2002年1月




 皆さま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 大みそかは例年どおり、年越しそばを食べながら紅白歌合戦を見てました。普通、年越しそばというのは素そば(?)なんでしょうが、小松菜を入れて、仕上げにしょうが汁を絞ったらおいしかったです。

 わたしは〈ハリー・ポッター〉シリーズを1冊も読んだことがないのですが、翻訳された松岡佑子氏が紅白の審査員席に並んでおられるのを見て、そのブームぶりを実感した次第です。梨田監督は? まあ、若松監督もいなかったからいいか。

 これから初もうでに行って、ひと眠りしたら雑煮をつくる予定です。


 年越しにずっとインド映画を放映していたNHK教育はちょっと偉いかもしれない。

 そんなインドから言わせると、パキスタンテロ支援国家であるらしい。


 年の初めにこれだけは書いておきたいが、今年はサッカーワールドカップの年ではなく、横溝正史生誕100周年の記念すべき年である。お間違えなきよう、そこんとこヨロシク。

 開会式を約1週間後にひかえた5月25日は、たぶん日本国民の大部分がサッカーのことしか考えていないだろうが、心ある人は横溝正史の誕生日を祝いましょう。(って、わたしも忘れてしまいそうなので、書きとめておきました)


 朝、うっかり鮭ごはんをつくってしまい、あまつさえ残りをチャーハンにして食べた時点ではたと気づき、あわてて午後から雑煮をつくった。


 三が日雑煮事情。

基本スープ 餅以外の具
1 コンソメ、ニンニク、カレールー 手羽先、タマネギ、ニンジン
2 かつおだし、しょうゆ タマネギ、ニンジン
3 鶏ガラ、ニンニク、鷹の爪 ピーマン、ベーコン
4 お茶漬け海苔 なし
5 鶏ガラ、タマネギ、ニンジン、ニンニク、しょうが、鷹の爪 なし

 (4)は、焼いた餅に市販のお茶漬け海苔をかけてお湯を注ぐという簡易雑煮。秋月りすのマンガで覚えた裏ワザである。

 (5)は、すりおろしたニンジンとよく炒めたタマネギを鶏ガラスープで煮込んだあと、クッキングペーパーでこしたものが基本スープ。甘辛い不可思議な味がしたので、キャロットスープかオニオンスープのどちらか一方にしたほうがよかったかもしれない。

 やや意外なことに、いちばんおいしかったのは(3)でありました。


 というわけで、2泊3日で名古屋に行ってきた。

 第一の目的は大学時代の友人たちとの新年会だが、わたしの胸にはもうひとつの目的が秘められていた。それは……レンズ豆を買うことだっ!(切れかけてるんです)

 まずJR名古屋駅のJR高島屋地下食品売場をあたったが、見つからない。

 しかたなく、地下鉄で栄に出て、三越地下食品売場を探すも、やはりない。最近のデパチカはお総菜とジャンクフードが主力なんだなあ、とKIHACHIの濃厚牛乳ソフトクリームを食べながら痛感したわたしである。

 つづいて、丸栄地下食品売場に行ったが、ここにもない。名古屋人はレンズ豆食わんのか? これではせっかく名古屋まで買い出しに来たかいがないではないか。

 途方に暮れていたわたしだが、ここでひらめいて、明治屋に行き、ついに発見しました。フランスからの輸入品で、「Lentille verte du Puy」(ピュイ地方産緑レンズ豆)と書いてある。フランス語でレンズ豆は「lentille」っていうんですね。形容詞が「verte」ということは女性名詞だ。

 これでわかったが、少なくとも名古屋では、レンズ豆は外人しか食わないらしい。


 名古屋の友人に誘われて、コメダ珈琲店シロノワールを生まれてはじめて食べた。ひと言でいえば、生クリームを山盛りのせたパンケーキで、メープルシロップをかけて食す。もう、頭が痛くなるほど甘い。甘党の人はぜひ一度お試しあれ。

 わたしが気になったのはシロノワールという名前の由来。ネットでの調査によると、これは「sirop noir」(黒いシロップ)の意であるらしい。sirop
noirシロノワールと表記するのはたぶん正確だし、実際、フランス語でsirop noirは「糖蜜」を意味するようだ。意外にもオーセンティックなネーミングなんですね。

 追記。名古屋の友人からメールをもらい、シロノワールの上にのっているのは生クリームではなく、ソフトクリームであることが判明。「温かいデニッシュ生地のケーキの上に冷たいソフトクリームをのせ、少し溶かした状態でメープルシロップをかけて食べる」らしい。そりゃ甘いはずだわ。


 名古屋の街を散策中、ずっと、

「こういうキャメルのコートは日本人には難しいわねえ」

「あなた、おなか出てるんだから、ベルト1本巻いたほうが目立たないわよ」

「んもう、あたしがあれほど口を酸っぱくして言ってるのに、ボンレスハムみたいな網タイツ穿くなんて!」

「人差し指に指輪すると、男できないのよぉ」

 などとファッションチェックごっこをやっていたわたしです。もちろん、心のなかでつぶやいていただけで、口に出しては言ってませんよ。それに、わたし自身はファッションに何ひとつ気をつかわない人間です。


「チューボーですよ」をヒントに、炒めたタマネギとトマトをベースにカレースープをつくったら、酸味が加わって、けっこうおいしかった。具は鶏胸肉、ニンジン、レンズ豆。ターメリックもクミンシードもシナモンスティックも持っていないので、市販のカレールーを使用。

 今朝はその残りに餅を投入して朝食に。レンズ豆が餅にからんで、カレーぜんざいみたいな感じ(もちろん甘くはない)。これもなかなかよろしい。


 昨夜、NHK関係者が拙宅を訪れ、「受信契約をしろ」と言った。

 毎日テレビを見ているわたしとしては、受信料を払うことにやぶさかではないのだが、突然やってきた見も知らぬ男の言うままに契約書にハンコをつくのは、抵抗がある。そこで「一応パンフレットをください」と返答した。

 そうしたら、唐沢なをきNHKファイト」というパンフレットをくれた。唐沢なをきが2000年5月頃に描いた広告四コママンガが5本収録されている。唐沢なをきマニアの人は、NHKに行って、このパンフレットをもらってくるといいと思う。(未収録作品があるかどうかまでは知らない)


 以前からスパゲティ用にバジルは常備していたのだが、せっかく年も明けたことだし、もうひとつ何かスパイスを使おうと思い立って、ローズマリーを買った。

 スパイスというのは焦がしてはいけないらしいので、あらかじめオリーヴオイルをしいたフライパンにローズマリーを入れてから、火にかけて加熱していく。そうすると……焼きそばの匂いがするのだよ。

 せっかくおしゃれなスパイスを使ったすてきな洋風ディナー(<嘘)をつくろうとしているのに、「あー焼きそばの匂いだ」と思うと、ちょっとがっくりくる。まあ、これはわたしの育ちが悪いからで、「ローズマリーのいい香りがしてきた」と思わなければならないんだろうなあ。それにしても、焼きそばソースにはローズマリーが入ってるんですかね。


 今年初めてキムチ鍋をつくった。

 最近発見したのだが、我流キムチ鍋のポイントは春菊であるらしい。理由はさだかではないけれど、春菊を入れるとそんなに辛くならないのである。おそらく春菊のなんとか成分と唐辛子のなんとか成分が反応しているのではないかと推定されるが、そういう科学的なことは知らない。ためしてガッテン」にでも訊いてください。

 この大発見をふまえて、キムチ鍋をつくろうと思い立った日には、絶対春菊を買うことにした。どんなに高くても買う。今日なんか158円もしたのに買ってきたぞ。(もちろんうどん玉も買った)


 愛用していたFrench/English Dictionaryが改悪に改悪を繰り返しているので、うんざりしている。

 アクセスすると、いきなり辞書のAの項目を全部表示するものだから、重くてしかたがない。オンライン辞書でAの項目を全部読みたいやつなんているわけねーだろっ! 知りたい単語をサーチするために使うに決まってるじゃないか。ここのwebmasterはいったい何を考えているのかね?


 1月10日、兵庫県西宮神社の一番福に選ばれた人の職業が宣教師という点に、なにかしら釈然としないものを感じるわたしです。ルイスサンチェス神父は激怒するんじゃないか。


 市川崑NHK初演出の金曜時代劇「逃亡」をちらっと見たんだけど、真っ暗ななか、捕り縄がひゅーっと飛び、宅麻伸がすごいパースで引っぱったりしていて、「あーやってるやってる」と思いました。ただ、ビデオ撮りなので、「漆黒の闇のなか人物だけ浮かび上がる」というわけにはいかなかった模様。市川崑の昔の映画、DVDで出ないかな。「雪之丞変化」とか。


きょうの料理」でネギマのつくり方を紹介していたので、つくってみることにした。

 ネギマは漢字で「葱鮪」と書く。名前のとおり、白ネギとマグロの切り身と焼き豆腐の鍋である。

 わたしがこの料理の存在を知ったのは、都筑道夫〈なめくじ長屋捕物さわぎ〉シリーズの一編を読んだとき。手元に本がないので記憶で書くが、確か、なめくじ長屋の一行が化け物寺で寝ずの番をすることになり、本堂に用意されていた料理がネギマであった。「寒いから葱鮪とはありがたい」みたいな台詞があったような気がする。

 かつて、このくだりを読んで以来、ネギマとはどういう味がするのか、ずっと気になっていた。昔から食い物のことしか頭になかったということかな。で、今回つくり方を知り、試してみることにした次第。

 江戸時代、マグロは下魚であり、特に脂身の多いトロの部分はアラとして捨てられたり、肥料に転用されるほどであった。したがって、ネギマは寺の住職が貧乏長屋の連中にふるまう程度のごちそうだったわけだ。

 しかし現在、マグロは高級魚とみなされ、トロや大トロが珍重されるようになっている。

 本日、わたしはネギマをつくるべく、スーパーでマグロ冊切り身2パックを購入したわけだが、思わず鮮魚コーナーで卒倒しそうになったよ。春菊158円が高いと思う人間にとっては、一世一代の買い物である(<おおげさ)。

 で、たったいま食してみてわかったのだが、ネギマはマグロ料理ではない。マグロのうまみが染み出ただし汁でネギと豆腐を煮る料理である。マグロの身そのものはパサパサのフレーク状になってしまい、味のほとんどはだし汁に移っている。

 要するに、下魚の捨てるような部分だから、だしに使おうという発想の料理なのだ。魚のアラや鶏ガラや豚骨からスープをとるのと同じ。

 原価計算から察するに、料理屋でネギマを頼むと、「江戸情緒あふれる高級鍋料理」という意味づけで提出されるんじゃないかな。実際にはそんな料理ではないし、それではこの下世話な味が出ないだろうから、自分でつくったほうがいい。贅沢なんだか質素なんだかよくわからないビミョーな雰囲気がかもしだされて、なかなかよいですよ。

 あとでうどんを買ってきて、残りはうどんすきにする予定。


 というわけで、ようやく風邪から復活をとげたわたしである。

 この2日間、お粥を食べ、もやしとニラのスープ(ニンニクと鷹の爪たっぷり)を飲み、ライナス・ポーリングを信用してビタミンCサプリメントをむさぼり食い、主に眠ってすごした結果、みごとに体調回復。頭痛も鼻づまりもほぼ完治した。今回も風邪薬を服用せずにすんで、まことにめでたい。ただ、鼻をかみすぎて鼻の下が真っ赤だし、寝すぎて腰が痛いです。


「初体験」を見てあらためて思ったこと。水野美紀って、きれいだけど、いかついね。女性アスリート役とか似合うんじゃないでしょうか。アクションができるなら、女カンフー物も希望。


 水曜日なので「2時ドキッ!」を見た。

 ピーコという人はものすごく手先が無器用だし(なんでも鶴も折れないらしい)、信じられないかもしれないが、非常に口下手である。何かをきちんと説明しなければならない立場になると、口調はたどたどしいし、話のだんどりは悪いし、見ていてハラハラする。ご本人もそのことがよくおわかりらしく、レクチャーめいたことはあまりしたくないように見受けられる。

 そのかわり、ファッションチェックに代表されるような瞬発的な話芸はみごとで、特に比喩のすさまじさは舌を巻くほど。

 たとえば今日(1/16)の放送では、けっこうな重ね着をしたうえに毛皮を着た女性を「落ちぶれたロシア貴族の家のお手伝いさんみたい」と形容し、さらに「こんな格好見たらトルストイでも驚きます」ととどめをさしたので、ひっくり返って笑った。

 あと、ファッション生バトル(視聴者がスタジオでピーコに生で指導してもらうコーナー)で、ある参加者の着ていた毛皮の裏地がついた上着を見るや否や、「まー死んじゃった猫みたいなのつけちゃって」と言ったのにも大笑いした。

 わたしはこれを聞くために毎週欠かさず「2時ドキッ!」水曜日を見ている、と言っても過言ではない。(もちろん、木場弘子の色物ぶりもすばらしいし、司会者4人の和気あいあいとした雰囲気も好きです)

 わたしの知るかぎり、こうした比喩の名手にはもうひとり、松本人志がいる。松ちゃんVSピーコの喩え対決というのを、ぜひ見てみたいなあ。芸風がかみあわないから無理かな。


クローズアップ現代」(NHK、1/16放映)に噂のモフセン・マフマルバフ監督が出演していたけど、なんかニコラス・ケージがドラキュラ伯爵になったような顔をしていた。(ああ、こんな喩え方ではまだまだピーコや松本の域にはほど遠い……)


 シリーズ物というのは、つづけるうちに整合性をとるのが難しくなってくる。以前の作品に何を書いたかを作者自身が忘れてしまいがちだからである。

石動戯作シリーズ〉も早3作目を数えたので、そろそろ少しは設定を詰めておいたほうがいいだろう、と思い立ち、とりあえず生年月日だけ決めることにした。こういうことはへたに考えたりしないほうがいいので、表計算ソフトの乱数関数にお任せすることにして、


石動戯作1967年9月8日生まれ

水城優臣1952年7月18日生まれ

●鮎井郁介1960年9月7日生まれ

 と決定した。たったいま決めたことだが、作者が言うことなので、これは事実です。

 乱数で適当に決定したあと、ふと思ったのだが、生年月日が決まれば、占星学的な運勢や性格もわかるではないか。

 そこで、NTTデータ通信の細密占星術ページで調べてみることにした。そうしたら、けっこう当たっているような気もする結果だったので大笑いしました。詳しくはこちらをごらんください。


 というわけで、2002年1月19日で38歳になったわたしです。

 35歳くらいからジジイ化して、現に独居老人のような生活をしているわたしとしては、特に感慨はありません。今日も普通に生活するでしょうな。


 今年のサッカーW杯で、メキシコ代表のキャンプ地は北海道栗山町に内定していたが、某県某町が誘致しようとしはじめた。某県某町はこれまでブラジル代表などいくつかのキャンプ誘致に失敗しており、次はメキシコ代表に目をつけたわけだ。この横やりに、町民運動として最初からメキシコ代表キャンプ誘致をめざしてきた栗山町は激怒しているそうな。

 どうして地方自治体が躍起になってサッカーW杯のキャンプを誘致したがるのか、ずっと不思議に思っていた。だって、大変なだけでしょう。施設を用意して、宿泊費用を負担して、警備も万全にしなくちゃいけないわけだから、金がかかるばかり。わたしの感覚ではボランティアとして手がけるべきことで、なぜ「どこの国でもいいから誘致したい」という発想になるのか?

 今回、上記の報道を見聞きして、やっと理由がわかった。サッカーW杯のキャンプを誘致すると、11億円の経済効果が見込まれるんだって。

 スポーツ文化事業として取り組むならともかく、サッカーにさほど興味もないくせに、町おこしとか経済効果目当てに誘致活動をするのはやめなさい。「経済効果11億円」ったって、11億円もらえるわけじゃないよ。だいたい誰が言ってるんだ、そんなこと?

 追記。てなことを言っていたら、某県某町がメキシコ代表キャンプ地に決定したらしい。某県某町とは、福井県三国町である。なんか1億円くらいの予算を提示したらしいよ。ひどいもんだ。申しわけないが、わたしは今後、サッカーW杯メキシコ代表キャンプに関しては、あらゆることを黙殺する。「経済効果11億円」の一翼を担いたくないからである。


 たぶんママさんコーラスの練習ではないかと思うのだが、裏の公園で3人くらいの女性がギターを伴奏に「千と千尋の神隠し」のテーマをえんえんと歌っている。

 お願いですから、やめてくれませんか? いや、なんか歌声喫茶みたいで気持ち悪いんだもん。(もう終わりましたが)


「新・男の食彩」の確か藤村俊二がゲストの回で、イタリア人シェフ(カルミネさんという有名な人)がこんなスープを供していた。

 薄切りのフランスパンをバターソテーし、深皿の底に置く。その上に生卵を割りのせる。さらに、その上から熱いスープを注ぐ。

 ふむ、これはどんなふうになるのだろう、と好奇心を覚えたので、つくってみた。家にバターがなかったので、フランスパンはオリーヴオイルにひたしてからトーストし、スープの具はホウレンソウとベーコン。

 実際やってみると、割りのせた生卵は超半熟というか、薄皮1枚固まっただけの状態になった。「こういう卵こそ美味である」と主張する人もいるだろうが、わたしはとろとろの卵をあまり好まない。火を止めた直後のスープに卵を溶き入れるローマ風スープというやつも、あまりおいしいとは感じない。溶き卵を細く筋状に流し入れ、しっかり火を通してふわふわにした中華風卵スープのほうがいい。

 しかし、フランスパンのほうはめっぽううまかった。耳というか、皮というか、とにかく周囲のパリッとしたところはまだいくぶんパリッとしたままで、白い中身のほうはスープでふやけてグジュグジュになっている。

 あんまりうまかったので、今度はもうちょっと厚切りのオリーヴオイルトーストを入れ、生卵はのせずに、スープを注いでみた。こうするとフランスパン粥のような風情も出てきて、やはりおいしい。

 というわけで、今後スープをつくるときはフランスパンを欠かさないことにしたわたしです。ただし、これはフランスパンそのものがそれなりに美味でないとだめなので、専門のベーカリーでちゃんとしたものを買ってくださいね。


 どうやらわたしは本当に食べ物のことしか頭にないらしい。

 たとえば、15年以上前に読んだ村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は、どういう話だったかほぼ完全に忘れて、唯一覚えているのはキューカンバー・サンドイッチがうまそうだったことだけ。

 一時期、集中的に読んだ森茉莉も、小説のほうはやはりほぼ完全に忘れ、覚えているのは料理のエッセイばかり。パセリのオムレツのつくり方とか、ビスケットはビスキュイと呼んだほうが雰囲気が出るとか、そういうことばかり記憶に残っている。

 森茉莉の料理論は独特のもので、わたしなりにパラフレーズすると、「料理の素材や技術に凝るやつはバカ。料理にいかに念をこめるかが重要である」というもの。いかにも森茉莉らしい偏向した意見だが、これはこれで正解なんじゃないかと思う。


 1月20日、芸術劇場(NHK教育)で「トラヴィアータ」(Traviata a Paris)を見た。

 イタリア国営テレビ局RAI製作の「椿姫」で、パリにロケーションして、まるで映画のように撮影されている。ここまでは普通だが、恐ろしいのはこれが生放送だったこと。2000年6月3・4日に、全世界100か国以上に生中継されたという。演技も生なら、歌も生、当然オーケストラの演奏も生である。指揮はズービン・メータ、撮影監督はヴィットリオ・ストラーロだ。

 なんとなく見はじめて、あまりのすごさに完全視聴してしまった。これを生放送でやったとは、信じられない。だって、鏡だらけのパーティ会場でカメラが動き回ったりしてるんだよ。おそらく綿密に撮影の手順を決め、徹底的にリハーサルをやったのだろう。恐るべき労力と完璧な出来映えに脱帽。2001年度エミー賞を受賞したのも当然。真の意味でクリエイティヴかつチャレンジングなテレビの企画である。ビデオソフトがあるのなら、断然おすすめする。

 ただし、ここまでリアルかつ映画的に再現すると、「椿姫」がいかにばかばかしいストーリーかも明らかになってしまう。オペラハウスでの上演なら、観客は一種の魔法にかかってひたすら感動するだけなのだが、リアリズムの手法で物語ると、そのイディオット・プロットぶりが露呈してしまうわけだ。オペラはそれでいいのだが、映画(あるいはテレビドラマ)だと成立しないわけで、なかなか難しいものです。


 夜中、小腹が空いてきたのだが、冷蔵庫を開けると、ジャガイモと卵しかない。ほとんどからっぽで、電源を入れているのがもったいないくらい。ここまでくると、いっそ爽快な気分である。

 しかたがないので、ジャガイモのパンケーキをつくった。ジャガイモと小麦粉と卵を混ぜたものをフライパンで焼くだけ。この際、すりおろしたジャガイモを使うともちもちになり、ゆでてつぶしたジャガイモを使うとふわふわになる。ちなみに、ゆでてつぶしたジャガイモと卵数個を混ぜて焼くと、スペイン風オムレツになる。(正式には、ゆでるのではなく、低温の油で煮たジャガイモを使う。だが、こうすると油っこくなるので、わたしはあまり好まない)

 今日はふわふわヴァージョンを製作。いつもはトマトケチャップを塗って食べるのだが、あいにくトマトケチャップもない(わが家の食料事情はどうなっとるのかね?)。そこで、しょうゆを薄く塗って食してみたのだが、なかなかよかった。

 こういうのをビンボーくさいと思う人もいるかもしれないが、わたしは日々けっこう満足してます。


 今週の「2時ドキッ!」水曜日(1/23放映)。

「木場さんはねえ、20歳すぎたらいきなり33歳になっちゃったのよ。それがこの人の不幸よねえ」

 と、ピーコが言ったら、木場弘子がこう返した。

「そうよ、飛び級よ!

 ああいう環境で1年間すごすと、さすがに鍛えられるんですね。感心しました。


 たったいま「笑っていいとも」で知ったのだが、ソルトレーク冬季五輪の取材で、大坪千夏が1ヵ月間ソルトレークに出張するらしい。現地レポート担当なのか。

 毎日大坪千夏が見られるのなら、フジテレビの冬季五輪番組を視聴してもいいなあ。(わたし、ファンなんです。昔、大坪千夏のためだけに「殿様のフェロモン」という俗悪深夜番組を毎週見てました。若くて無茶させられてる頃のナイナイも見られましたけど)


 タマネギが半個残っているから、タラを買って、夕食はリゾットにするかなあ、なんて考えながらスーパーに行ったら、やたらにタラが高かった。しかたがないので、いちばん安かったカワハギを生まれてはじめて買った。

 家に帰ってさばきはじめてわかったのだけれども、カワハギは身が骨に固くくっついているし、皮はざらざらだし、ひれはちくちくする。さばきにくいことはなはだしいうえに、身もほとんどついていない。こりゃ安いわけだ、と納得しつつ、ひいひい言いながら切り身にして、コンソメスープに投入。

 タマネギをみじん切りにして、さて米といっしょに炒めようかと思ったとき、オリーヴオイルが切れていることに気がついた。しかたがないので、ゴマ油でタマネギと米を炒め、先ほどのコンソメスープに投入。

 しばらく煮たらできあがったので、皿に盛り、仕上げにパセリをふろうとしたら、瓶を間違えてバジルをふりかけてしまった。

 これでものすごく美味だったら大発見だが、全然そんなことはなく、いつもどおりの普通の家庭料理の味。わざわざカワハギと格闘してまで、またつくろうとは思わない。

 いつもどおりひとりで黙々と食したあと、皿を洗いながら、「これからも工夫次第で生きていけるかもしれない……」と思った。そうだ、明日オリーヴオイル買うの忘れないようにしないと。


 スポーツニュースを見ていて思ったこと二題。

 清水エスパルスのアレックス選手が日本に帰化したら、マスコミはいっせいに、彼を「三都主(サントス)選手」と呼ぶようになった。

「外人は愛称でもいいけど、日本人になったんだから、きちんと名字で呼ぼう」ってことでしょうか。こういうのを悪しき形式主義という。アレックスでいいじゃん。

 祝ジェニファー・カプリアティ全豪オープンシングルス優勝。でも、さんま工場長はマルチナ・ヒンギスのほうがごひいきらしい。そうかなあ。女性として考えても、わたしは断然、カプリアティ派ですが。だって、ヒンギスって野村沙知代に似てるじゃん。


 ふとテレビを点けたら、大橋巨泉が「とくダネ!」に緊急生出演していた。(そのあと「スーパーモーニング」にも出てた)

 参議院議員でいるよりも、ワイドショーに出演して持論をぶったほうが、より自分の主張が人々に伝わるって? それは、司会者が真摯に質問してくれて、スタッフが全員自分を注目して、テレビカメラが自分だけを写していることからくる錯覚です。視聴者は芸能として見るに決まってるじゃないか。あんたの政治的主張なんて聞き流しながら、「あー大橋巨泉が出てるよ」と思うだけだろう。

 視聴者はテレビに映るものをすべて芸能として見る。このことを現在最もよく承知しているのは、小泉純一郎である。彼が藤原紀香と並んで写真を撮ったり、X
JAPANのコンサートに行ったりするのは、そうすることで人気が確保でき、ひいては政権安定につながるからだ。素人の小泉純一郎でさえわかっていることを、かつてテレビのプロだった大橋巨泉がなぜわからないのか? セミリタイアしてボケたのかね。

 要するに、議員辞職の真の理由は「ちやほやされないといや」「注目されてないといや」ってことじゃないか、とわたしは疑ってます。もう芸能人を政治家にするのはやめませんか? まあ、小泉純一郎のように政治家が芸能人になるケースもあるけど。(こういうのをポピュリストといいます)


 あいかわらず大雪なのだが、食料が切れてこのままでは飢え死にしかねないので、スーパーに出かけた。

 そうしたら、トイレットペーパー(12ロール入り)が特価198円で売られていた。ちょうど切れてたんだよ、やったなあ、とうれしくなって、レジで会計をしたあとに気がついた。外は大雪だよ。

 しかたなく、雪の降りしきるなか、トイレットペーパーを片手にさげ、半泣き状態で帰宅しました。おれは鮒子か。