JR宝塚線 事故

 
σ(-_-)が 大学inn 時代に某教授のゼミでのレポートで
『優』を貰ったモノがあり、
別にそれは鉄道輸送に関するモノではないのですが、
そのレポートの要点は、
「サービスにおいては、『品質』と『費用』のバランスを取ることが重要である」
という主旨だったのですね。


そりゃぁ、採算を度外視して、『品質』(今回の場合は『安全』ですか?)を追求しろというのは、
営利企業に対して無理があるし、
マスコミもその無理を承知していて、企業側が応えられないのを承知していて、
だから『安全第一』という論点で追求するのでしょうが。


     ☆


この教授のゼミを一緒に受けていた学友に、
小田急鉄道グループ系のボンボンがいて、


…… σ(-_-)と違ってお金に苦労した事がないという悪友なのだが……、
(……お金に苦労していたら、「戦友」になるのだが……)


その悪友が、彼の親父さんの欧州新幹線の視察に同行し帰国して曰く、


「ふん、そりゃぁ、あんな大平原なら(日本の新幹線以上の)速度を出すことは簡単だろうよ。
 でもな、悔しかったら、10分おきに列車を走らせてみろよ……」


と言っていたのが印象的である。


      ☆

< 尼崎・列車脱線事故 >
90秒遅れ、欧米では「時間通り」 日本では定刻が常識
2005年05月02日09時52分

 JR脱線事故での「90秒の遅れ」に海外の鉄道関係者が関心を寄せている。欧米では、この程度の遅れは「時間通り」と見られている。感覚の違いには国民性や文化の差もありそうだ。

 事故を起こした快速電車は、オーバーラン伊丹駅出発が約1分30秒遅れ、制限速度時速70キロのカーブに100キロ以上で入ったことが判明している。

 米紙ニューヨーク・タイムズ(4月27日付)は「原因には時間への強迫観念?」との記事を1面に載せ、「世界中どこでも、90秒遅れはおそらく定刻通りとみなされるだろう」と指摘した。


 ニューヨーク市交通局が列車の遅れと認めるのは「最終駅到着が5分遅れた」ときだ。原因不明の遅れがあれば運転士から事情を聴く。「スケジュールを本来のものに戻すためで、処罰が目的ではない。でも、速度制限違反は罰する」と広報担当のディアドレ・パーカーさん。


 「列車の遅れとは3分以上のこと。90秒程度では客から苦情を受けたこともない」


 ベルリンで通勤電車を運行する独エスバーン・ベルリン社の広報担当バルデン・マーティンさんはそう話す。ドイツではどれだけ遅れたのかではなく、遅れの原因を問題にするという。「我々も定時運行を大切にしているが、秒単位は現実的に考えにくい」


 英国の大手鉄道会社バージン・トレインズは「短距離の列車では、ラッシュアワーで4分を超えたら『遅れ』とみなす」という。


 鉄道大国フランスも、90秒を遅れとは考えない。仏国鉄によると、88年の列車衝突事故後に自動制御システムを導入。遅れを取り戻すために上げることのできる速度の許容範囲もシステムが制御している。広報担当者は「許容範囲を超さないと取り戻せない遅れは、放っておくしかない」と話した。


 イタリアで列車の遅れは日常的だ。オーバーランも多く、ホームの外れに止まった列車に乗客が走り寄る光景も珍しくない。鉄道会社トレンイタリアは「5分から15分程度の遅れは乗客も認めていると思う」と言う。


 イタリア最大の労組イタリア労働総同盟のフランコ・ナッソ交通労組書記長は「『遅刻はなるべくしないようにする』くらいの認識でいいのでは」と話す。


 海外との受け止め方の違いについて、鉄道評論家の川島令三さんは「遅れに文句を言う客が日本では多い。海外はあきらめているところが多いが、日本ではきちんと来るのが当たり前という感覚だ」と語る。


 日本では戦前から鉄道の正確性が国民の常識となっており、JR西日本に限らずどの鉄道会社も精密にダイヤを作る。川島さんによると、通勤線区では30秒程度の遅れなら調整できるが、90秒の遅れは「日本では大きい」。


欧州においては、いわゆる『時刻表トリック』は、
そのアバウトな運行……もしくは、そのアバウトな運行を許容する国民風土故に
成立しない。

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