘つきが兵隊の大半である、ということだ。
言い換えれば、当たり前に近い体の機能を自己申告しない人間が多すぎる、という事でもある。
当然ながら、古今東西の戦場においても珍しい話ではないのだ。
馬上で大失禁したという人物が、天下国家を取ったこともあるくらいである。
そういう訳で、百戦錬磨の兵どもと雖も時にはオムツが必要なのだ。
そう、オムツだ。
これは、そんな兵士たちが誰も語りたがらない戦場の一物語である。
「…、新兵用にオムツを調達すべし?」
参謀本部で後方業務に携わる参謀連の一員として前線視察に赴いていた彼は首をひねって訊ね返していた。
旧知の将校を見かけ、何か提言がないか、と尋ねたウーガ少佐に寄せられた要望。
砲弾でも、医薬品でも、ましな食糧でも、煙草でも、アルコールでも、それこそ、休暇でもないまったく想定外の品名。
それは、オムツだ。
「はい。ウーガ少佐殿。迅速かつ、速やかに手配を願いたいのですが。」
「オムツ、とはオムツか。」
「はい、その通りです。いかがされましたか、ウーガ少佐殿。」
「いやまて、デグレチャフ少佐。それは、確かに、私は多少の融通は利かせると言ったがそれは軍需品に限ってだぞ?」
彼は、ターニャ・デグレチャフという軍人を理解できていないことを知っている。
知っているのだが…さすがにこれは突然、どうしのたか、と訊ね返したくなってしまう。
「軍事行動に、必要不可欠な用品というならば、オムツは軍需品であります。絶対に、必要不可欠なのであります。」
「すまんが、少佐、私にはオムツが軍事行動に必要不可欠だという貴官の言い分が理解できない。」
が、理解しかねると心の底から再認識することになった。
彼の前で、力説するのは戦功著しい実戦経験豊富な魔導師だ。
それも、ここしばらく『白銀』という優美な二つ名よりも『ラインの悪魔』と畏れられるようになった。
本来ならば、その彼女が前線で必要とすると力説する軍需用品を用意するのは理解できる。
何が起こるか微妙に予測できずに余り気が乗らないが、デグレチャフ少佐の要求ともあれば爆薬だろうが、砲弾だろうが用意するのはやぶさかではないのだが。
しかし、オムツ?
あの、児童用のおむつを、何故、最前線の実戦指揮官が大量に軍事行動に不可欠と力説するのだろうか。
おむつを、最前線に、大量に供給せよという意味の分からない要求はおそらくウーガの軍歴でも最も奇妙な要望だった。
軍大学時代、教官連から叩き込まれた最前線での臨機応変な物品の活用というアイディアを否定するつもりは無いとしても、だ。
最前線の将兵が、缶詰を開けるために銃剣を使うのはもはや有名極まる話だろう。
それをやめさせるために、わざわざ銃剣の鞘に缶切りや栓抜きを付けたという話は兵站部の苦労話として耳にしている。
だが、珍妙な話を聞いてきた彼をしても、さすがにオムツを応用して軍事目的に活用するという点は想像もつかないものだ。
「失礼ですが、小官は、必要だと申し上げざるを得ません。」
「軍大学の同期だ。ざっくばらんに言ってくれないか。いったい、そんなものを何に使うんだ?」
良く分からないことは、素直に聞くべし。
これは、新任少尉が学ぶ軍隊のルールだ。
少なくとも、将校としてのウーガの知識にそんなものがない以上、彼は聞くしかない。
「…何、と言われましても、オムツはオムツではありませんか?」
だが、問われたデグレチャフは質問の意図を理解しかねると言わんばかりにおうむ返しで逆に問い返してきた。
その眉をひそめて、訝しんでいる表情からすれば言わんとするところは自明だろう。
彼女が話しているオムツとは、やはりオムツであり、なにかの隠語でもないらしい。
「いや、その通りだろう?一体、何に使うのかと…」
そこまで口し出したウーガ少佐は、しかし、そこで口を噤んだ。
目線を下げねば目を合わせられるほどに幼い将校。
彼女が一つ、小さいため息を漏らしたことに気が付いたからだ。
「なるほど、ご存知ないのであれば話は簡単です。」
意を決した、とばかりに頷くデグレチャフ。
いや、だが、よく見ればそれは『なんだ、ご存知なかったのか』という得心の色合いも帯びている。
だから、何事が明かされるのだろうかと覚悟を決めたウーガ。
しかし、その耳が、捉えた言葉は、一瞬理解しかねるものだった。
「ウーガ少佐殿、前線で新兵は『ほぼ、高確率にて』失禁ないし大失禁に至ります。」
失禁、ないし、大失禁。
…つまりは、漏らす、ということか。
大の大人が、訓練を受けた、兵士が?
「耳にすることは有るが…その、間違いないのか?」
むろん、少数の臆病な兵士が、というのは耳にしたことが全くないわけではない。
だが、多数の新兵が、漏らしているというのは…なんというか、初耳だ。
「呆れ果てた実態ですが、間違いありません。特に、激戦に投じられるほど事態は深刻です。」
ため息交じりで、彼女が漏らすのはある意味で万国共通で軍隊が語りたがらない真実だ。
言い換えれば、戦争の悲惨さを訴える連中でさえこの事実は碌に語らないだろう。
なにしろ、戦争というものにつきものの悲惨さという点であってもなお、大の大人が、という躊躇いがある。
だからこそ、というべきだろうか。
戦争映画や戦争小説では、誰もが勇ましく戦って死んでゆく。
馬鹿げたことだが、戦争の悲惨さを訴える映画でさえも前線の人間に言わせれば『綺麗』過ぎる。
死体とは、もっと、凄惨で生々しいかつて人体だったものにすぎないのだ。
「…垂れ流せ、とは言えんのか。」
そして、兵站の観点からそれが重要なのかと訝しむ将校の疑問は実に身勝手で、同時にある程度正しい。
ウーガ少佐は、参謀本部付の後方勤務が専門の事務屋だ。
その彼をしても、兵士が語りたがらない問題を突きつけられた時に気が付くのは士気の問題である。
被服や食料ならば兎も角オムツを兵士に配給することの是非を考えるだけで鈍痛が頭を襲うと言わざるを得ないのだ。
「兵の士気にかかわる。何より、オムツを穿いた兵士など…戦意に響きかねんぞ、少佐!」
「少佐殿、私は、塹壕線で人的資源がガス壊疽で摩耗していくことを看過しえません。衛生は、義務です。」
だが、この問題に対するターニャの見解は揺らがない。
なにしろ、ただでさえ非衛生的な塹壕がさらに耐え難く汚れるのは絶対に我慢できるものではないだろう。
魔導師という兵科が平均的な兵士と比較して疫病に倒れる確率が低いのは、単純に航空魔導師は空に逃げているからに過ぎない。
もちろん、防殻と防御膜である程度の空気の濾過は可能だ。
可能だが…恒常的に、やり続けられるものではない。
それを思えば、死体処理の際に楽になる様にオムツがあるに越したことはないのだ。
「まして、敵地浸透作戦や長距離行軍時には排泄物は埋めるにせよ、失禁する間抜けを考慮せざるを得ません。」
加えて、長距離行軍中にやらかしてくれる新兵というのは少なくない。
何度、銃殺をちらつかせてもそう簡単に排泄物を耐えられない兵士というのは珍しくもない存在だ。
人間の体に備わった機能である以上、どうしようもないというのは一つの事実だろう。
航空兵と、魔導師に言わせればお出かけに備えて出撃前には体の余計なものは須らく出しておくべきなのだ。
如何せん、それを理解していない新兵どもときたら出撃前にアルコールを飲もうとまでしやがる。
「一定数、居る以上は絶対に必要なのです。」
迂回作戦中に、緊張のあまり漏らすアホがいると知ったときは引き金に手が伸びかけたものだ。
まあ、射殺すれば射殺すればで糞尿をまき散らす糞袋が一つ破れるので事態が悪化するのはより自明なので自重したが。
その件を思い出すだけで、ターニャは思わず嘆息したくなるのだ。
死臭や腐敗臭など珍しくもない最前線ならばいざ知らず、敵地後方に浸透する際にはやはり軍用犬の警戒を招きがちでは困りものだった。
「加えて、戦死者の糞尿塗れは正直に言って戦意にも宜しくありません。対処が必要であります。」
ついでに言えば、塹壕での最も深刻な悩みの一つは死体のまき散らす糞尿だ。
戦死の栄光を謳うプロパガンダでは、壮烈な戦死でも、死体は物理的に前線指揮官にとっての厄介な衛生上のゴミでもある。
いや、もちろん寒ければある程度凍りつくのでまだマシなのだが、湿地地帯の塹壕には悪夢そのもの。
汚染というか、汚れの問題と同時にああいう死に方はしたくないと兵士が後ろ向きになるのが大きな問題としてあげられる。
絶対に、状況を変える必要があるのは自明だった。
そして、ターニャにしてみれば介護と同じであり漏らすならば、オムツを穿かせればよいではないか、という答えになる。
「いや、わかった分かった。少佐。だが低地地方の紡績工業ラインが戦災で生産量を落しているのは知っているだろう。オムツ、などそうすぐには…。」
それでも、言いよどむウーガ少佐。
まあ、帝国の主要な紡績工業ラインが集中していたライン方面戦線でこれでもかと言わんばかりに戦争しているのだ。
もちろん、綿が不足しているという実態から児童用のオムツすら事欠くという事情は言われれば納得できる。
それどころか、児童用よりも大きいであろう大人用のオムツを要求しているのだ。
新規に製造させるにしても、原料の確保や運送ラインの問題など処理すべき問題が多数あるということは自明。
「ならば、最悪紙でも結構です。」
だが、それらの困難を察しても。
ターニャはオムツを、新兵の汚い尻に穿かせるオムツを断固として要求する。
別に、何も綿でつくる肌着を求めているわけではないのだ。
それこそ、使い捨てのオムツで十分。
どうせ、初戦で漏らすか、死体になるかだから早々何度も穿かせる機会はないのだからという実に身勝手極まる理由による。
ならば、それほど頑丈でなくともよいわけだ。
「なに?紙?」
「紙は我らとともにあり、で結構であります。紙でオムツを作っていただきたい。」
そして、カミを汚物に塗れさせるという一点で、それを称する存在Xに対する非合理的ながらも拭いがたい歓喜の念に襲われるのだ。
無論、感情でもって軍に配備を命じるのは越権どころか、ある種の利敵行為かもしれない。
だが、これは、効率的な軍事行動のために絶対に必要不可欠とターニャは確信できるのだ。
「出来るはずであります。ぜひ、掛け合っていただきたい。」
だからこそ、ターニャはその思い付きに随喜しつつ、断固とて要求するのだ。
オムツを、紙オムツを、最前線へ、と。
常ならば億劫そうに新兵の群れを迎える上官。
常日頃から無表情に眉をひそめることの多いデグレチャフ少佐殿だ。
よちよち歩きで、あんよも下手糞な新兵を見ればご機嫌を損なわれるのも無理はない。
かくいうヴァイス自身、新兵の面倒を見ることは手間がかかると悩まない日はないのだ。
だからこそ、『新兵に訓辞を垂れろ』と司令部から定期的に順繰りで回ってくる面倒な仕事の通達を上官に渡すときは気が重かった。
自分が原因でないにせよ、悪い知らせを上官に持っていくというのは心臓に良くないものでしかない。
が、その日。
大隊長室で、何かの小包を受け取ったらしい少佐殿に司令部からの通達を伝えたヴァイス中尉は自分の両眼を真剣に疑う羽目になった。
命令であれば、否応は無いと義務を果たすべく訓辞へ向かうのが常だというのに。
…今日に限っては何かの間違いか、ご機嫌そうな表情で
『素晴らしい、素晴らしいタイミングだ』などと喜色を浮かべているのだ。
あの、デグレチャフ少佐がである。
歴戦の魔導師特有の危機感が盛大に警鐘を、それこそ脳裏で乱打しまくる音を聞きつけた中尉の対応は見事といえるだろう。
上官の態度に一言も、それこそ表情一つ変えずに、事務的な姿勢を保ったまま静止。
内心の動揺とは裏腹に、微塵も微動だにせず上官へ連絡事項を伝達。
その後は、当直へ戻りますとごくごく自然な口調で任務を前に出して不自然でない程度の駆け足で退室。
私は、何も知らないと、呟きながら彼はその日の当直任務へ全身全霊を傾けて警戒にいそしむ。
何か、おぞましい何かを忘れるのは、何かに専念するのが一番なのだから。
そして、不幸なことにグランツ少尉は偶々手隙の士官を探していたデグレチャフ少佐の目に留まってしまう。
命じられたことは、ちょっとした荷物持ち。
だからこそ、彼は、世界で初めての発明品を最も初期に見ることが叶った幸運な一人となった。
当人が、それを、幸運と思うかどうかは、主観の問題である。
「志願兵諸君に対し、前線における心構えを訓示するように命じられたデグレチャフ少佐である。」
演説台の上へと登り、それでもようやく目線が合うか合わないかという小柄な将校。
最前列の新兵に見えるのは、忌々しげに短い手足でよじ登るようなデグレチャフ少佐殿だ。
だからこそ、一瞬、とまどい、軽く見る新兵どもが度々痛い眼をこれでもかと見せられるのだが…今日は違った。
それこそ大隊を突撃させるかのように意気揚々と。
常日頃は、敵以外に向けることない攻撃的な笑みを顔面に張り付けながらターニャ・デグレチャフ少佐は嗤っていた。
「ようこそ、最前線へ。左程も期待はしていないが、歓迎しよう。」
口からこぼれるのは、常の彼女と寸分たりとも変わらぬ定型文。
「諸君に対しては、述べたようにさほど多くを期待しない。友軍の足を引っ張るな。しかる後に、経験を積んで敵をうて。」
実際、新兵に対してベテランは殆ど何も期待しない。
邪魔をしないで、少しでも役に立てば望外の拾い物とすら考える。
ターニャの暴言に近い発言は、ある意味で前線の率直な物言いとして許されていた。
「単純な話だ。今日、一人も殺せぬ貴官らも、明日は一人殺せるやもしれない。来月には、二人殺せることだろう。」
新兵は、やがて経験豊富な古参兵となりうる。
兵士は、生まれながらにして勇士である少数の例外を除けば兵士になる者なのだ。
だからこそ、彼らは訓練し、叩き込まれた技量で人を殺す。
「プロパガンダは頭から削ぎ落しておけ。戦場では、如何に祖国を守るかという抽象論は意味を為さない。」
それは、全く抽象ではなく現実の世界。
徹底した現実に生きている世界なのだ、とターニャはつまらなさげに吐き捨てて見せる。
「現実を、語ろう。新兵諸君、君たちは殺すことを祖国の名において命じられる。敵だ、殺したまえ。それ以上の議論はありえない。」
祖国のために戦う。
大変結構な理念だが、グランツを始めとする新任が真っ先に知らされるのは殺し、殺されるという基本だ。
それ以外は、戦場においては考える価値のない雑音とすら化す。
もちろん理念は重要だ。
だが、それは、生き残った者が味わえる贅沢でもある。
戦場において、贅沢を味わいたいのであれば生き残らねばならない。
生者だけが、後悔できるのだ。
「名誉と栄光は、泥濘に塗れた先にある。」
加えて、運に恵まれれば汚泥まみれの死体に勲章が輝くこともある。
尤も、どちらにしても泥と湿気、そして耐え難い臭いと悪い空気を吸いながらであるが。
しかし、そこまでならばある意味で平常運転のデグレチャフ少佐殿だろう。
直立不動で気を付けの姿勢を取っていたグランツ少尉は何時ものこととして、ここまでは特に気にも留めなかった。
もう、それは、いやというほど実感しているからだ。
「なお、それについて諸君に少しばかり申し付けておくことがある。」
だが、その日は少し、色合いがそこから変わる。
「戦場というのはえてして恥と屈辱の満ち溢れた空間だ。」
本来ならば、故に無能はさっさと間引き、汚泥を減らすのが私の仕事だとか嘯きかねない上官。
それが、妙に優しげな声色を突然出し始めたのだ。
「そこで、諸君。諸君は、苦しむだろう。私は、それに対する解決策を用意した。」
グランツが、無意識のうちに足を半歩開き、何時でも掩蔽壕へ飛び込めるようにしてしまうのも無理はなかった。
なにしろ、その日、その場に言わせた士官の多くがギョッとした表情で優しげなターニャを、凝視していたのだから。
「神は我らと共にあり、と唱えるだけでは空疎だ。無意味に近い。故に、私は諸君のために紙を取り寄せた。遠慮なく使いたまえ。」
カミ?
いったい、何を…と訝しむ多数の眼差し。
神は、我らと、共にあり。
その標語を、神を取り寄せた、と?
クスリと誰か、新兵が嗤った時、血を見るかと思わず覚悟を決めた士官は少なくないだろう。
「そこで失笑した間抜けを射殺し、実証しても良いのだが人体とは糞袋である。垂れ流しの死体を、見慣れる日は遠くないだろう。」
しかし、微笑みすら浮かべたデグレチャフ少佐は単純な事実を指摘して見せるにとどめた。
声色に浮かぶのは、厳しい物言いとは裏腹に優しげな慈愛のそれ。
予想外の光景に列席する士官らは思わず隣の人間と顔を見合わせ、今の光景が現実かと疑っている同僚を発見することとなる。
「はっきりと言おう。諸君は、戦場において、小児以下の存在だ。自分の排泄物も管理できない大間抜けと言ってよい。」
だからこそ。
ある意味では、変なことだが。
一変して、厳しい声色を聞いたときは何故か落ち着けた。
まあ、それは混乱故の感情なのだろうが。
なにしろ…グランツは嫌な予感がするのを抑えきれずにターニャが取り出した小包を思い出すのだ。
そして、彼の予感は、完全に予想通りの形で実現する。
「新兵諸君、だからこその紙オムツだ。一人、三枚ずつ配るので、必ず穿く様に。穿かずに漏らしたアホは、懲罰だ。」
配られるのは紙で出来たオムツ。
妙に大きく、子供用でないサイズというところが冗談でないという本気さを感じさせるものだ。
参謀本部の送ってよこした箱に、入っていた紙オムツ。
上は、間違いなく本気なのだろう。
…おそらくは、間違いなく。
「以上だ、新兵諸君。諸君が、カミを必要としない時が来ることを願う。」
あとがき
やれやれ、微妙に遅れてしまったか…とか思いつつ更新。
やはり末期戦ものなんだから、もっとえげつない所もださないといけないよね。
モエとかハートフルとか、そんなことばっかりでは読者の皆さんを失望させてしまうのではないか、という観点。
それらから優しさを増配しつつ福利厚生に戦場で取り組む素晴らしい番外編をお送りいたしました。
以下真面目
執筆に際しましては、参考資料としてグロスマン退役中佐の著作を活用しております。
こんなものを書いている人間が絶賛するのもちょっとあれですが戦争に関する心理学の泰斗なので兵士の心理や葛藤をかく場合はぜひご参照あれ。
でも、商品の宣伝は不味いんでタイトルはググってください。
後、なろうの方でお知らせ等は更新しております。あしからず、ご了承ください。
ついでに、ZAP。+ZAP
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