閉店



 

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σ(-_-) が一番行ったのはのは、九段坂にあった天ぷらのいもやで、
行きたかったけどいつも行列していたのがとんかつのいもやで、
天丼のいもやは、第三位でしたね。


天ぷらのいもやの天ぷら定食だと、一品足さないと
皿が寂しいは、
とうとう、『おしんこ』は注文できなかったは、
とんかつのいもやでは、ひれかつ定食を頼めたことなかったし、
キャベツの大盛りや、御飯の大盛りやお替りは


この店sでは、厨房の職人さんも、
そして、客も黙々と、そしててきぱきと責務を果たさねばなりません。


御飯は、お米を一粒でも残してもいけません。
残すのなら、「御飯軽め」で頼むべきなのです。
大盛りも、お替りも、『(きっと)創業者のお腹一杯になってもらいたい』という気持ちから、
お米を一粒も残さなければ無料です。


神保町で愛され続けて60年


神保町で愛され続けて60年 …… 天丼『いもや』の閉店に隠された “ 人情経営 ” の限界


3月末で閉店するのは神保町2丁目にある 『 天丼 いもや 』 と 『 とんかつ いもや 』 の2店舗が閉店になる。


2月下旬、神田・神保町にある天丼とトンカツの老舗専門店『いもや』が閉店するとの情報がツイッターに流れ、話題になった。
『いもや』といえば1959年の創業以来、この地で半世紀以上営業しつづける神保町の“レジェンド”。


『いもや』が閉店するなんて本当か? その1ヵ月前にも神保町の老舗カレー店『キッチン南海』が閉店との情報が流出したが、週プレNEWSの取材で“デマ”だったことが判明。その際に配信した記事は反響を呼んだ。


だが、“『いもや』も同じパターンであってほしい”との思いは、駆けつけた店先に貼られた告知文によって無情にも打ち破られた。


『いもやは、昭和34年来の約60年に亘って、皆様にご愛顧いただきましたが、3月31日を持ちまして閉店することとなりました。いもや店主』(原文ママ


閉店するのは神保町2丁目にある『天丼・いもや』と『とんかつ・いもや』の2店舗。いずれも故・宮田三郎氏が立ち上げ、現在は妻の静江さんが経営する直営店だ。その場には“最後に食べておかねば”とばかりに連日、店前に行列ができる賑わいを見せている。


パチパチパチっと店内に響き渡る油の音、どんぶりからはみ出さんばかりに盛られる熱々の天ぷらが目の前で揚げられ、これにシジミ汁がついて650円という安さ…。近所の大学に通っていたという50代の男性はこう言って閉店を惜しんだ。


「30年ぶりに来ましたが、味は何も変わってなかったですね。学生時代はご飯粒を残したり、食事中にぺちゃくちゃ喋ってると店主によく怒られたのを覚えています。でも、何も言わずエビ天を1本多めにのせてくれる日もありました。料理だけでなく、店主の人情も味わい深かった稀有(けう)な店…なくなるのは淋しいです」


今のところ、その閉店理由は明らかにされていないが、創業者の宮田氏が10年ほど前に81歳で他界して以降は、妻の静江さんが二代目社長として店を切り盛りしてきた。「静江さんももう86歳。経営を手伝う娘さんも60歳近くになるはず。お体の面でも店を維持するのが限界にきたのでは…」と近所の飲食店店主は教えてくれた。


だが、直営店の元従業員が独立・開業した神保町1丁目の『天ぷら・いもや』、東京・東神田の『とんかつ・いもや』、栃木市藤岡町の『とんかつ・いもや』、青森県弘前市の『天ぷら・いもや』といった暖簾分けの4店舗は残る。


東神田の『とんかつ・いもや』の店主、樋口好雄氏によると「直営店で10年以上働かないと看板を出せない」というのが同店のルール。天丼の店はなくなるが、天ぷらととんかつについては宮田氏の愛弟子たちが直営店と変わらぬ味を守り続ける。


だが、「それもいつまで続くか…」と樋口氏は浮かない表情であった。


「10年ほど前に一番弟子の先輩が亡くなり、オヤジ(宮田氏)の弟子としては私が一番の古株になりました。
もう歳だから踏ん張りがきかなくてね。
60歳で祭日の営業をやめ、65歳で15時から17時まで店を閉めて休憩をとるようになり、70歳になった今年からは営業終了を20時から19時に早めました。“あと5年は”と思ってはいますが、これからは1年1年が勝負だと思っています」


神保町1丁目の『天ぷら・いもや』店主も69歳と高齢で、青森・弘前店の店主は65歳、弟子の中では最も若い藤岡店の店主も60歳を超えているという。


『いもや』に押し寄せる“高齢化”の波に「我々には後継ぎがいない…」との問題が重たく圧し掛かる。「『いもや』は薄利多売の商売だから、自分の子どもに『この仕事をやれ』ったって酷(こく)な話でね」(樋口氏)


同店の商品原価率は、3割といわれる飲食業界の相場を大きく上回る。樋口氏によると、とんかつ定食の場合は5割超にもなるそうで「野菜が高騰している最近はほとんど利益が出ない」とのこと。だが、材料費高騰を理由に値上げはしない、安い食材に切り替えることもしない…その理由について「お客さんはこの料理とこの値段に喜んでくれる。その気持ちを裏切ることはできませんよ」と樋口氏は語ったが、それも創業者から受け継いだ家訓でありポリシーともいえるようだ。


『いもや』は故・宮田氏を「オヤジ」と慕う、家族的なつながりが極めて強い店だ。樋口氏の場合は“いもや歴54年”。1964年3月、中学卒業後に秋田から上京して直営店に入社した。


当時は「天ぷら定食が110円、ラーメンも1杯60円で提供していた」時代。朝6時から夜10時まで交代のないブッ続けの16時間労働が日常で「今なら“ブラック”と言われるだろうけど、あの頃はみんながみんな、『オヤジに認められたい』と目の色を変え、自分の意思で働いていた」と振り返る。


『独立したら、隣にどんな店が出店しても潰れない店を作れ』――それが「オヤジの教えだった」。だが、昔も今も『いもや』は原価率が高い薄利の商売。だから「オヤジからは『大儲けしたかったらウチにいてもムリ。父ちゃん、母ちゃん(夫婦)でできる店を作りなさい』とも言われていた」という。


そのため、直営店から独立した『いもや』は“職場婚”の夫婦ふたりで切り盛りする店ばかり。樋口氏も一緒に働くパートナーとして「一番息が合う」と感じた同期入社(64年4月)のやすのさん(70歳)と結婚している。


「ひとりで1.5人分、夫婦で3人分働くというのが『いもや』の商法です。これが身体に染みついているから、10時間働こうが12時間働こうが全然バテない。下積み時代にそういう身体に作り上げてくれたのがオヤジだったと思っています」


『いもや』に人生を捧げてきた樋口夫婦にとって、宮田氏は「絶対的な人」。「仕事中の私語や言い訳は厳禁。でも、仕事を離れれば実の父親同然に温かい人だった」。店の利益は従業員にも還元してくれ、「2年に一度の社員旅行でハワイに5回、香港やシンガポールにも連れて行ってもらった」こともいい思い出になっている。


しかし、年齢と時代の波には逆らえない。


「今は私も妻も身体が鈍って、回転がきかなくなっています。去年は腰の手術をして、昔だとお昼に70〜80人のお客さんを平気でこなしていたけど、今はどう頑張っても50〜60人が限界。だから直営店が閉店になるってニュースが出てからお客さんがこっちに流れ始めていて、閉店したらもっと増えるのでしょうが、『よし! 頑張るぞ』という気にはならないんです…。言ってしまえば迷惑な話でね(苦笑)。

じゃあ、誰か雇うかって気にもなりません。店にそんな余裕はありませんし、そもそも、今の若いコは飲食店で10時間も12時間も働かないでしょう?」


3月末で閉店する直営店2店舗では、独立した店とは違い7人ほどの従業員が働いているという。今も行列店であることに変わりはないが、行列の長さは昔ほどではなくなり、社員旅行もなくなった。売上げが伸び悩む中で人件費が重荷になる現状に、かつての『いもや』を知るある従業員はこうこぼす。


「今の若い人は私たちのようには頑張れないのよ。8時間労働が常識だし、“ヨシ、売ってやろうか!”って風にはならない。だから人を多めに抱えざるをえず、人件費が上がってしまい、薄利多売の商売が成り立たなくなる…。働き方やワークライフバランスが重視されるこの時代に、“家族的な絆”を頼りにする『いもや』的な人情経営は合わなくなってきているように感じます」


直営店が閉店した後、残る弟子たちの4店舗がいつまで続くかは「我々の頑張り次第ですが、そう長くはもたないかもね(笑)」と樋口氏は言う。


揚げたてでボリュームたっぷりの天ぷらやとんかつを1千円以内で――既存のチェーン店とも違う、ハイコスパでシンプルすぎる無骨な店がなくなるのは淋しい限りだが、できるだけ長く、『いもや』の食を店主の人情と一緒に味わい続けていたいと思う。




うまい肉>肉>豚肉,安うま肉,達人のイチオシ!,揚げもの,食品
【インタビュー】神保町『いもや』が閉店。愛され続けた名店の“知られざる歴史&美味の秘密”を聞いた
中島 茂信中島 茂信 2018.3.7 11:15
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東京・神保町のとんかつ・天丼の名店「いもや」が2018年3月31日で惜しくも閉店。お店の歴史を紐解く、貴重なインタビューをお届けします!



神保町はカレーの街、中国料理の街と呼ばれているが、私は「いもや」の街だと思ってきた。

神保町界隈には「いもや」が点在し、揚げたての美味しい天ぷらや天丼やとんかつを食べさせてくれているからだ。

私は、昼はとんかつ、夜は天ぷらを食べる機会が多かった。夕方、靖国通り沿いにあった天ぷらの「いもや」で食事をしていると、長いカウンターのどこかに、タクシー運転手がひとりやふたり必ず座っていたものだ。安くて旨い店に目がないタクシー運転手が、靖国通りにクルマを停め、天ぷらを頬張っていたのだった。

タクシー運転手、学生、サラリーマン、OL、出版関係者など、ありとあらゆる人から愛されてきた「いもや」が、平成30(2018)年3月31日で閉店する。

長年通ってきた店がなくなるというのはどういうことなのか。自分の中でまだ整理ができていない。ある日をさかいに、大好きな店がこつ然と消える。「いもや」ロスの日々を、これからどうすればいいのか、自分でもまだよく理解できていない。

「いもや」が産声をあげた時代
「いもや」を知ったのは18歳のときだ。

私の初「いもや」はとんかつだった。「人生劇場」(神保町一丁目)の近くにあった店ではない。いまの店である。昭和53(1978)年のことだ。

ご飯を大盛りで頼んだ。食後、お金(500円だったと思う)を払おうとしたら、従業員のオバちゃんに「ご飯をきれいに食べてください」と指摘された。

ご飯茶碗にご飯が数粒ついていただけだったはずだが、いまでいう“食育”を、「いもや」のあのオバちゃんはしてくれたのだと思う。

その話を宮田由香さんにした。

由香さんは、「いもや」の初代社長、故・宮田三朗さん(大正元年生まれ)の愛娘だ。

「最近はそういうことを、親に注意されたことがない人が増えているので、注意しにくい時代になりました。気がついてきちんと食べてくれる人もいるんですけどね」


三朗さんの妻、静子さん(昭和7年生まれ)が二代目社長を引き継いでいるが、ご高齢のため、由香さんが社長代行として店を盛り立ててきた。

「父はパチンコ屋を経営したり、大学芋を作って売っていたと聞いています。昭和34(1959)年、天丼の店があるこの場所に、『いもや』を開業しました」

なぜ神保町を選んだのかは詳らかではないが、大学芋を売っていたことから、「いもや」の暖簾を神保町に掲げた。

入口がふたつあり、片方が天丼屋、もう片方が天ぷら屋だった。カウンターは別々だったが、厨房はひとつで、揚げたての天ぷらと天丼を供していたという。

「古いお客さんから、開業当初は天丼も天ぷらも50円だったと、聞いています」


『値段史年表 明治・大正・昭和』(週刊朝日編)によれば、天丼は昭和30(1955)年が150円、昭和38(1963)年が200円。ちなみに、カレーライスは昭和30年が100円、昭和36(1961)年が110円だった。

三朗さんは創業当初、カレーよりも安く天丼と天ぷらを提供していたようだ。人件費をおさえるためもあったのだろう、妻の静子さんも、よく天ぷらを揚げていたという。

中卒の従業員が多く、男性も女性も住み込みで働いていた。もしかすると映画『ALWAYS 三丁目の夕日』で、堀北真希さん扮する「ろくちゃん」のような少女もいたのかもしれない。

そんな時代に、「いもや」は産声をあげた。


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【インタビュー】神保町『いもや』が閉店。愛され続けた名店の“知られざる歴史&美味の秘密”を聞いた
中島 茂信中島 茂信 2018.3.7 11:15
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東京・神保町のとんかつ・天丼の名店「いもや」が2018年3月31日で惜しくも閉店。お店の歴史を紐解く、貴重なインタビューをお届けします!


「米とおしんこと味噌汁は旨いものを出せ」
創業から数年後、靖国通り沿いに天ぷら専門の三丁目店を開業。その後、神田三崎町、神保町二丁目でも天ぷらを揚げることにした。この国が高度経済成長期を迎え、右肩上がりだった時代、三朗さんは大衆食堂の多店舗展開に着手したのだ。

そして40年ほど前、「人生劇場」の近くに天ぷらととんかつ屋を構えた。現在のとんかつ屋は、「いもや」の長い歴史の中ではいちばんの新参者だそうだ。


天ぷらと天丼の店だった「いもや」が、なぜとんかつを始めたのか。その理由を由香さんは「父から何も聞いていない」そうだ。

「米とおしんこと味噌汁は旨いものを出せというのが、父の口癖でした」

「いもや」で不味いご飯を出された記憶はまったくない。いつも粒が立った温かいご飯だった。大きなガス釜で炊いたご飯を、大きなしゃもじで丁寧におひつに移していたものだ。

「いもや」といえば、シジミの味噌汁。とんかつの「いもや」でもシジミの味噌汁が定番だ。

味噌は赤味噌白味噌ブレンド。20年以上前までは赤味噌白味噌を届けてもらい、三朗さん考案のレシピでブレンドしていたという。現在は「いもや」仕様にブレンドしてもらった味噌を送ってもらっている。

「昔はおしんこ部屋があり、全店舗用におしんこを作っていました。白菜を茎の部分で4つに切り分け、塩をしたものを容器に入れ、重石を置いて水を上げます。それからまた漬けかえるので、手間がかかりました」


いまは早く漬かるように、ざく切りにした白菜を漬け込んでいる。若干作り方を変えたとはいえ、手間がかかることは言うまでもない。朝7時頃から天ぷらのタネを仕込みながら、おしんこの白菜も作っているのだ。


天つゆも自家製。店内でかえし醤油を作る。そのかえし醤油を、かつお節でとった出汁で割り、天つゆに仕上げる。蕎麦屋だとかえし醤油をいく日も寝かせるようだが、「いもや」の場合、その時間も場所もないのですぐに使うのだそうだ。

天ぷら油は、「かどや」のごま油を長年愛用してきた。

「安いものを探せばいくらでもありますが、うちは昔から『かどや』。一度も変えたことがありません」由香さんは言い切った。

とんかつソースも、かつては自家製だった。中濃ソース、ウスターソース、ケチャップをブレンドし、砂糖を加えたものを炊いていた。そのレシピも三朗さんが考えたものだ。ここ数年は手が回らなくなり、業者に作ってもらっているという。


「とんかつを揚げる油は白絞油。香り付けにラードを加えています」と大森金三さんは教えてくれた。

大森さんは、「いもや」と同い年の昭和34年生まれ。22歳のとき、とんかつの「いもや」に入店。以来、とんかつ一筋の人生を過ごしてきた。

「ヤスオちゃんがうちのお客さんで、昔、『ぴあ』で紹介してもらったことがあります」(大森さん)

『なんとなく、クリスタル』で一躍有名になった元長野県知事で、元参議院議員田中康夫さんも、「いもや」を贔屓にしていたというのだ。

「夏はぬか漬けを出していました。ぬか床も自家製。本当ならいま頃から、ぬか床の準備を始めるんだけど……。今年はやっていません、3月で〆るからねえ」

止める決心をしたのは2月のことだ。

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【インタビュー】神保町『いもや』が閉店。愛され続けた名店の“知られざる歴史&美味の秘密”を聞いた
中島 茂信中島 茂信 2018.3.7 11:15
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「いもや」で学んだ、大切なこと

大森金三さん
「店を閉じる理由のひとつは、母が高齢になったこと。あと1年ぐらい続けられるはずだけど、会社に体力があるうちに止めないと清算ができなくなるから。そういう意味でもうギリギリかなあって……。有り難いことに、いまでもお客様に並んでいただいていますが、昔と比べるとやっぱりねえ……」

近年飲食店が軒並み増えてきた。長い行列ができる店もある。コンビニ弁当も昔と比べると美味しくなった。店頭で弁当を売っている飲食店もある。などなど複数の要因で暖簾を下ろす決心をした。

「長年続けてきた店なので閉じるのは悲しいけどねえ……。やりたい思いだけでは続けられないんですよ」

ご飯をきれいに食べることだけでなく、もうひとつ大切なことを「いもや」で学んだ。

天ぷらを揚げる音。パン粉がはぜる音。揚げたてのとんかつを、まな板の上で切るときの小気味いい音。

旨い店は、美味しそうな音も食べさせてくれることを、「いもや」で教えてもらった。

いまも昔も、昼飯時ともなれば店内に行列ができる。けれど、目の前で天ぷらを揚げる音や、とんかつを揚げる美味しそうな音が聞こえてくるので、並ぶのがまったく苦にならなかった。


順番を待ちながら、いつも思っていたことがある。
鍋の正面に座りたい。このことである。

鍋の正面が、「特等席」だった。

27歳の頃、銀座にあった高級天ぷら屋でかき揚げ丼を頼んだことがある。「いもや」の天ぷら定食の何倍もする、高級なかき揚げ丼だったが、店内のどこかにある厨房で揚げたかき揚げ丼は、味も素っ気もなかった。

目の前で天ぷらやとんかつを揚げる職人を目で追いながら、油がはぜる音を聞いていると、ほっとしたものだ。いま、自分のために天ぷらやとんかつを揚げてくれていると思うと、嬉しくなってくるのだ。

温かくて、芳しい香りが立ちのぼる店内で、美味しそうな音を聞きながら、揚げたての料理を頬張る。「いもや」での、そんなひとときが無性に好きだった。

腹をすかせた人を、「いもや」は美味しそうな音と、温かくて美味しい料理でいつも歓待してくれた。廉価で、これほど充実した料理を気兼ねなく、安心して食べさせてくれる店を、他には知らない。

ご馳走様でした。
長い間お世話になりました。
「いもや」と出会えたことに感謝します。
お疲れ様でした。

※営業は2018年3月31日(土)まで。


【天丼 いもや】
住所/東京都千代田区神田神保町2-16
営業/11時〜20時
定休日/日曜
※天丼650円、えび天丼850円(ともに味噌汁付き)、おしんこ100円

【とんかつ いもや】
住所/東京都千代田区神田神保町2-48
営業/11時〜20時
定休日/無休
※とんかつ800円、ヒレかつ1000円(ともに味噌汁付き)、おしんこ100円