幼女戦記
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ああ
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第六八話 カルロ・ゼン 2012.04.12 01:12
その日、対連合王国諜報作戦を担当する対外諜報局は珍しい客らに占拠された。
普段は、物静かな室内にぞろぞろとだ。
内訳は、参謀本部の高官ら数名と、どこからどう見ても場違いな魔導中佐殿。
まあ、保安担当の士官が通している以上問題はないのだろう。
それでも、同じ参謀本部の一角に存在するとはいえ、ほとんど誰も足を向けない区画だ。
こんなところに、大勢押し寄せてくるとは!と誰もが思う。
まあ、職業がら誰もが表面上は無関心を装い職務に邁進するのだが。
加えて、今回ばかりはお偉方の期待も理解できた。
「モーゲル33よりリーゼンコントロール。」
「こちらリーゼンコントロール。お使いはどうだ?」
先日、対連合王国諜報作戦の一環として空挺投入された情報部員。
彼らは海軍関連施設の破壊工作に従事すると、誰もが聞かされている。
潜水艦作戦にとって脅威となる護衛駆逐艦の稼働率低下。
それを主目的とした撹乱工作だ。
重要度を考えれば、通商破壊作戦に期待する参謀本部のお偉方がやってくるのも納得できた。
「無事に成功。繰り返す。無事に成功。」
無言で、通信人らが拳をぶつけ合う。
“お使いの成功”とは、要するに無事の侵入成功を意味するシグナル。
万が一、拘束された際にエマージェンシーを告げるべき『打ち間違い』もなし。
完璧だった。
しかし、彼らがもしも少しばかり好奇心を働かせれば違う結果を予期したことだろう。
「リーゼンコントロール了解。お買いものリストを確認せよ。」
「モーゲル33了解。お買い物リストを確認。」
順調極まりない作戦行程。
思わず、誰もが浮かれた表情になってしまう。
「お財布は持ったか?」
「問題ない。いつでもできる。」
装備の確認もクリア。
空挺投下した爆薬一式の回収成功は最高の朗報だった。
なにしろ、事前の計画では爆薬回収時が一番露見しかねない部分だ。
降下装備一式の隠匿と、爆薬の回収に成功。
ここまでくれば、一先ず峠を越したといえる。
「リーゼンコントロール了解。お迎えの手配は予定通りで問題ないか?」
「現状では、問題ない。変更があれば、次回までに送る。」
「了解。幸運を祈る。」
こうして開始された破壊作戦。
作戦自体は、ほとんど理想的と言えるほど順調に進展。
報告によれば、数か所の燃料貯蔵庫と対潜爆雷工場の爆破に成功。
連合王国の新聞は、無能な政府を攻め立てる論調とスパイへの警戒を連日叫んでいる。
叙勲委員会は、作戦に参加したエージェントらの功績を検証することを確約してくれた。
後は、回収するだけ。
そう、侵入し情報や機密を収集したエージェントらを回収するのだ。
密かに夜間侵入する潜水艦がその任に就くことになっている。
だが、彼らはそこで躓く。
「リーゼンコントロールより、モーゲル33」
定時通信に向かう担当者の顔は、これまでの楽観ムードとは裏腹に悲観的になりつつあった。
「救援に派遣した潜水艦が、撃沈されたため回収は中断される。」
参謀本部は、異例の成功をおさめたエージェントらの回収に艦隊型潜水艦を特派するという好意を示した。
夜間浸透用に新鋭の艦を、ベテランの指揮するクルーからなるメンバーが操縦。
U-234、コードネームは“ロス・ジャルディン”。
しかしながら、再接近後“ロス・ジャルディン”は不運にも有力な対潜部隊との接触を報告。
その後、消息を絶ってしまった。
海軍によれば、作戦行動中行方不明という扱いだが実質的に喪失したとのこと。
「モーゲル33了解。できるだけ、早期の再開を希望する。」
「リーゼンコントロール了解。再開は未定なれども、最善を尽くす。」
打開策を模索。
誰もが、懸命に英雄たちを回収するべく知恵をめぐらす。
そんな諜報活動をよそ眼に、数人の高級将校は同様に知恵を巡らしていた。
問題は、手元に突きつけられた結果の深刻さに誰もが唖然としてしまったことにある。
「条件は確認されました。投入されたエージェントらが全て“成功”を打電しています。」
意気揚々と。
その表情は形容しがたいが、敢えて形容するならば得意げに。
作戦の発案者であるデグレチャフ中佐は結果を報告する。
なにしろ、彼女の発案した計画。
たった一言ひっ繰り返すだけの奇術。
「・・・まさか、降着時点で“失敗”を誰も打電できないとは。」
それだけで、投入した情報部員がダース単位で拘束されたことを物語っている。
たった2度だ。
一度は、空軍の候補地偵察活動報告。
二度目は、輸送部隊への投下命令。
たった二度、通信を利用しただけで降下予定地が割れていた。
降下に成功し、潜入活動を開始するべきエージェントから送られてきた『成功』の報告。
それは、本当に成功ならば『失敗』と打電されるはずだった。
にもかかわらず、全員が誇らしげに『成功』を打電。
要するに、捕まったか殺されたという事だろう。
「投入地点が漏えいしたか、それとも暗号が解かれたかのどちらかでしょう。」
この時点では、まだ偶然を疑う声も見られた。
また、半信半疑の将校らは確証を欲していた。
検証実験が行われるのは、当然の帰結だろう。
そして、その検証実験の結果がつい先ほどの回収失敗という報告になる。
「ロス・ジャルディン号実験の結果は明瞭かと思われます。」
存在しない幻島に絡んだ、デコイによる作戦。
暗号通信のみ、実在する艦のモノを流用したが結果はどんぴしゃだった。
「V-2をデコイとした試験でしたが、指定海域に到着と同時にヘッジホッグの嵐です。」
デコイとして張りぼてを作成。
魔導師が密かに、指定海域に接近させたところ激烈な歓迎を受けたという。
位置座標は、ほとんど偶然の一致というには厳しい。
なにより、位置を読まれていたことは解読されたと解するには十分すぎる証拠だ。
「・・・解読された。そう判断するほかにないでしょう。」
「異議はありません。」
機密保持を担当する将校らの表情は蒼白を通り越して、色が全滅しているかのようですらあった。
そもそも、暗号が解読されるという事が彼らには想定されていないのだ。
これまで流出したであろう情報、対抗措置を講じるまでの損害を勘案すれば、途方に暮れたくもなる。
「・・・・・・・・・・・・・・・では?」
「戦略欺瞞作戦を開始致しましょう。」
誘惑に成功した悪魔の微笑み。
如何にも、愉快気だと朗らかに笑い告げる口。
朗々と口にされる内容。
それは、寒々しい室内をして背筋をうすら寒くするには十分だ。
狭い室内に集まった男達。
文字通り、連合王国の命脈を委ねられた俊英達。
連合王国の知性と理性を代表する選良ら。
彼らは、如何なる状況だろうとも自らに課せられた義務を果たす。
決断を、責任を取ることに躊躇は許されないのだから。
「以上を総合すると、帝国軍は大規模な戦線再編を意図しているものと思われます。」
だが、その日の議題はその彼らをしても思わず呻かせしめる代物であった。
帝国軍の動向に関する重大な機密情報源、『ウルトラ情報』。
彼らですら、厳重な機密保持措置を講じてメモすら許されないその情報。
そのウルトラ情報が語るのは、予想された中でも最も可能性が低いと見なされていた帝国の動向だ。
「・・・南方大陸放棄は予期されていたオプションの一つではあるが。」
戦略目的は損耗の抑制。
その観点から見れば、南方大陸より帝国軍が撤退することは常に想定されていた。
当該方面の艦隊に与えられた想定では、常に敵船団の動向調査並びに阻止攻撃が厳命されている。
最も、帝国側も総力を挙げてくるであろうために敵の撤退妨害は困難と判断されていた。
それでも、敵の脆弱な部分を洋上で叩けば1~2割程度の損耗を強いることは可能と推測されている。
本来であれば、その損害で十分だと海軍本部は判断していた。
本来であれば。
「イルドア占領とはまた、思い切った選択にでる。」
だが、上手くいって8割程度に逓減させしめたといえども南方大陸派遣軍は大きい。
実戦経験の乏しいイルドア陸軍だ。
そして、建前とはいえ同盟国による“連合王国海軍艦艇”を避けての緊急避難寄港。
油断しきったイルドア王国を電撃的に制圧するのは、決して不可能ではない。
「自由共和国軍艦艇の状況は?」
「望ましくありません。ダカール沖でのフッド轟沈以来、泊地から一歩も出ようとしないありさまです。」
そして。
忌々しいことに、帝国軍が先に収めた伏撃。
そう、伏撃と形容するほかにない戦闘だ。
連合王国艦隊の被った損害の巨大さが、艦艇の供給能力が途絶している自由共和国に恐慌を引き起こしてしまった。
今や、有力な艦隊を損なう事を嫌った彼らは主力艦の温存を叫んでいる。
おかげで、連合王国艦隊の負担が増加し部隊の疲労は危険な水準にまで高まっているほどだ。
このような状況を、帝国軍は南方大陸派遣軍の偵察で多少なりとも探知しているらしい。
まあ、コマンド部隊の活発な活動状況を勘案すれば間違いなく把握されていると想定するべきだった。
このような状況では、到底完膚なきまでの阻止というのは望みえない。
「だが、博打に過ぎる。南方大陸から撤退する部隊だけだぞ?」
「しかし弱体なイルドア陸軍では、特に魔導師戦力で劣る分阻止し得ないかと。」
そして、一見すると博打に見える作戦も合理的計算に基づく部分が見え隠れするのだ。
連合王国が阻止攻撃に出てくることを前提に、友軍港湾施設へ逃げ込む輸送艦隊。
誰が、どう見ても演技とは思えないだろう。
なにしろ、連合王国艦艇が、帝国軍輸送艦を実弾で砲撃するのだ。
護衛艦を除けば、非武装の輸送艦が逃げ込んできたところでイルドア海軍は対応すらしないやもしれない。
「・・・上陸を正面から堂々と連中が行えば、海上護衛戦力の欠如も解決できる。ある意味、妙手です。」
そして、イルドア領海への進軍は連合王国海軍とて躊躇せざるを得なかっただろう。
間違いなく貴重で、代替の聞かない時間がそれで失われていたはずだ。
その間に、イルドア海軍の懐に入り込んだ帝国軍輸送船が内包している陸軍歩兵を揚陸すれば全てが終わる。
見事なまでの不意打ちになるだろう。
おそらく、それがイルドア半島全土で繰り広げられることになる。
・・・そうなれば、イルドアは帝国に占領されることになるのだ。
当然、その保有する艦艇は幾分なりとも帝国に接収される。
そして、それだけは、連合王国にとって断じて許容できない事態だった。
イルドア王国の命運など、この場にいる人間にとって一瞥の価値すらない。
だが、その鋼の艦艇には万金の価値すら彼らは喜んで認めるのだ。
状況を、事態を理解した彼らの顔には狡猾な敵への感嘆と苦悶の感情が浮かぶ。
「いくらなんでも、イルドア政府も気がつくかと思いますが。」
わずかな自己防衛に期待しての言葉。
可能性の検討に過ぎないと言え、曲がりなりにも一国の政府だ。
イルドア政府が、防衛の必要性を軽視しているとも思えない。
なにより、海軍力に傾注しているかの国が南方大陸派遣軍の国内上陸をそうそう許容し得るのか?
その疑問が口にされるのは、ごく当然な意見の発露だろう。
「それが、大使館によればイルドア政府は南方大陸撤兵を歓迎すると。」
だが、情報担当者と外交担当社者は肩をすくめて状況の加速度的な悪化を告げる。
それは、あくまでもプロとしての冷静さを取り繕う努力に過ぎない。
なにしろ当の本人たちですら、肩をすくめる一方で苦虫を噛み潰しているのだ。
「馬鹿な?事実上帝国の南方大陸派遣軍が国内通過することを容認すると?一体何故!?」
「代わりに、保障として帝国はイルドアが望んでいた国境の非武装化を飲むと通告したそうです。」
「帝国は、この余剰となる部隊を東部に投入する模様。」
想定すらされていないような、大規模欺瞞だった。
イルドア王国への圧力を緩和する方策を見せかけ、自己の弱体化を演出。
その一方で、背後からの一撃を怠りなく手配。
どこの誰が考えたのかは知らないが、悪魔のように狡猾な案だ。
発案者は、ラインで共和国軍誘引撃滅を主導した帝国参謀本部のゼートゥーアあたりだろうか。
まったくもって、無駄のない嫌な手配りだった。
東部に増援を送り、自国の信頼できない同盟国を外科的に排除。
そればかりか、信頼できない連中の手から武器を取り上げて国防に転用する気だ。
チェスというよりも、東洋の将棋を遊んでいるかのような嫌な意図。
「かなり、狡猾な策です。南方大陸派遣軍の真意を理解できねば、奇襲を許すことになるでしょう。」
純粋に、知的思考遊戯としてならば理解できなくもない次元の計画。
だが、それを実際に実現可能性として突きつけられることの恐怖を誰もが味わっていた。
「ですが、諸刃の剣でもある。たった一撃、先制し得れば帝国の横腹は食い破れます。」
一方で、陸海軍の参謀らは危機の中に打開策を見出している。
帝国の行動は、完全に賭けなのだ。
それは、成功する確率が極めて高く蓋然性に富む作戦だ。
だが、賭けとは何かリスクを内包しているもの。
今回は、擬態とはいえ脆弱さをさらけ出す国境線がそのリスク。
塹壕やトーチカが残されたとしても、防衛線全域に配置された兵員が移動すれば突破は可能。
言い換えれば、帝国がラインで先例をしめしたように脆弱な本土を蹂躙し得る。
その事実に、誰もが思わず息をのむ。
優雅たれ、冷静たれ。
そう教育された筈の彼らが、手を汗で滲ませ事の重大さに緊張しているのだ。
「・・・御苦労、評決にかかろう。」
決断を彼らは迫られている。
いや、決断というよりも覚悟だろうか。
「ハーバーグラム君、私はこのウルトラ情報を活用すべきと考える。」
「反対です。海軍卿閣下。ウルトラ情報の機密保持は最優先されるべきかと。」
戦争の終結。
その可能性が彼らの頭をよぎっていたのは否定できない。
苦しい戦況は、彼らをして合州国のままならない態度に一喜一憂せざるを得ない状況を形成していた。
帝国軍潜水艦隊による通商破壊作戦の損害も甚大なのだ。
イルドア船籍の貨客船が撃沈された案件で、プロパガンダを開始しているがそれとて状況は微妙。
なにしろ、フィラデルフィアが煮え切らない態度である。
それ故に、彼らには勝利が、劇的な戦局の改善が切実に必要なのだ。
故に、誰もが解決策を望んでいた。
彼らの判断に、わずかながらバイアスがかかってしまう。
その事実は、老練なハーバーグラムにわずかな違和感と警戒心を湧き起こす。
臆病であれ。
狡猾であれ。
その視点から、ハーバーグラムは直感的に違和感を覚えたのだ。
「情報源を隠したまま、イルドアを説得できれば問題はあるまい。」
「・・・それは、その通りでありますが。」
だが、ハーバーグラムにしてもわずかな違和感が感情の動揺から来るのかとしか説明し得ない。
合理的な理性による結論ではなく、なにか違和感を覚えるという程度の疑念。
無論、通常であれば彼はそれに拘って見せただろう。
しかし、ウルトラ情報は彼が全力を注いで掴んだ情報だ。
彼は部下の解読チームには全幅の信頼を置いている。
機密保持措置は、前代未聞の厳しさ。
そして、帝国軍の通信動向から彼らが解読されたと判じた兆候は皆無。
「なにより、合州国からの支援も先細りだ。これ以上の戦争は、な。」
これ以上の戦争は、偉大な連合王国をして国力を消耗させしめ崩壊を招く。
帝国と同様に、連合王国という緻密な戦争機械もまた酷く摩耗し歪み始めているのだ。
数字は、まだ辛うじて小康状態を保っているかに見えるだろう。
だが、国家の選良たるエリートたちがまるで一山いくらかの様に尊い命をなげうっているのだ。
オークブリッジのある学年など、ほぼ全クラスが全員志願し、今や運の良い数人の重傷者が本国でベッドに寝ているだけ。
彼らは、悉く国家の選良であることを自らの生命で、体でもって証明するために戦場にて果てた。
国家の次代を担う若者が、恐ろしい勢いで若い前途ある命を散らす。
「戦争終結の一手だ。やってみる価値はある。」
リスクは存在するだろう。
だが、帝国はウルトラ情報で計画のほぼ全貌が漏えいしている事実を知らない。
トランプで言えば、相手の手札が見えるという状況なのだ。
相手のベットにコールしない理由はない。
「君達情報部の貢献でつかみ取れる勝利だ。誇りたまえ。」
故に、ハーバーグラムという軍人は遂に自らの違和感を無視してしまった。
「・・・はっ、ありがとうございます。」
それは、彼の生涯を縛る。
彼女と出会ったのは、いつだっただろうか?
いや、考えるまでもない。
士官学校の、あの校庭。
そう、あの校庭が全てだとレルゲン大佐は心中で呟く。
「戦闘団長?」
目前では、人と獣の境界線を踏み越え戦い抜き、人事を尽くしきった集団が、それでもなお、喜び勇んで闘争に赴かんと欲している。
この集団を、軍団長は『狂気の塊』と称し、本国では彼女の英雄的な戦闘ぶりを賞賛しているが、そのどちらも正しくはない。
目の前で、苦虫をつぶした表情を浮かべた少女。
彼女は、極めて冷静かつ、合理的で、人間としてこれ以上ないほどに壊れている。
「楽しいぞ。きっと、楽しいことになる。」
ある者は、彼女の祖国への驚くべき献身性から、英雄だと誤解する。
いや、戦果だけを見れば彼女は紛れもない英雄だ。
当代の魔導師として、彼女以上の力量を持つものは片手に数えられるほど。
また、別の者は彼女が戦場で見せる桁はずれの戦果に悪鬼だと恐れおののく。
部下は、勝利をもたらし、絶望的な戦場からさえ生きて返してくれる上官だと信頼し、心服する。
だが、それもどれもこれも、違うのだ。
彼女は、自分の役割を、字句通りに解釈して行っているのに過ぎない。
「戦闘団、傾聴!殲滅戦だ!きっと、楽しいぞ、絶対に楽しいに決まっている。なにしろ殲滅戦だ!」
大隊長とは、兵の先頭に立って戦い、部下を鼓舞するのが一般に思われる姿だ。
それは過ちではないものの、自らを前線に置きつつも、極めて重要な戦術的裁量権が与えられる士官にとって難しい地位の一つである。
それは、旅団長以上なれば、部下を管理し、戦場に送り込む立場だ。自ら戦うことなどありえないだろう。
逆に、中隊以下では裁量が限定され、自由に思うままに戦術を選べないだろう。
しかし、大隊長ならば、自由に動けるのだ。
臨時編成の戦闘団とは、大隊長に旅団長並みの指揮権を付与するという代物。
「新兵諸君!祖国に、軍に、私に、苛め抜かれる尻に殻の付いた未熟な戦友諸君!」
自由に動ける。
すなわち、彼女にしてみれば、悪夢なのだ。
彼女の生来の育ちは、孤児院出身ということしか知らない。
だから、どうしてここまで杓子定規に字句解釈せざるを得ないのかは、謎だ。
しかし、はっきりしているのは、彼女は限定された条件の達成が本分ということだろう。
私は帝国軍の誉れある将校として、長らく従軍した。
帝国軍の将来を担う俊英らを教育する立場を与えられたことは我が誉れである。
彼女は、小隊長として完璧であり、中隊長としては理想的ですらあった。
だから、大隊長になった時、それは極めて順当な事であるかに思えた。
それは、確かに絶大な戦果と驚くべき戦功によって、一時は裏付けされたかに見えた。
だが、違うのだ。
絶望的な防衛戦を、奇跡的に戦い抜く有能な野戦指揮官?
違うのだ。
単純に撤退命令が届いていないから、所定の防衛ドクトリンに準拠し、孤軍奮闘しているにすぎないのだ。
たしかに、敵戦力の拘束には成功している。
戦略的にみた場合、敵戦力が撤退中の友軍に襲いかかるのを単独で阻止しているかにも見える。
だが、それは違うのだ。
間違いなく私の教え子は、有能である。
有能ではある。
あるのだが、それは恐ろしく偏った有能さだ。
はっきりと言えば、上からの命令を最高の水準で達成することに特化した才能なのだ。
組織にとっては、代えがたい有能さかもしれない。
参謀本部を統括されるゼートゥーア閣下はそれをよしとされた。
切れない刃に意味はないのだ、と。
だが、切れすぎるは周りの歯車にとってはもろ刃の剣だ。
「諸君と髑髏の乾杯にて前祝いとしたいが、遺憾なことに時間が乏しい。」
軍人とは、そういうものだ、と本人は信じ切っている。
だから、情け容赦なく躊躇うことなく部下を死地に送り込み、自分もそこに並んで立つ。
嫌々であろうと、指揮官率先と言われたことを額面通りに実践しえる。
そこでは、軍事的ロマンよりも、単純な義務感が優先されてしまう。
彼女の軍事的冒険の全てが合理的計算の帰結だと誰が信じ得ようか?
まるで、わが身を顧みない自殺願望の様な突撃を平然となす神経。
それが必要だから。
たったそれだけの理由で、死地に嬉々として突撃し活路を切り開く?
「まるで、無力な新兵諸君。駆り立てるぞ。情け容赦なく、我らは駆り立てるぞ!」
おまけに、感情の起伏が恐ろしく乏しい。
内向きに精神をこもらせているといってもよい。
しかも、それでいて良くある戦場を現実と受け止められなくなる精神状態とは全くの無縁。
軍医が言うには、この事態を現実として認識しているにもかかわらず平然としているのだ。
冷静に、どこか壊れて指揮を執り続ける。
威勢の良い叫び声も、指揮官とは、常に臆せず声を上げるべしという伝統あればだ。
笑いながら愉快に突撃するべしと書けば、疑問を押し殺して命令に従う従順さ。
軍令を、命令を、字句通りに実行してのける克己精神。
それでいて、必要だと判断すれば。
上級の将校だろうと。
「我らに与えられたのは、新兵と敗残兵に相応のドブさらい。」
異常に過ぎた。
ありえないと、誰もが現実を受け入れられなかった。
だが、あろうことか。
・・・奴の嗅覚は、天凛としか形容しがたい鋭さを誇る。
イルドア情勢は、奴の脚本通り。
まるで、東洋の詰め将棋とやらのようにわかりきった手順をこなすかのような安定感。
想定からまるで外れることのない情勢。
異常すぎるほどに、順調だった。
さらに。
元をたどれば、この戦争形態、戦局推移、魔導師戦術。
全て奴は正しかった。
今なお、正しい。
これが、何を意味するか理解できるだろうか?
慄き。
恐怖。
絶望。
人の形をしたナニカ。
まったく、奴が実は自分が悪魔ですと告白してきたら信じてしまいそうだ。
むしろ疑えるかどうか疑問に思う。
あっさりと、やはりかと思ってしまうに違いない。
「悔しいかね?ああ、実に不愉快極まりないだろう。」
問いかけに、呼応する形で、怒号の様な感情が兵員に満ち溢れる。
わずかなベテランが、促成訓練を受けただけの新兵が雄たけびを上げる。
恐れを知らない鉄人であるかのように。
人員の掌握は、完璧だ。
古今東西、これほどまでに徹底して統制を確立し得た部隊は絶無だろう。
ここまで困難な戦局で、臨時編成された部隊が継続戦闘能力を形成し、統制を保てることは軍の見本といってもよい。
教本に極限状況の統制術として後世の士官たちに語り継がれるだろう。
おそらく、この状況下において、望みえる最良の指揮官だろう。
「ああ、大変結構。それでよい。これがよい。これこそ、この瞬間のために我らが牙はある。」
経験豊富な指揮官ならば、彼女の才幹に慄くだろう。
部隊長経験のある将校ならば、誰もが理解しているはずなのだ。
将校に必要な資質を、奴は少尉に任官した時持っていた。
部隊長に必要な資質を、奴は大尉に任官した時に既に習得していた。
部隊長としての才幹を、奴は与えられた最初の機会で証明して見せた。
兵卒が、上官にそうであってほしいと願う資質を全て持ち合わせていた。
いや、有能である将校ならば誰だろうとわかっているにきまっている。
崩壊した防衛線の前方で機動防御など、狂気の沙汰以外の何物でもない。
自殺願望からかけ離れて遂行しようとしているなど、人間の理性が耐えられる物なのだろうか?
ラインで、東部で、南方大陸で奴がやってのけた機動防御。
壮大にして野心的な大規模迂回機動?
成功しなければ、狂っているほど無謀な大規模長距離浸透なのだ。
「諸君、軍人としての最高の誉れだ。我々が、この戦場で友軍全ての先鋒をになうのだ。」
言いかえれば、孤立無援なのだ。
友軍は、こちらに感謝しつつ速やかに後退しているだろう。
確かに、撤退援護は任務かもしれないが、それは緩やかに奴も本来後退すべきだ。
全滅するのは、目的ではない。
だが、何の因果かデグレチャフという化け物は全滅を敵に強要してきた。
そして、今回のは成功すれば歴史的な長距離浸透襲撃だ。
ノコノコと巣穴から出てくるイルドア軍。
奴らがこちらの防衛線に接触するまでのロスタイム。
その隙をついての長距離迂回で空っぽになった国境防衛線を蹂躙。
直後に部隊の大半を一路南進させゾーンコントロールを確保。
反転してくるであろう残存イルドア軍主力には機動防御にて遅延戦闘を敢行。
包囲網の完成までの時間を稼ぐ?
奴が発案し、奴が指揮を執らねば思案すらされなかったであろう無謀な軍事的冒険だ。
「諸君、我らの、我らによる、我らのための戦争だ。軍人としてこれに勝る誉れはない!」
こんな作戦命令を突きつけられれば、誰だろうと死んでこいと言われたのと同義と取るだろう。
一個戦闘団で、慌てふためくとはいえ方面軍を正面から相手取るのだ。
だが、眼前で威勢よくぶち上げるあの姿には、なんら不安のかけらすら感じさせない自信が満ち溢れている。
「最高だ。その上でだ、誰が獲物かすら自覚できずに無邪気に追いかけてくる若狗を喰らう。」
確かに、敵の練度はさほどではない。
あの化け物を少数と侮ってかかれば、実戦経験の乏しいイルドア兵は奴の鴨だろう。
だが、奔流のごとき敵兵の全てを受けきるなど無謀の極みだ。
「まことに。まことにたまらない。最高の快楽ではないか。あの悲鳴!あの絶望!あの最高の一瞬!」
戦場において数は真理だ。
あの化け物は、その数字に逆らっては孤軍奮闘し得るだろう。
東部で。
南方大陸で。
奴は、数えるのも馬鹿馬鹿しいほどの戦力差を無造作にひっくり返し続けている。
或いは、その倍の敵ならば、屠殺しえるだろう。
その倍の敵でも、片付けることは不可能ではない。
極限に至れば、その倍までは、叩けないこともないだろう。
しかし、如何に精鋭といえども、人間を止めているといえども、それが限度だ。
「猟狗諸君は実に不幸だ。我々は、餓狼だ。彼らには誠に申し訳ないが、丸々太った子豚ではない」
開戦当初は、どの帝国軍部隊も充実した重装備で大半が一線級部隊であった。
今は、定数割れどころか、標準基準でいけば戦闘に耐えうるなど不可能な状況だ。
だから、帝国軍の練度は開戦前と比較するのも絶望的なほど低下してしまっている。
しかし、一方でデグレチャフは本当に飢えている。
理解しがたいことだが、奴は敵兵に降伏勧告を促す一方で殲滅戦に何の躊躇もない。
・・・戦時国際法の援用や曲解。
そういった知恵は、専門の法務官をして感嘆させるほどだ。
練達の法律専門家すら、舌を巻くらしい。
間違いなく、間違いなくデグレチャフというのは餓狼だ。
それも、極めて悪質な牙と頭脳を持つ、恐るべき餓狼だ。
錆銀という忌み名ほど奴を体現する言葉もないだろう、
「我らの敬愛する戦闘団長殿、無邪気な若狗を欺くのは、さぞかしお辛いでしょう?」
奴の古参兵。
負傷したベテラン兵。
例外なく、奴の指揮下を望んだ連中。
奴の下で戦う事を望んだ連中。
人数はわずか。
一個小隊に至るかどうかというごく少数の連中。
だが、悉くエースにしてネームドたれる怪物。
機動防御を担当する連中は、まるでハイキングに出かけるような気楽さだ。
死地に飛び込むというひっ迫感などかけらも見せていない。
・・・なにしろ、あのライン絶対防衛線で越境を担当して負傷した連中なのだ。
「ああ、彼らの期待にこたえられないことを思うと、罪悪感で胸が張り裂けそうだ。」
ニヤリと。
愉快そうに、眼を細める感情の発露。
そこに感じるのは、邪悪さというよりも種の違いだ。
本質的に、何かが違うと感じてしまう。
「さて、勝利に飢えて渇望してやまない戦友諸君。」
そっけない口ぶり。
だが、呼びかけられた古参兵は無条件に最敬礼を表してやまない。
そこにあるのは、文字通りの服従。
行けと言われれば、死地に笑って飛びこむ箍の外れた古参兵。
本来古参兵というのは、死地を忌避するというのにだ。
「いまだ、勝利の美酒を味わったことのない新兵諸君。」
そして、戦争の悲惨さを知らない新兵への声は悪魔の誘惑に等しい。
誘う声は、まるで勝利が約束されているかのような美声。
絵がらだけ見れば、愛くるしい彼女は、勝利の女神だ。
その眼。
凍り切った碧眼。
返り血にまみれたたおやかな細指。
知るものが見れば、悪魔の誘惑そのものだが。
「潤いにすら程遠いが、獲物だ。むしゃぶりつくせ。骨の一つもしゃぶり残すな。」
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あとがき
最近、妙に多忙orz
時期的なモノと言えば、それまでですが・・・。
なんとか、落ち着き次第もうちょいペースを上げて更新しようと思います。
ちなみに、>4550様大正解です。
まあ、本作での名前は微妙に違ってルーシータニア号ですが。
なお、同志ロリヤ及びその賛同者の御意見には悲しくも応えられません。
ですが、なにがしかの解決策を模索しておりますので、ご容赦を。
ほのぼの日常系とまではいかずとも、取りあえず心温まるエピソードを用意できる予定です。教皇特使アルノー・アモーリによる心温まる談話を予定しております。
次回、"たぐいなき愛を"/"今日われ善きことせしか"。
ご期待ください。
追伸
アルコールなる反動分子の深刻な破壊工作の痕跡を認めたことを告示いたします。反動的なカルロ・ゼン(04くらい?)はZAPされました。
次のカルロ・ゼンはよりうまくやることを祈りましょう。
駄目でしたorz
orz
ZAPZAPZAP....
ZAP
