kiratei2003-03-24

天本英世氏、逝く……(-人-)。


享年77才。たしか、なにかのエッセイで
「70才を過ぎたら、もう後は死ぬだけなので好きにやる」とか、
「家とは家族があってこその家なので、私は……」というような事を
書いておられました。

何(十)回か、新宿駅や代々木公園付近でお会いしましたし、
当時は、(知人?の)クリーニング屋の二階に勝手に下宿しているという話でしたが、
最近は、アパートを一軒まるごと借りていたのではなかったかな?。

しっかし、シチュエーションとして
天本英世が(勝手に)二階に下宿しているクリーニング屋』というは凄いと思う。



天本英世
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天本 英世(あまもと ひでよ、1926年1月2日 - 2003年3月23日)は、日本の俳優。一時期、「あまもと えいせい」の名を称していたこともある。福岡県北九州市若松区出身。身長180cm、体重65kg。

目次 [非表示]
1 来歴・人物
2 エピソード
3 天本英世をモデルとしたキャラクター
4 主な出演
4.1 映画
4.2 テレビドラマ
4.2.1 WEBドラマ
4.3 ラジオドラマ
4.4 バラエティ
4.5 CM
5 著作
6 関連書籍
7 関連項目
8 外部リンク


[編集] 来歴・人物
旧制若松中学校(現福岡県立若松高等学校) - 旧制第七高等学校 - 東京帝国大学法学部政治科中退。国際政治学を専攻し、当初は外交官を目指していたが、当時の政府の政治姿勢に失望・反発。文学や演劇に没頭するようになる。日中戦争・太平洋戦争が起こり、東大在学中に学徒動員によって大学中退を余儀なくされる。軍隊では何度ビンタを受けても、上官の命令に逆らい続けた。国内で敗戦を迎える。この軍隊経験が、後述される反国家姿勢を育んだ。

敗戦後、劇団俳優座に入り、オペラ『オテロ』で初舞台を踏む。その直後の1954年、松竹映画 『女の園』『二十四の瞳』で銀幕にデビュー。当初は二枚目俳優としてのデビューであった。以後はフリーとなり、1958年に東宝と契約。アクション映画や特撮映画などで個性的な脇役として活躍し、人間離れした悪役を数多く演じて異彩を放った。特に岡本喜八監督作品にはその大半に出演、得難い存在感を発揮する。同監督作品では、ドイツ語のセリフをも駆使して主役に拮抗する待遇を与えられた『殺人狂時代』のマッドサイエンティスト・溝呂木博士役などが代表作として挙げられるが、悪役にとどまらない多彩な役を振られている。映画産業が斜陽化した1970年代からはテレビドラマに活躍の場を移し、『仮面ライダー』などの特撮作品をはじめ時代劇や刑事ドラマでも不気味な悪役として数々の怪演を残した。晩年には善役を演じる機会も多くなり、『ウルトラマンコスモス』の「雪の扉」や一般作品でも悪役以外の役を好演している。

プライベートではフラメンコをきっかけにしてスペインをこよなく愛するようになる。「向こうの人はとにかくからっとしてて明るいですよ」とは本人の弁。フェデリコ・ガルシア・ロルカの詩の朗読でも有名。無政府主義者を自称しており、晩年はラディカルな視点で現代の日本に生きる人々に対し苦言を呈することも目立った。「将来はスペインに移住したい」と言っていたが叶わず、2003年3月23日急性肺炎で故郷の福岡県北九州市若松区の病院にて死去(77歳没)。地元のカトリック教会で葬儀が行われた。遺灰は2005年10月下旬にスペインアンダルシアのグアダルキビール川源流近くにまかれた。忘れえぬ人を想い続け、生涯独身であった。


[編集] エピソード
代表作の1つ『二十四の瞳』で、当初天本の役は明石潮が演じる予定だった。この作品では、待ちくたびれて本番中にうっかり居眠りしてしまったという逸話を持つ。
若い頃から老け役が多く、ファンの中には親しみを込めて「特撮界の笠智衆」などと呼ぶ人もいる。特に『仮面ライダー』で演じた「死神博士」は、『仮面ライダー全シリーズ』の悪役の中でも屈指の人気を誇る。この死神博士は、当初の役作りが余りにも怖すぎると内外からの声があり、途中から演技を抑えたほど印象の強いものであった。この役で用いた小道具の指揮棒は、天本がエジプトに旅行した際に購入したもので、「こういう役が多いもので」買い求めておいたものだそうである。
晩年の発言の一部から、死神博士の役を嫌っていたかのように誤解されることがあるが、彼が嫌っていたのは、死神博士のことばかり殊更に強調する一部のファンやマスコミであり、死神博士の役そのものを否定したことはない。子供のファンから請われれば喜んで「死神博士」とサインしていたことがその証だが、成人後も子供向け特撮番組に熱中するオタクファンには「世の中にはもっと大切なものがある」と厳しい態度をとっていたという。またNHKの『まんがで読む古典・雨月物語』に上田秋成役で出演した際、「わしも昔死神博士として、ショッカーという妖怪軍団を率いておった。」との旨のせりふを述べたこともあった。
2005年の『仮面ライダー THE FIRST』では、テレビシリーズ第1作の『仮面ライダー』で使用された死神博士の映像に丸山詠二が新たに声を当て、デジタル出演という形でショッカー幹部役で登場している。
星雲仮面マシンマン』で演じたプロフェッサーKの衣装は、天本の自前のものだったため、あきらかにスペイン趣味になっている。劇中「Kがスペインで撮った」という設定で登場する写真も、天本が実際にスペイン旅行中に撮ったものらしい。
子供好きで、「マシンマン」の頃、新聞のインタビューに答えた同作のコメントの中で、ロケに同行する過保護な子役の母親達を批判し、「もっと子供は普段から自由に遊ばせるべきだ」と主張している。
スペイン趣味は自身が出演したカルト映画『殺人狂時代』(岡本喜八監督)にも垣間見える。クライマックスの天本演じる溝呂木博士と仲代達矢演じる桔梗信治との決闘シーンは、互いの左手首を縛って右手のナイフだけで戦うという「イスパニア式決闘」でおこなわれ、BGMは天本がレコードを持ち込んだフラメンコが用いられた。
家を持たず、空き家になっていたクリーニング店の2階で寝泊りしていた。住居には電話も引いていなかったため、仕事の依頼などは近くのあるファミリーレストランに取り次いでもらっていた。その関係もあって天本はそのファミリーレストランに頻繁に来店し、付近の住民にも親しまれていた。
手塚治虫のベレー帽のように、天本はスカルキャップがトレードマークのひとつであった。その姿のまま出演していたドラマもある。
映画監督の岡本喜八とは容姿、風体が似ており、ロケ先で子供達から「死神博士が二人いる!」とよく言われ、岡本は機嫌が悪かったという。また、岡本作品にはよく出演していた。
フジテレビ系『たけし・逸見の平成教育委員会』の生徒役として、放映開始から1993年3月の「卒業」までほぼ皆勤であった。国語に関してはずば抜けた好成績を修めていた反面、算数に関しては全くと言ってよい程正解できず、苦手であった。国語が得意ということで文学部出身と間違われることも多く、法学部出身の経歴を意外がられることもあった。司会・先生役の北野武が遂に「天本君は算数の問題があと1問でも正解したら、海外留学を差し上げます!」と断言。リーチのかかっていた「たけし落とし」を見事完成させ、世界一周留学の旅を獲得した。
平成教育委員会』のオープニングで、勉強小僧が「今日の生徒〜」と出席生徒をテロップ入りで紹介するのだが、真面目な紹介テロップの時もあれば少々「おあそび」的な紹介の時もあった。渡嘉敷勝男が「わたしゃもう少し背がほしい」とテロップで紹介されたあと、天本が「半分やるから家をくれ」と紹介された事もあった。他にはうじきつよしが「軽音楽部の部長」と紹介されたあと、天本が「謎の帰宅部」と紹介された事もあった。
また、『平成教育テレビ』(現『FNS27時間テレビ』)でも番組の大部分に出演。だが、このとき、「先生というのは、『自分は馬鹿です』と言ってるようなもの」とつい本音を言ってしまい、たけしや逸見政孝以下共演者を慌てさせている。
「卒業」で降板となるも、後に卒業生枠ができて1期生も再び番組出演するようになると、天本も参加した。
1993年、逸見政孝が亡くなった直後のワイドショーに、急遽ゲスト出演。「人間は年老いた者から順番に死んでいくものなのに、(彼の死は)あまりにも早すぎた。マスコミは(番組起用に)気を遣わなければ。…もっと仕事をセーブして、体を労わらなければいけない立場なのに…」(要旨)と、語気強く無念さを語った。また、フジテレビで放送された逸見の追悼番組に出演した際には「テレビ業界は狂っている。先日もスタッフが1人自殺した。逸見さんは2人目の犠牲者だ」と発言している。逸見が亡くなった後は『平成教育委員会』には一切出演しなかった。
自由民主主義者。天皇制と、昭和天皇の戦争責任を不問にしようとする勢力(政府・文部省・菊タブーを守ろうとする風潮)を批判して「テレビの収録で言及すると、その部分は全てカットされる。こういう事をしている限り日本人はいつまでたっても自立出来ない」と述べている。
毎日放送の「あどりぶランド」の「よってたかってインタビュー」のコーナーにゲストで招かれた際には、「国民年金など払ったことがない。いくら年を取っても国の世話にだけはなりたくない」、「日の丸の赤い丸を切り抜いてしまえば風通しがもっとよくなるだろう」などと述べている。また、「スペインの街頭で物乞いと間違えられて、お婆さんに施しを受けそうになった」、「年収300万円だったのが、『平成教育委員会』に出てから月収300万円になった」などのエピソードを披露した。