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2009-12-06 [読書備忘録][医療関係]  中島梓 「転移」

                   朝日新聞出版 2009年11月


 中島梓氏の死にいたるまで一年弱の闘病記。



 読んでいて気が重くなってきた。闘病記であるからではない。変な民間療法に走ったりすることもなく、急に回心して受洗するなどということもなく、闘病記としては(とてもおかしな言いかただけれども)まともなものである。にもかかわらずなんとも言えない気持ちになってくるのは、その時々の経過の記載から医者として著者の予後がよめてしまうからである。しかも書いている中島氏自身はそれが予測できていないことも記載から読み取れる。それで読んでいてやりきれなくなる。


 中島氏は膵臓癌で亡くなった。ひょっとすると、この記事に何かの検索からたどりつく膵癌の患者さんあるいは家族の方もいないではないかもしれない。そういう方に以下に書くことは希望をあたえる内容ではないかもしれない。患者さんに「希望をも処方する」のは医療者の仕事の一つである(中井久夫「臨床瑣談」)。とすれば書かない方がいいのかもしれないのだが・・。


 本書の記載にしたがって中島氏の病歴をまとめてみる。


 2007年10月黄疸出現。昭和大学病院に入院。黄疸軽減のための体外からのチューブ挿入とその交換で2回入院。下部胆管癌の診断で、



 2007年12月 国立がんセンター中央病院で膵頭十二指腸切除術。その組織所見から診断が下部胆管癌から膵頭部癌に変る。


 2008年1月 国立がんセンター退院。そのあと抗癌剤治療のため、


 昭和大学病院に入院。3週間で退院。以後、外来で、抗癌剤治療継続。


 2008年4月 がんセンターでの最初の経過観察のためのCTで肝臓に転移がみつかる。


 昭和大学病院にラジオ波焼却療法をおこなうために再入院するが、そこでの確認のCTで、転移が単発ではなく2個であることがわかり、治療方針がラジオ波焼却療法から抗癌剤の変更へと変る(ジェムザールからTS1へ)。


 ここまでの経過で、医療に従事しているものであれば、中島氏のおかれた状況がとても厳しいものであることがわかる。


 本書は2008年9月から2009年5月に55歳で亡くなるまでの日記である。発病からそれまでのいきさつは「ガン病棟ピーターラビット」という別の本になっているらしいが、それは読んでいない。


 医者であれば、まず知りたいのは、手術記載であろう。手術が基本的に黄疸を軽減させるのを主目的にする非根治手術であったのか?、一応可視的に確認できる腫瘍はすべて除去する根治をめざすものであったのか?、リンパ節転移はどうであったのか、腹膜播種はあったのか? などである。あるいは「ガン病棟ピーターラビット」にはそれが記されているのかもしれないが、本書にはそれにかんする記載はなかった。中島氏は根治手術がなされたと信じていたように思える書き方ではあった。しかし手術をした医者、そこから情報を提供されている医者は事実を知っているわけである。ここに情報の非対称性がある。もしも術者が手術時に腫瘍の広がりから根治は期しがたい状態、5年生存はとても期待できず、2年生存もあやうく、1年生存が期待できるかどうかの状態であることを知ったとしたら、それをそのまま患者に伝えるべきだろうか? それとも「患者に希望を処方する」ため、膵臓癌の5年生存率は25%である(と本書にはある)という一般論で患者をはげますべきだろうか?(だがそもそもこの数字は患者をはげますだろうか? それに本当は、5年ではなく、3年生存率が25%なのではないだろうか?)。


 中井氏の「希望をも処方するのが多いに望ましい」というのは癌の告知の問題をめぐる議論でいわれている。わたくしが医者になった40年くらい前には癌の告知はしないのが原則だった。「アマゾネスのように」は1990年、中島氏37歳の時の乳癌体験記であるが、20年前のこの記録では癌は告知されている(しかし手術方法は、乳房温存療法ではない。発見時5cm径の大きさだったと書いてあるから今でも温存療法になるかどうかはわからないが、日本ではまだほとんど温存療法がおこなわれていなかった時代である。20年で医療の世界は大きく変る)。「アマゾネス・・」の主張の一つが、すべての癌は告知すべきであるというものであるところを見ると、まだすべての癌で告知されていなかったのであろう。


 自分のことを振り返ってみても、いつの頃からか告知をするのがあたりまえになったのかはよく覚えていない。20年近くつきあった患者さんがいるが、早期の肺癌が検診で発見され手術したかたで、その当時、まだ珍しいことであった告知をうけている患者さんとして、その心理状態に大いに興味を持ったことを覚えている。患者さんは肺癌の手術のすぐあとに乳癌も発見され手術をする気の毒な経過だったが、その手術は大胸筋までとるいわゆるハルシュテット手術であった。やはり20年前には告知はまだ一般的ではなかった。「転移」では中島氏は病名の告知は受けている。しかし、あらゆる事実をすべて告げられているようには見えない。


 経過をみていく。


 10月9日。CT検査。二つであった肝臓の転移のうち最大の30mmのものが37mmに拡大し、他に一個新しい転移がみつかる。直径が1.2倍になったのであれば、腫瘍は体積としては、1.7倍に大きくなっている。この直径がわずかしか大きくなっていないことを根拠に主治医は「TS1が効いているからこのまま続ける」とし、背中と腹痛については「小腸に炎症がある」と診断している。わたくしが主治医であっても同じような答えをするだろうと思う。おそらく本音は、「あまり効いているとは言えないけれど、ほかに薬もないし」であり、「たぶん癌による痛みだろうけれど、そういうと本人気落ちするから、とりあえず、小腸の炎症とでもいっておこう」であろう。本人もご主人も息子さんも、これを「まあまあの結果」と喜んでいる。医師は「希望を処方」している。


 11月20日。CT検査。転移は更に増え、4つとなり、3.7mmのものが5.4mmになっていた。肝機能の数字はとても良いが、腫瘍マーカー(CA19−9か?)が8900になっていた。主治医は、「あなたはずいぶんと状態のいいほうで、TS1は効いていると思う」という。中島氏は、抗癌剤はあまり効いてはいないと捉えている。しかしあまり効いていないどころではなく、腫瘍は一ヶ月半で3倍になっているのだから、主治医はまたしても、本音とは違ったことを言っている。またもや希望を処方している。


 12月4日。「『癌性疼痛」であれば痛みは一日中続く。昼痛くなく夜痛いならば、それは癌性のものではない」と主治医にいわれるが。それでも《少し強力な》痛み止めを処方される。おそらく医者の本音は、「いよいよ癌性疼痛が強くなってきた。麻薬を使おう」であろう。またしても希望の処方である。著者もご主人も癌性疼痛ではないという説明にほっとしている。


 翌1月8日。CT。癌は倍以上に大きくなり、転移の数が大分増え、腹水も少しでている。それで、一時休薬していたTS1を再開する。


 4月2日。CT。腫瘍はさらに大きくなり、腹水は増えている。「予想していたほど悪くはないので、このままの薬でいきたいが、副作用が目立ってきているので、量を減らす」といわれている。医者の本音は、「薬は効いていないけれど、完全に中止してしまうと、不安が強くなるだろうから、量を減らしてみていこう」ではないだろうか?


 5月7日昭和大学に入院。原因は発熱。


 5月12日に、主治医が「1週間あるいは数日単位でこれからのことを考えて欲しい」と告げている。ここではじめて医師が本当のことをいっている。その日の日記がパソコンに記録された最後の日記で、15日、16日と一部よく意味のとれないところのある手書きの日記があり、17日から昏睡となり、26日に亡くなっている。


 12日の医師の告知には少し違和感がある。ここまで「希望を処方」してきたのであれば、最後までそれを続けてもよかったのではないかという気がする。


 本書を読んでいて感じるのは、病気になると、患者さんの生活は、食べる、排泄する、眠る、というきわめて基本的で動物的な機能に限局されたものになっていくということである。もちろん、あと、交わるというのもあるはずなのだが、本書ではでてこない。「アマゾネス・・」では「生きているのはやりたいことをやるためだ。・・一本でも多くの小説を書き、一本でも多くの舞台を作り・・、一回でも多くのセックスをすること」と書いていた著者であるが。


 病気のひとにとって、排泄というようなことがどれほど重要な意味をもつのかということをはじめて知ったのは、恥ずかしながら、大腸癌で39歳で死んだ高橋和巳につて、夫人である高橋たか子の書いた回想記を読んだときである。この本がでたのは調べると1977年だからわたくしは医者になってもう5年くらいたっている。医者を5年もしていて、そんなことは考えたこともなかったのだから、実に困る。この回想記を今でも覚えているのは、たか子氏が夫である和己氏のことをぼろくそというか、まるで駄目な人間として描いていたからで、奥さんというのは恐いものなのだなあと思った。結婚して2・3年はたっていたはずなのに、まだいろいろなことが少しもわかっていなかったのである。


 そんなことはどうでもいいが、本書でも中島氏はつねに消化器症状に苦しめられている。氏はそれをほとんど抗癌剤の副作用と思っているようである。膵頭十二指腸切除という大手術の影響、癌の神経浸潤による消化管機能の低下、癌性腹膜炎による消化管活動の悪化などといった因子はあまり考慮にはいってきていない。中島氏にとって癌の転移は肝臓などにマスを作っているもののみが意識されているようで(ガン太郎君、ガン次郎君、ガン三郎君などという名前までつけている)、医者が一番懸念する腹膜播種のような広範な散布性の病変はほとんど考慮されていない。本書で中島氏の希望をささえているのは、肝臓への転移巣がかなり急速に増大して進行していくにもかかわらず、肝機能がほとんど正常に保たれていることである。転移として意識されているのは、CTなどですぐに確認できる、大きさの測定も容易な名前もつけられるような肝転移巣だけのようである。


 癌の転移は確かに進行している。しかし、それは体の機能には影響していない。抗癌剤の影響で食欲が落ちているだけなのだから、なんとかがんばって食事をとるようにすれば大丈夫であるという見解となる。肝臓で増大している転移と平行して体のほかの場所でも転移が進行し、それがさまざまな消化器症状の原因となっているとは考えていない。


 死の4ヶ月前の日記に、ご主人が買ってきた癌についての本に「ひとはなぜ癌で死ぬのか」という章があり、ひとは癌そのもので死ぬわけではなく、癌の影響で臓器不全になり、栄養失調状態になり、体重が激減し、「悪液質」というのになって、免疫力が低下し、転移された臓器がうまく動かなくなって死にいたるのだ、とある記述をみて、そこに希望を見いだしている。客観的にみると、これは中島氏の状態そのものなのだが、おそらく中島氏の見解では、いくら肝臓の癌が大きくなったとしても、それだけでは生命にはかかわらない。肝臓の癌は肝臓機能にほとんど影響していない、だから「まだまだいける」ということになるのだろう。


 医者の中でいわれる悪い冗談に「癌でなぜ死ぬのか? 治療するから」というのがある。癌そのもので死ぬわけではないのであれば、治療する必要などないのではないかということにもなる。「悪液質」といわれるものの実態にしてもまだ十分に解明されているわけではない。わかっているのは、癌という病気と死との因果関係はきわめて深いということだけなのかもしれない。


 本書における中島氏の経過は医療者からみれば、ごく普通の平均的な経過である。おこるべきことがおきているだけで、奇跡もなければ予想外のこともおきてはいない。しかし中島氏という個人にとってはただ一度の経験であるから、自分におきていることが普通のことなのか、そうでないのかを判断することがとても難しい。よく解釈することも悲観的にみることも、いかようにでもできてしまう。本書は癌の患者さんが病気をどのようにうけとめ、それについてどのような個人的な解釈を下すことで病気に対峙しているのかについての貴重な報告となっている。


 10月9日の日記に、「やっぱり生きていたいんだなあ、とあらためて思う ― 動物なのだから、生きていたいのは本能で、当然なのだ。それを否定してまで悟りを開いたぶることはない。おおいに迷いながら、すべったり転んだり騒いだりしてやっていけばよいのだ」とある。本当にその通りと思う。わたくしがホスピスやそれに関連した施設をどことなく胡散臭いものに思うのは、死の受容などということが言われて、従容として静かに死んでいくことが望ましいという見方があるように思えて、そんなことは嘘ではないかと感じるからである。中島氏もいうように「ほんとに人間なんて、弱くてもろくて未練でバカで、悟りなど開けぬもの」なのだから。


 その中島氏も、「アマゾネス・・」では、37歳の乳癌手術2年目の患者として、こう書いている。「ただ「長生きするため」に生きていたいとは私は思ったことがない。生きているのはやりたいことをやるためだ。だから長さには意味がない。」 再発のおそれはあるが再発していない時期にはそう考える。再発してしまえば「やっぱり生きていたいんだなあ」である。どちらも本当なのであろう。


 ある重大な病気がみつかり、治療の選択をせまられるような場合、それは通常、細く長くがいいか、太く短くがいいか、の選択となる。太く長くが一番というのが暗黙かつ自明の前提となっているのだが、それが無理ならどちらがいいかというということになる。だが、細く長くを選んだ場合、その細さというのはどのくらいのものであるのか、太く短くを選んだ場合、その短さというのはどの程度のものとなるのか、それは本当はだれにもわからない。だから選択は、徹底的に命を永らえることを優先するか(可能な治療はすべておこなう)、治療が延命には結びついても苦痛も強めるような場合には、治療しないことも選択肢に入れるかというかなり狭い選択に実際にはなる。


 中島氏は主治医にQOL(生活の質)を最優先にしたいという希望を出している。そして氏自身が書いているように、抗癌剤はQOLを著しく低下させるのである。ジェムザールを3投1休(治療を週に1回で3週間続け、1週間休む、その繰り返し)で使用しているとき、からだが薬をいやだいやだといっていると中島氏は書き、休薬期にはからだが喜んでいると書いている。明らかに抗癌剤は氏のQOLを低下させている。


 肝臓への転移がみつかったとき「ほっとけば余命1年ナシ」と宣言されている。実際には転移発見の13ヶ月後に亡くなっている。さまざまな治療介入は氏の余命を数ヶ月延ばしたのかもしれない。しかし、治療をしなかった場合、もう少し氏のQOLは向上し、もう少し多くの執筆ともう少し多くのライヴ活動ができたかもしれない。それは誰にもわからないことである。だが、抗癌剤などは使わずにQOL第一でいった場合、転移病変が増大し、腹水が出現しということになった時に、抗癌剤を使っていればこうはならなかったのではないかという後悔が生じることになるのもまた避けられないかもしれない。現在可能な最善の治療をしているということが、なにがおきてもそれをやむをえないこととして受けいれるために必要な儀式なのかもしれない。


 転移を宣言された時点で、「でもまあ、本当に「このさきどうなっていくのか」ということは全然誰にもわからないわけで、あるいはおそろしく進行が早くて1年たたずに私はこの世にはもういないかもしれないし、それとも案外に薬がきいて、けろりとして60歳の誕生日を迎えているかもしれないし―まあ、本当にわからないものはわからないんだし、だったらまあ、「人事を尽して天命を待つ」ってことか」と書いている。抗癌剤使用は「人事を尽す」ことなのである。結果として、恐ろしく進行が早かったケースにほぼ相当する経過になったわけだけれども、医療者は中島氏のケースを、ごく平均的な病状の進行と思うだろう。転移が発見されたのであれば、氏がけろりとして60歳の誕生日をむかえる可能性がある思う医療者もあまりいないだろうと思う。抗癌剤は数ヶ月の延命を氏にもたらしたかもしれないが、それ以上に闘病する氏に「希望を処方」していたのだろうと思う。


 「アマゾネスのように」は、中島氏の乳癌闘病記であるが、同時に氏が病気が発見される直前からとりくんでいた、栗本薫原作・中島梓脚本・作詞・作曲・演出のミュージカル「マグノリアの海賊」の公演がはたしてうまくいくかという話が氏の手術と平行して進行し、氏は手術していくらもたたないうちから病院をぬけだして、ミュージカルの稽古の場へと通うとんでもない行状が書かれている。《病院》の白衣と入院患者と通院患者の散文的で消毒液の匂いのする《昼間》の世界と、《ミュージカル》でのイルミネーションとぴかぴかの衣装とダンスと歌、着飾った男女と食器やグラスのふれあう音に充ちた《夜》の世界の鮮やかな対象がこの本の読みどころにもなっている。


 この「転移」でもジャズ・ピアニストとしてのライブを、闘病中であるにもかかわらず毎月のようにおこなっていて、驚くべきことに、死の一月前までライブをおこなっている。しかし、「アマゾネス・・」でのミュージカルが公的なものであるのに対して、「転移」で描かれるジャズ・ライブは友人知人が主として集う私的な性格が強い会のようで、病院の生活とのあざやかなコントラストとはなっていない。「1年生きてたぞライブ」とか「お正月!晴れ着見せびらかしライブ!」とか、まあ、なんというか・・、である。


 「やっぱり私は贅沢が好きだ。きれいな場所、贅沢な場所、おいしいもの、きれいな着物、ちやほやされること、大事にされること、VIPとして扱われること、すてきな音楽を聴いたり、素晴らしい夜景を見たり、豪華な旅行をしたり、 ― そういうことがとても好きなのだ。・・ちゃんと稼いで、ちゃんと贅沢をして、ちゃんと無駄遣いをして、ちゃんと夜遊びをして、それでストレスを解消して元気に生きていなくては、生きている甲斐がない」などと平気で書く中島氏はとても幼児的なところもあるひとで、その氏の闘病にはご主人の存在がきわめて大きいことが本書を読んでいてよくわかる。「私のようなものと結婚しているというのは、きっとずいぶん大変なことだっただろうと思う」などと他人事のように書いているが、本当にそうで、大変な内助の功である。氏のような「外側の薄皮をはがれたウサギみたいな人間」には、その外皮となって保護してくれる存在が絶対に必要なのである。


 「私は精神分裂気質で、やや多重人格の発病直前で、木田恵子さんのいうところの0歳人で、まああまり普通の人間ではない」(「コミュニケーション不全症候群」)という中島氏は宿痾としての摂食障害ももっていて、本書を読んでいて一番気の毒だったは、どう考えても癌に起因する食欲の低下であるに違いない状態を、摂食障害の症状ではないかと悩んだり反省したりしていることである。精神的な問題をかかえたひとなので、調子が悪いのを必要以上に気持ちの問題に結びつけているのも痛々しかった。


 その他、空腹で薬をのんではいけないと思って、苦しくても何か無理して食べたり、逆に、CTをとるための食止めの指示に苦しんでいる。食後と指示してある薬でも空腹でのんでまずいことはあまりないし、食事をとってCTをとっても癌の経過をみるというだけであれば大きな問題はまずないだろう。医療者がほとんど何も考えずに出している食後服用とか、食止め検査といった指示が患者さんをとても苦しめている。排便の問題が一大事であるのと同じで、薬の服用といったことが大病にかかっている患者さんにとっては大問題であるということをわたくしをふくめ医療者はほとんどきづいていないと思う。


 「ガザでは小学校がハマス空爆にあって幼い子供たちがたくさん死んだし」とか「これまで生まれてきた人間はすべて死んでいったのだ。それをどうして、そんなにおそれ、拒むのだろう」とは書いてはいるが、「それにしてもやっぱり私はあと1年か2年しか生きられないんだなあ、と思う。最初は、まあ、それでもいいや、と思ったが、家に帰る途中で旦那と話をしていたり、家に戻って話していたら、やっぱり涙がでてきてしまった」というのが本当なのだろうと思う。そう言ってそのひとの前で泣けるパートナーをもてたことが氏の支えになったのだろうと思う。氏も書いているようにパートナーの存在はとても大事なのである。

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