目玉焼き と言えば、やはりこの逸話
厚木飛行場 に 降り立った マッカーサー は、
直接 は 東京 には入らず、
横浜 の 「 ホテルニューグランド 」315号室 に 宿泊した。
翌朝、マッカーサー は 朝食 に 卵料理 を オーダーした。
アメリカ式 の 朝食 の 卵料理は
「 目玉焼き 」 にしても 「 スクランブル エッグ 」 にしても、
一人 分 で 卵2個 が 通常単位であった。
…… が、2時間 も 経って、
ようやく食卓に出てきたのは 「 1つ目玉 の 目玉焼き 」 であった。
ホテルは、マッカーサーのオーダーを聞いてから
慌てて横浜市内を八方手を尽くして探して
ようやく1個の生卵を確保したというのが真相であった。
マッカーサーは 「 1つ目玉 の 目玉焼き 」 を見るなりすべてを察して、
軍用食料の現地(日本)調達計画の断念と、
これからの占領政策の最重要施策は食料の供給であることを強く認識したという。
と、言われているが ……
完全 に 創作のようである。
しかも、伝わる話にも、いろいろバリエーションがあって、
- オーダー内容で 「 スクランブルエッグ 」 が省かれることが多い。
- 出てきた 「 1つ目玉 の 目玉焼き 」を見て、料理人を叱りつけた話が入ることが多い。
マッカーサーは激怒し、料理人を叱りつけました。
このマッカーサーの怒りに対する料理人の返答。
「 無いんです。 横浜中を探し回りましたが、
この卵ひとつしか手に入りませんでした。」
- 窮状を知った 元帥 の 命令により、ただちに 軍艦 から 食料 が 寄せられた と 結ぶことが多い。
英語だと、「sunny side up」なんて言いますが、
英語の場合、単数複数をちゃんと指示するので、
後ろにeggか、eggsなのかで1つか、2つかが明確になっています
しかも、この逸話が創作された時点では、その内容は、
マッカーサーが頼んだのは、「目玉焼き」と「スクランブルエッグ」
つまり、卵は、最低三個。
…… が、より単純化されて、『』
じゃぁ、真実は?
『 目玉焼き 』 のエピソードは、
マッカーサー本人の回顧録、
同席した副官のコートニー・ホイットニー、
側近軍医ロジャー・O・エグバーグの著書にも記述はなく、
ホテルニューグランド側でも
会長の野村洋三や、
この日マッカーサーを接客したホテル従業員
霧生正子らの証言にも出てこない。
マッカーサー一行に最初に出された食事については、
ホテルニューグランドに記録は残っておらず、
正確なメニューは不明で、
それが朝食であったのか昼食であったのかも実ははっきりしていない。
当時のホテルニューグランド会長の野村洋三の回想によれば、
マッカーサーがニューグランドに着いて最初に出されたのは「遅い昼食」であり、
メニュー は 冷凍 の スケソウダラ と サバ 、どっぷりと酢をかけたキュウリ であった。
マッカーサー は 一口食べると ( 食べたものは不明) 無言 になり、後は手をつけなかった。
マッカーサーらのニューグランドでの初めての食事のウェイトレスをした霧生正子によれば、
当時、ホテルに肉は準備できなかったので、出したのはスケソウダラとポテトとスープであり、
マッカーサーはスケソウダラを見るなり「これはなんだ?」と聞き、霧生が「スケソウダラです」と答えると、
「こんなもの食べられるか」という顔をして手も付けず黙っていた。その後、食後のデザートに出したケーキにも手を付けず、黙って席を立っている。
マッカーサー本人にはこの日の記憶はなかったようで、
自身の回顧録には副官ホイットニーの著書「MacArthur: his rendezvous with history」の記述を引用している。
ホイットニーによれば、ホテルニューグランドでの最初の食事は「夕食のサービス」であり、
メニューはビーフステーキであった。
ホイットニーはマッカーサーの料理に毒が盛られていないか心配し毒見をしたいと申し出たが、
マッカーサーは微笑みながら「誰も永遠には生きられないよ」と言って構わず手を付けたという。
マッカーサーの側近軍医エグバーグ医師もその食事の席に同席していたが、
メニューはスープとバター付きパンと冷凍の副食(食材は不明)だったと著書に記述している。