「HOTCH POTCH STATION」(NHK教育)でアース・ウィンド&ファイアの物真似をやり、最後にピラミッドのなかに消えたりすると、こんなのガキはわかるのかな、と思ったりもするのだが、子供にもウケてるみたい。
芸人としていまひとつハジけない(とわたしには思える)のは、たぶんいい人だからでしょう。最近は料理ばかり注目されてるのが、ちょっと気の毒。ひさしぶりにディレイニー・メーリング・リストを見に行って、今年の春、テンプル大学教養学部でディレイニー先生が授業を担当することを知った。
タイトルは「Modern Literary Texts: Long Dark Poems」。ノヴァーリスやバイロンやポーやロセッティやランボーを読み、「トリスタンとイゾルデ」第2幕を聴くんだそうで、鳩山由起夫風に言えば「これぞTHE ディレイニー」という内容である。テンプル大学の新入生は幸せだなあ。(しかし、すっかり教師になっちゃったんですね)
マイクル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督「渦巻」(I Know Where I'm Going!、1945)を観た。
主人公のジョーン(ウェンディ・ヒラー)は金目当てに初老の実業家と結婚しようと考えている。結婚式のため、実業家が暮らすスコットランドのキローラン島に向かうが、あいにくの嵐のため、港で足止めを食ってしまう。そこで出会ったのが、1週間の休暇中にキローラン島に帰省してきていた海軍士官のトークィル(ロジャー・リヴジー)。ジョーンは次第にトークィルに魅かれていくのだが……。
……というロマンティック・コメディ。スコットランドの雄大な風景が楽しめるし、呪いの古城やスコットランドの伝説も加味されていて、非常におもしろい。機会があったら、ごらんになって損はない映画です。
ただ、パウエル=プレスバーガー映画のつねとして、主演のウェンディ・ヒラーがちっとも美人じゃないのが難。もうちょっと美人にしたほうが効果的だと思うんだがなあ。よけいなお世話か。明日は同監督の「黒水仙」(Black Narcissus、1947)を観る予定だが、こちらはデボラ・カー主演なので安心です。
「渦巻」の名台詞。
パウエル=プレスバーガーの「黒水仙」(Black Narcissus、1947)を観た。
学校と病院をつくるため、シスター・クロダ(デボラ・カー)ひきいる修道女たちがヒマラヤ山中の村にやってくる。提供された場所は断崖絶壁に建つ古びた宮殿で、かつては王のハーレムだったところ。修道女たちは献身的に働くが、次第に軋轢が生じていく。
魂と肉体の葛藤という深刻なテーマを描いた作品なので、やや重苦しく、わたしはあまり楽しめなかった(軽く楽しいパウエル=プレスバーガー映画が好きなので)。ただ、映像はあいかわらずすばらしく、特に後半、サイコ・サスペンス的な展開になってからは、ぞくぞくする。シスター・ルース(キャスリーン・バイロン)が口紅を塗るシーン、最高。
テクニカラーによるヒマラヤの人工美もすばらしい。全部セットだと思います。もしかしたら、これ、デボラ・カーの修道女コスプレを楽しむ映画なのかも。
ジェイムズ・サリスというと、〈ニュー・ワールズ〉一派で変な短編を書いていた人という印象があるのだが、最近は『黒いスズメバチ』や『コオロギの目』など、ミステリ作家として活躍しているらしい。どちらも読んでないが、ハヤカワ文庫から邦訳が出ているくらいだから、それほど変ではないんだろうと思う。(そういえば、昔、マイクル・バターワースのミステリ長編も翻訳されていたな。これも読んでないけど)
英米ではジャンルごとのセクト主義があまりないのかもしれない。たとえば、マクシム・ジャクボウスキー編『百人の名探偵』(100 Great Detectives, ed. Maxim Jakubowski, Carroll&Graf, 1991)では、ミステリ作家や評論家に混じって、コリン・グリーンランド、ブライアン・ステイブルフォード、キム・ニューマンらが寄稿している。
この本の最大の謎は、マイクル・ムアコックがマージェリー・アリンガムの名探偵アルバート・キャンピオンについて書いていること。ちょっと不思議な気がする。1週間ほど毎日チャーハンを食べつづけたら、さすがに飽きてきた。
やっぱりチャーハンは、具を少なめにして、シンプルにつくったほうがうまいですね。個人的には、しらすとホウレンソウのチャーハンがけっこうよかったので、またつくろうと思っている。(注意——ホウレンソウは別に炒めたうえで加えること)
9日の夕方、日本アカデミー賞授賞式の宣伝番組が放映され、松嶋菜々子がにこにこしながら、「若松監督の演技指導は……」などと語っていた。
もちろん「ホワイトアウト」の若松節朗監督のことなのだが、ついつい、もうひとりのほうの若松監督が松嶋菜々子の演技指導をしているという、ややみだらな光景を思い浮かべてしまった。わたしってバカ?
黒沢清『映画はおそろしい』(青土社)を図書館から借りてきて読んだ。
前著『映像のカリスマ』を読んだときも思ったことだが、文章がものすごく明晰。きっと頭のいい人なんだろうなあ。
「ギャグは人を笑わせる為にのみ存在する」というのは、大変な名言だと思いました。『映画はおそろしい』収録の〈ホラー映画ベスト100〉を読んでいて、ふと思ったが、黒沢清監督は菊地秀行氏とものすごーく話が合うんじゃなかろうか。どこかの雑誌で対談を企画すればいいのに。
1ヵ月ぶりにReading Diaryを更新して、SF系日記更新時刻に登録していただいていることに気がついた。全然迷惑じゃなくて、むしろ光栄なんですが、もうちょっと頻繁に更新しようと反省しました。(すみません、ほとんど本読まないもんで)
「発掘!あるある大事典」(3/18放送)でも、「チャーハンは温かいごはんでつくったほうがよい」と言っていた。そうなのかぁ。
ここで問題なのは、どの程度温かいごはんかということで、いくらなんでも炊きたては水分が多すぎて焦げつくだろう。完全に冷ますのではなく、適度に冷ますということなんだろうなあ。ジャーで保温したごはんなら、ちょうどいいんだろうけど、あいにくうちには炊飯器も保温ジャーもないのであった。実験の結果、炊きたてのごはんのほうがチャーハンにしやすいことが判明した。(つまり、今日の夕食はチャーハンだったわけです)
ただし、この場合の“炊きたて”とは、炊き上がったごはんを充分蒸らし、しゃもじでひっくり返し、ふきんをかぶせてしばらく置いたものを指す。炊き上がりからは最低でも10分間は待たなければならないだろう。
要するに、焦げつくかどうかは、ごはんの温かさや水分の問題ではなくて、中華鍋を充分熱くし、油を充分なじませることが最も重要なようだ。なるほど、なるほど。
Apple StoreからMac OS Xが届いたが、なんとなく気乗りしないので、Mac OS 9.1にヴァージョンアップするだけにとどめた。いや、パッケージのデスクトップ画面を見たら、なんかダサいもんで、ちょっと様子を見ようと思いまして。
そのかわり、といってはなんだが、Mac OS 9.1のパッケージにInternet Explorer 5 for
Macintoshが同梱されていたので、Netscapeに見切りをつけることにした。ついでにメーラーもEudoraに切り換えた。23日に「ベイブ」、24日に「L.A.コンフィデンシャル」が地上波放映された。ということは、デイヴィッド・クロムウェルを2日つづけて見ることができたわけだ。
しかし、「L.A.コンフィデンシャル」を2時間枠で放映するのは、どう考えても無謀だと思う。
Macユーザーの知人(わたしと同じマイノリティ)から情報を得て、メーラーとしてarenaを使ってみる。Eudoraとどちらにするか、ただいま考慮中。
あと、現在、HTMLエディタとして、iMacにバンドルされていたAdobe PageMill 3.0Jを使っているのだが、これはもう生産されていないソフトなので、変更しようかどうか迷っている。選択肢はAdobe GoLiveかMacromedia Dreamweaverということになるが……。まあ、いざとなったらテキストエディタでやるという手もあるけど。
黒沢清監督「カリスマ」(1999)を観た。たぶんアンチ宮崎駿(かつアンチ・アンチ宮崎駿)映画で、一種のウェスタンなんじゃないかと思ったが、ストーリーがよくわからなかったので、なんともいえません。ただ、最後まで楽しく観ることができました。
黒沢清作品で感心するのは、ロケーションがすばらしいこと。本作の療養所跡とか、「回路」の廃工場とか、よくこういうところを見つけてくるなあ、と感心する。
NHK教育の「聴覚障害者のみなさまへ」(3/25放映、ただし昨年12月の再放送)で、手話だけで子供に接するフリースクールが紹介されていた。
子供たちにクリスマスツリーのお絵描きを指導していた先生がこう言った。(もちろん手話なので、わたしは字幕を読んだ)
「こういうふうにイメージをうまく伝えられるのは、手話ならではです。日本語ではこういうことはできません」
一瞬、どきっとした。そうか、手話は日本語じゃないんですね。「学校の怪談・春の物の怪スペシャル」(3/27放映)を観た。
第一話「怪猫伝説」
第二話「何かが憑いている」
第三話「俺たちの学園祭」
第四話「花子さん」という四話構成。全部視聴した結果、わたしは黒沢清監督作品は第二話だと推定した。ところが、驚いたことに第二話は鶴田法男監督作品であり、黒沢清監督作品は第四話だったのだ。
鶴田法男氏の作品をもっと観てみたいと思った。
図書館から借りてきたジョアナ・ラス『テクスチュアル・ハラスメント』(小谷真理編・訳、インスクリプト)を読んだ。
文学上の性的いやがらせ(テクスチュアル・ハラスメント)を過去の実例豊かに論じた本だが、テクハラを受けた女性作家のひとりとして、ニューカースル公爵夫人マーガレット・キャヴェンディッシュという人が出てくる。もしかして、ヘンリー・キャヴェンディッシュの親戚筋にあたる人なんだろうか。
ヘンリー・キャヴェンディッシュはイギリスの有名な科学者だが、ほとんど家から出ずに実験をつづけて、生前はほとんど成果を発表しなかった(マックスウェルが遺稿を整理したおかげで、その真価が公表された)。いまでいうなら引きこもりをしていた人で、唯一残っている肖像画も、本人には知らせずこっそり描かれたもの、いわば盗撮のポートレイトである。
その親戚筋のキャヴェンディッシュ家には、山中に巨大な地下の宮殿をつくって、外出するときはつねに仮面をかぶっていた乱歩の小説の登場人物みたいな人もいたらしい。『テクスチュアル・ハラスメント』に紹介されているマーガレット・キャヴェンディッシュの話を読んで、キャヴェンディッシュ家にはエキセントリックな人が多いんじゃないか、と思った。キャヴェンディッシュ家に関するノンフィクションがあったら読んでみたい。