年末 昼酒宴

 

 

流石に年末、
 事前に連絡し、

「 カウンター なら 」
ということで、
 1時間前に予約。



流石、年末!。


店内は、記憶する限り、
 年内最高の賑わい。


普段なら、
ちょこちょこ細かい注文を付けるのですが、
今日は、厨房を煩わせたくないので、ノーマルで行きます。

…… そうしたところ、
厨房から、
「 今日はxxxxでなくていいんですかぁ~~? 」 と、
確認される。

わはははははは (^O^) 。
細かい好みを憶えていてくださるというのは、
ありがたいことで。

賑わうということは、
食材が、それだけ早く回転するということで。

いつもの丁寧さは感じないものの *1
そのかわり、勢いを感じます。


 » 地魚刺身盛合
 » 河豚唐揚
 » 今日の地魚カマ焼き
    ( カンパチ でした )
 » メヒカリ唐揚
 » アゴ出汁おでん
  » 大根
  » 栃尾油揚げ
  » 五目さつま紅生姜さつま
  » フランクソーセージ




mayonnaise


日本では、1925年(大正14年)3月9日、
キユーピーが発売した「キユーピーマヨネーズ」が、
日本産マヨネーズの元祖である。
このことから、日本初の「1」にちなんで、毎年3月1日を『マヨネーズの日』としている。

1923年(大正12年)の関東大震災から、大日本帝国の帝都復興における生活の洋風化の中で発売したものの、
当初はマヨネーズの馴染みのなさや価格の高さから売れ行きは芳しくなく、ポマードと間違えられることもあったという。当時の日本には、まだ野菜を生で食べる習慣はなかった。キユーピーアヲハタグループは缶詰メーカーでもあったので、カニやホタテの缶詰につけて食べる試食販売を行なって、マヨネーズの味を知ってもらおうとした。

さらに、当時は卵自体が高級品であり、マヨネーズの価格も高く、128グラム入りが50銭、2016年(平成28年)の貨幣価値に換算して約1,700円という、百貨店でしか手に入らない高嶺の花だった。初年度の売り上げは、わずか600キログラムだったという。それでも、当時から積極的な広告宣伝を展開したこともあって認知度は高まり、売り上げを伸ばしていく。1941年(昭和16年)の年間出荷量は500トン近くまで達した。ただしこの年に太平洋戦争が勃発。原材料が入手困難となり製造を中止し、再開は終戦から3年後の1948年(昭和23年)のことだった[16]。

なお、大日本帝国陸軍の兵食(給食)でも、マヨネーズは野菜サラダに和えるソースとして食されており、昭和初期に陸軍糧秣本廠が編纂した陸軍公式レシピ集『軍隊調理法』では「軟食」の分類にて卵黄・西洋酢・サラダ油を主体とするマヨネーズの製法が記されている[17]。

昭和30年代以降、キユーピー以外にもマヨネーズ製造へ参入するメーカーが現れる。撤退したメーカーもあったが、後発メーカーの味の素は、卵黄タイプのものを発売していたキユーピーに対抗して、全卵タイプのマヨネーズを1968年(昭和43年)に発売する。味の素製品の発売は、その後の日本のマヨネーズ市場が拡大する結果となった。


*1: あくまで、個人の感想です。