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 幼女戦記 Tuez-les tous, Dieu reconnaitra les siens

⚔️ ああ

 

01. 02. 03. 04. 05. 06.
00 01 02 20 21 40 41 60 61 80 81 1₀₀  □

 第九一話            カルロ・ゼン 2013.06.06 20:38


奔流のごとき時勢。
抗いえない濁流に飲み込まれ、沈没しつつある帝国。
その大河のごとき激流は、周囲を巻き込み大きなうねりを歴史に残す。

だが、その奔流にのみ込まれ翻弄される当事者らにとって、その全体像を理解することは不可能だった。
形容するならば、あたかも台風に翻弄される小舟の乗客の様なものなのだ。
その小舟から見える動きは、あまりに激しく、あまりに大きい。
沈没しないように、辛うじて波を乗り越えらるか。
転覆せずに乗り越えられるかどうかを祈りながら耐え忍ぶに等しい心境。

俯瞰的な視座というのは、後世からしか望みえない。

程度問題とはいえ、その制約は合州国の軍人らにとっても大きな潮流の一つとして大きく影響する。
もはや、歴史の必然と言わざるを得ないだろう。
故に、当事者たちはその場その場において最善と信ずることを為す他にない。

帝国軍魔導師部隊と思しき強襲部隊による『新型高性能爆弾』の奪取。

この『新型高性能爆弾』奪取さるるの報は、文字通り当時の関係者を震え上がらせた。
幾重にも張り巡らされた防空網・警戒線の内側に保管されていた『新型高性能爆弾』。
敵どころか、味方にすら所在が隠匿されていた筈の其れ。

戦後を見据えて、本国が秘密裏に用意した切り札。

其れが、あっけなく大隊規模の魔導師によって阻止されることもなく奪取されてしまったのだ。
その日に限って、稠密に構築された筈の防衛線は一切反応することなく侵入を許す始末。
馬鹿げた事に、最初で最後の迎撃用員は整備員と憲兵であり防空部隊や警戒線は一切合財役に立たなかった。
スパナと拳銃で魔導師を抑え込めなどという無理が通る筈もなく、あとは単純な蹂躙戦。

ようやく、増援が捻出される頃には全てが終わってしまっていた。
駆けつけた部隊が眼にするのは、焼け落ちた格納庫と航空機材の前に呆然と立ち尽くす将兵らの姿だけだ。

だが、そのままやられっぱなしに甘んじるほど彼らのファイティング・スピリッツは貧弱でもない。

当然、合州国によるその後の対応は、迅速を極めることとなる。
軍の面子がかかっている以上、ならざるを得ない。
動員為し得る全ての対潜部隊を予想航路上に配置。
加えて、哨戒艇を根こそぎ展開させることで捜索網を形成。

だが通商護衛すら投げ出し、徹底した捜索を行うもののその行方はようとして捉えようすら無かった。

「確認しよう。奪取されたのは、カプセルと、爆弾。つまり、ニュークのセットが3つだな?」

「はい、アイゼントルガー閣下。第八空軍の報告によれば、持ちこんだ全てが奪取されたとのことです。」

結果として、貧乏くじを引かされた情報参謀が怒り狂った指揮官に不本意な結果を告げる羽目になる。
どんな馬鹿だろうと、重要拠点を襲撃された挙句、取り逃がしました等と報告したくはない。
事態が事態なのだ。誰だろうとも、こんな嫌な報告を上司に上げる仕事は望む筈もなかった。

だが、それでも仕事に忠実な情報参謀らは渋々とはいえ報告を上げざるをえない。
そして、その必然的な結果として怒り狂った将軍の矢面に立つ貧乏くじを心中で歎く羽目になる。

「…そもそも、何故襲撃を受けた!」

だが、理不尽だと叫びたいのは将軍も同様だ。

「はっ?」

「私ですら、報告を受けるまで『新型』の件は知らされていなかったのだ。何故、ヒスパニアに隔離した筈の”奴”が知っている!」

理解しがたいと言わんばかりに、アイゼントルガー将軍は肩を怒り震わせながらほとんど絶叫していた。
沸騰しやすいパルトン将軍ならばいざ知らず。
冷静沈着として知られるアイゼントルガー将軍ですら感情のままに絶叫せざるを得ないほど状況は理解しがたかった。
実際、アイゼントルガーの表情には拭いがたい懐疑の念がありありと浮かんでいる。

無理もない話だ。
なにしろ、そもそも新型の話は軍中枢と少数の関係者以外には完全に隠匿されていた。
その存在自体、アイゼントルガーの前からすら機密のベールで覆い隠されていたのだ。
新型、という一言で彼に対する通知は済まされていたのである。

神経質すぎるほど、機密保持が徹底されていた筈の『新型』。
それがあっけなく奪取されたことを報告されれば、温厚なアイゼントルガーですらキレる。

「何故、奴が保管場所を知っていた!」

分析の結果、敵の襲撃行動はほぼ一直線に保管エリアへ突入してきていることが判明済み。
生き残った憲兵隊の証言や、複数の基地要員の証言からほぼ確実だった。
ここで問題となるのは、敵侵入経路が基地周辺より先で一切把握できておらず広範なエリアに浸透していた可能性があることだ。
複数の防空警戒網に敵魔導師と思しき存在は、感知されず司令部の再調査にもかかわらず空路の可能性は乏しかった。

万が一という事を考慮すれば、連合王国内部に敵性魔導師が複数潜入していることを警戒しなければならないだろう。
現状、追い詰められつつある帝国にそのような余力がある筈もないと一蹴できる程度の危惧だ。
だが問題なのは、その追い詰められつつある筈の帝国に厳重に保管されてしかるべき『核』が奪取されたという事実だ。

やらかした事が、事だ。
再発の防止は、絶対に措置を講じなければならないだろう。

だが、そこまで思い悩んでいるアイゼントルガー将軍に対して彼の幕僚らは事態を正確に理解し得ていなかった。
なにしろ、彼らにしてみれば基地が襲撃を受けた程度の認識にしか止まっていないのだ。
核の威力を現実に見ていない幕僚らにとって、それはせいぜい強力な爆弾程度の認識だということが問題を悪化させてしまう。

「偶然、ということはありえないでしょうか?」

其れゆえに。

本国から派遣されてきた兵站参謀は、兵站面での優秀さはともかく、大陸の現実には疎い発言を行ってしまう。
彼にしてみれば、基地が襲撃されると言う事の確率を考慮すると偶然性が高いのではないか、と思った程度だが。

そして、その無理解さがアイゼントルガーを苛立たせてやまない。

「パーカー大佐。貴官は、奴が偶々襲撃した基地の、偶々押し入った弾薬庫に、偶々核があったと、本気で口にしているのかね?」

「…失礼いたしました。ですが、そうなると水漏れがあったとしか。」

「だろうな。連合王国の連中からか、我々からかは知らないが随分と大きな穴があいている。」

結局、友軍の組織機構はどこかに大穴があいているという事が嫌でも理解できる事態である。
いや、アイゼントルガー将軍にとって状況はより深刻だ。
それは、官僚主義的で全幅の信頼が置けなかった後方が、今や機密保持においては一切信頼できなくなったということに等しい。

つまるところ、それは後方と非常に微妙な問題について相談し得ないことを意味している。
いや、相談はできるだろうが秘密は保たれ得ない。
極言すれば、『帝国との取引』などという危険すぎる案件を持ち込んだ瞬間に、政治的な爆弾と化すことだろう。

「…雨漏りというには、大きすぎる穴だが、何としても修繕する必要がある。」

故に、アイゼントルガーは頭痛に耐えながら配管工の手配をG2に命じる。
最も命じた当の本人ですら、分野違いの事を命じているなと実感せざるを得なかったのだが。
とはいえ、アイゼントルガーのG2らは与えられた仕事に対して極めて『誠実』に取り組む。

すなわち、水漏れ・雨漏りを恥じる官僚機構と無縁の彼らは、素直にカウンターパートナーに相談すると言う素人らしい英断を下したのだ。
彼らは軍人であり、詰まるところ連絡線の維持を重視するというごくごく合理的な思考を行ったに過ぎない。
まあ、多分に秘密主義で現場には何も教えないくせに盛大な水漏れを引き起こした上への複雑な心境は否定できないのだが。

とまれ、水漏れ、雨漏りのどちらにせよ修理のことを相談された専門家というのは、専門家なりに対応策を検討し得るものだ。
こうして、相談を受けた連合王国情報部のハーバーグラム中将以下担当者らは狂気のごとき勢いで身辺調査に取り組み始める。
オーク材どころか、造船場から取り寄せた船殻を流用して造ったデスクに山と積み上げられた調査報告書。

その全てに徹底して眼を通し、担当官らがわずかな疑いすら見逃すまいと洗い、念入りに洗い、そして洗い上げる。




…だが、穴は見つからなかった。

いや、言葉を正確に使うならば多数の問題将校や、口の軽いアホは発見できた。
無数の問題を洗い出す事という点に関しては、決して成果が無かったわけでもない。
半ば八つ当たり気味に、厳格な処分を各軍の情報部と憲兵隊が断行することで軍の風通しが良くなったことは無視し得ない成果だろう。
だが、忌々しい事に大きな、情報漏れの大本を特定するには至っていなかった。
こうなれば誰だろうと、短期間の内に調べ上げた内容だけでは原因を特定し得ないと理解できるだろう。

扱いに困る売り込みが有ったのは、ちょうどその時だ。
以前から密かに接触があった程度だが、帝国軍内部から取引を希望する旨が複数のルートから送られてきていた。

雨漏りが酷い時、或いは水道管からの漏水が酷い時。
住人にとりうるのは、自力で修理するか専門家に仕事を依頼するかとなる。
そして稀にではあるが、修理の仕方や問題の個所を知っている人間が協力を申し出てくれれば専門家としても大助かりだろう。
苦虫をかみつぶしたとしても、ありがたいことはありがたい。

まあ、訪問販売の押し売りという形式に対する不満が無いわけではない。
しかし連合王国としてみれば、雨漏りに気付けど何処に何があるのか五里霧中に等しい状況なのである。
嫌々だろうとも、訪問を受け入れざるを得ないのは自明だった。

こうして、ジョンおじさんが商談のために老骨に鞭打ち秘密裏に派遣される事となる。




こうして、人力では抗い得ない濁流を押し止めるのではなくいなそうとする一派は行動する。
濁流を何とか乗り切り、祖国を救わんとする最後の意図を持った『バルバロッサ司令部』
その意を受けて、商談のために一人の士官がジョンおじさんと接触すべく派遣された。

メッセンジャー参謀本部資材調達課のウーガ大佐。

偽装の名目は、兵站司令部所属の将校としての資材調達任務。
だが、本当の任務は『バルバロッサ』作戦のための対敵交渉である。

密命を受けた彼が、秘密裏に帝都を発し、中立国入りした時点で連合王国と帝国による手探りの接触が再開した。

最も、言葉で言い表すほど順調に進んだ訳でもない。
帝国の当事者にとって、事態は一刻の猶予すらも許されないという状況。
一方で、連合王国の当事者にとっては終戦のための重要な契機。
どちらにしても、立ち位置が極めて微妙な状況での接触だ。

紆余曲折を経て辛うじて、接触に成功した、というべきだろう。
だが、事実として接触に成功した事で事態は大きく進展する。


「やあ、こんにちは。こんなご時世ですが、ご商談をお持ちいただいたとか。」

貸し切った個室に心ばかりのお菓子と、お茶を手配し、会食のホスト側スタイルを保ったジョンおじさんは丁寧に客人を招き入れる。
にこやかな微笑みを浮かべ、紳士然としたジョンおじさんは客人をもてなすべく席を進めながらウェイターに料理を用意するように申しつけた。
大切な商談なのだから、御客人好みの帝国風料理をコックに念入りに用意するよう手配済みである。

「ええ、赤髭商会からのちょっとした売り込みです。Mr.ジョンソンならば、御関心がおありかと。」

対する客人は、ユンカー然とした教養がありながらどこか無骨な物腰を携えた30代の中堅どころ。
ジョンおじさんとしても、この仕事において滅多に相対しないタイプの商売相手である。
おそらくだが、ジョンおじさんの見るところ十中八九正規の外交官ないし、諜報要員でもないだろう。

強いて言えば、参謀将校か官僚の匂いが濃厚だ。
実際、事前の調査では兵站参謀という話を耳にしている。
そして『バルバロッサ』からの使者として派遣されてきた。

「いやはや、お分かりですかな?これでも、ちょっとした貿易商でしてね。」

にこやかな笑みを張りつかせたまま、ジョンおじさんはそろばんをはじく。
率直に言えば、想定している事態とは異なるとしか思えない。
外交官や諜報員ならば、相手との交渉に大きなウェイトが置けるが軍人などでは柔軟性が乏しいと思わざるを得ないのだ。

特に、参謀将校や官僚という連中は秘密交渉に必要な柔軟性とは真逆の硬直性にたけている。
原理原則や規則の遵守に特化した帝国人の中ですら、規則にうるさい連中との『商談』はタフな交渉人だろうと面倒極まりないだろう。
権謀術策を弄しようにも、そもそも相手が交渉ではなく一方的に通告するタイプであれば、話にもならないのだ。

だが、少なくとも複雑怪奇な現状を単純明快な要求が快刀乱麻の如く解決してくれるならばジョンおじさんとしては吝かではないのも同じだ。

「それで、何をお売りいただけるのですかな?」

期待半分、危惧半分。
そんな心境から、口が紡いだ言葉は、ありきたりな問いかけ。
ただし、その解答如何で相手を推し量るべくジョンおじさんは相手の顔を無礼にならない程度に凝視する。

「平和と、未来、というのはいかがでしょうか。」

「ほう、それで我々は具体的に何を頂けるのですかな?」

「…率直に申し入れましょう。戦後を見据えた議論を望んでいます。」

そして、彼は満額回答に等しい回答を得る。
参謀本部の一課長、それも中枢に位置する訳ではないというウーガ大佐の回答と見れば単なる願望だろう。
一佐官が、平和を望んだところでせいぜい局地的な停戦が実現するかどうか。

だが、『バルバロッサ』なる機密作戦の実務を兵站面から一手に引き受けている実務担当者の答えとなれば。

『バルバロッサ』が、この状況下において帝国軍に大きな影響力を持つ現実主義的将校団の一派だと言う事を勘案すればどうだろうか。
もはや、帝国が持ち堪えないと理解し戦後を語りえる将校らにより平和と未来が望まれているのだ。
それは論理的帰結として、終戦の方法論を彼らが模索しているという事に他ならない。

いや、彼らにしてみれば帝国を保つために終戦ではなく如何にして戦後を迎えるかという事が追求されるに違いないのだ。
故に、ジョンおじさんにしてみれば、ユンカー然としたこのウーガ大佐なる将校が口にした答えに対して驚きつつも納得し得た。

「末長いお付き合い、という事ですか。」

「しかり。我々は、基本的にはあなた方と相互互恵的な関係を望んでやみません。」

駆け引きではなく、単純に実務的連絡を淡々と行っているかの如き回答。
ジョンおじさんにしても、このような形で行われる交渉というのは滅多に経験が無いものだ。
経験則上、懐を探り合う会談には慣れているものの、あけっぴろげに交渉される軍人相手というのは勝手が違う。

なにより、細かい条件を詰める必要があるのだ。
非常に繊細かつ、微妙な問題が複数存在する以上、ジョンおじさんとしては総論賛成といえども各論を詰める必要があった。
シンプルに、バッサリと切り捨てるわけにはいかないのが難しいところなのである。

そして、その点から見るとジョンおじさんとして言うべき点が複数あった。
特に奪取された其れは不味すぎるだろう。
なにしろ、合州国は血眼になってその行方を捜索している。
故に、思わずといった態を装いながらもジョンおじさんとしては苦言を呈さざるをえない。

「難しい。そう、特にカプセルは不味かった。」

「あなた方が、即刻帝都まで進駐できれば即座に引き渡す用意があります。」

だが、回答は予め用意されていたと思しい速度でウーガ大佐が淡々と答えてよこす。
その態度を見る限り、彼らは交渉の必要性すら認識していないに違いない。
はっきり言えば、もう少し柔軟性を持ってほしいところだとジョンおじさんとしては叫びたかった。

それは、まるで脅迫だ。
いや、捉え用によっては完全な脅迫だろう。
そんなものを取引だと言って快諾できるかどうかを考えれば論外だった。

ジョンおじさんが如何に譲歩し得たとしても、そんな報告を持ちかえれば我らがハーバーグラム中将に絞殺される。
いや、それ以前に怒り狂った中将閣下の拳で粉砕されるかもしれなかった。
よしんば、それを耐え凌いだとしても合州国が快諾し得るだろうか?

甚だ疑問と言わざるを得ない状況だった。
しかしながら、そこまで考え口を開こうとしたジョンおじさんは言葉を挟む機会を与えられなかった。
どころか、次の瞬間にはあいた口がふさがらなくなる。

「…それと、核攻撃を行った部隊の“処罰”をお願いしたい。」

淡々と吐き出されるウーガ大佐の要求。
だが、言葉の調子とは裏腹に、その中身は実に厄介極まりない。
それは、先ほどの満額回答の意向、すなわち速やかな戦後を論じたいと言う彼らの言葉からして無理難題に等しい代物だった。

「処罰?…失礼ながら、それはどういう意味なのか、お聞かせ願いたい。」

理解しかねる。

率直に言ってしまえば、ジョンおじさんとしては頭を抱えたかった。
交渉なのだから、要求されることは理解し得なくもないだろう。
だが、通常の交渉であっても難しい要求をこのように微妙な状況下の交渉において持ちだされるのは予想外も良いところ。

物分かりがよいとはいえ、所詮は硬直的な帝国的思考なのだろうかと、ジョンおじさんが帰りたくなってしまうほどの難題である。
バイアスによる先入観を排するつもりであるとはいえ、ジョンおじさんとしては帝国の柔軟性欠如という一般論に相当の信憑性を認めたい気分だった。

「正規の指揮系統を逸脱したならば、扇動者がいた筈です。せめてその首を頂きたい。」

「正規の指揮系統を逸脱したと、良くご存じだ。」

そこまでわかっていることも驚きだが、そこまで理解していながら処分を要求するのは理解しがたかった。
そもそも合州国軍の処分を、その同盟国である連合王国経由で勧告するという思考が理解できない。
いや、それ以前に堂々と要求してのけてくる姿勢には、違和感もあるのだ。

どうみても、敗軍の姿勢とは程遠いとジョンおじさんは感じつつある。
彼らとて敗北を直視しているのだろうが、どうも今一つ理解できていないのではないか?
…そんな埒も明かない疑念すら湧きあがってくるほど相手の言葉は無造作で配慮が見受けられない。

「…言葉を飾る事に意味はありません。今は、時間の方が惜しい。率直に行きましょう。」

「構わないとも。だが、手始め、と言っては申し訳ないが何かこちらにも利のある話なのだろうね?」

馬鹿げた要求に見合うものが、果たしてあるのだろうか?

もちろん、戦後を見据えると言う事は連合王国にとっても悪い話ではないのだろう。
その意味においては、ウーガ大佐や、彼の属する『バルバロッサ』とやらとも協力することも吝かでもない。
だが、はっきり言って彼らがまともに交渉できるかどうか、この時点でジョンおじさんは懐疑的にならざるを得なかった。

しかし、驚くべきことに。

ジョンおじさんのいささか遠回しの疑念に対し、ウーガ大佐は軍人らしい単刀直入さで回答した。

「構いません。事を為すに当たり、我々は連合王国の力を過小評価していません。誠意のあかしとして何なりと、お聞きください。」

「ふむ、言葉を飾らないと言ったのは嘘かね?」

「失礼。では、手土産代りに一つ。」

「拝聴しよう。」

これで、価値のない、或いは時間稼ぎの言葉が出てくれば商談を打ち切るべきだろう。

そんな気持ちで問いかけたジョンおじさんは、次の瞬間に吐かれた言葉を生涯忘れることができなかった。

「貴国情報部、つまりあなた方が気になさっているらしい情報漏れについて。ダブルがいますよ。」

「ほう、ダブルを売ると言うのかね?」

「正確には、我々のダブルではなく連邦のダブルですが。」

どうという事もないように、語るウーガ大佐。
その口調は機密を語っているとはいえ、一般論に近くさして重要なモノを語るとも思えない口ぶりだった。
そして、既に幾度となく内部監査で情報部は内部を精査していた事を知っているジョンおじさんにしてみれば眉唾ものの情報。

まあ、確かに対帝国情報漏洩ということを主眼とした内部調査であったのは事実だ。
それでも、連邦のダブルという存在は優秀な対連邦課の活躍もあり排除されているというのがジョンおじさんらの認識だった。
ダブルが連邦から派遣されているとしても、それは連邦諜報部対策を担うラッセル課長らが水際で阻止しているはずなのだ。

故に、馬鹿馬鹿しいと思いつつジョンおじさんは次を促す。
そして、次の瞬間、全身の血が凍りつくような衝撃を受けた。

「何故、機密情報が漏えいしたか?答えは単純であります。軍情報部の課長級にダブルが。"ピレネー"のラッセル課長を洗う事をお勧めします。」

「…なんだと?」

「『キム』という名のコードネームで、彼が連邦へ流した情報は帝国にとって連合王国情報の中でも最も信頼できる情報だとか。」

軍情報部、防諜班ピレネーを指揮し、対連邦防諜対策を指揮する対連邦課のラッセル・フィルビィン課長。
彼の優秀さは、部内で秘密裏ながらも度々顕著な対連邦上の功績によって表彰されているほどである。
ハーバーグラム中将ですら、彼に対しては信頼し得る情報要員と信頼し、評価している愛国者
なにより、上流階級出身でオクスブリッジ卒の連合王国において明白な責務を自覚したエリート階級というクリーンな背景。


その彼が、名指しでダブルだと告げられる?

馬鹿げた話だった。

本来ならば、笑い飛ばすべき事態だった。

だが、ならば、部内でも機密度の高いピレネーという符牒を何故帝国は知っているのだろうか?
ラッセル課長にしても、コードネームではなく官姓名で把握されているという事はどういうことか。
これが、部内の人間から言われるならばともかく、本来知っている筈のない帝国から名ざしで指名されるとは?

ちりちりと、脳裏を焦燥感が焦がし始める。

違和感。

そう、笑い飛ばすには深刻すぎる疑念だった。
何故か、連合王国情報部の機密作戦が度々、『偶然』失敗していたのだ。
帝国に機密が漏えいしているとするならば、それは相当に高位の関係者を疑うべきだった。

そして、対帝国防諜は成果を上げているはずにもかかわらず特定に失敗したのは何故だろうか?
ウルトラ情報というジョンおじさんにすら教えられていない情報源すらあるにもかかわらず、機密漏洩源は特定できていない。
ならば、理論上は帝国が第三国経由で情報を入手しているという事にも一定の合理性はあるだろう。

そして、帝国が、対連邦情報収集へ力を注いでいることは別段不可思議でも何でもないに違いない。

此処まで、考えた時ジョンおじさんは一定の可能性を認めざるを得なかった。
職務上、対連邦課のラッセル課長は連邦方面情報関係者に嫌でも接する機会がある。
疑われずに、連合王国軍情報部が知りえた機密を漏洩することは理論上可能だった。

そう、あくまでも可能という事に過ぎないだろう。

しかしながら、その可能性一つをとっても、ジョンおじさんの背筋を凍りつかせるには十分すぎた。

「それと、合州国のオークリッジ。あそこの研究機関は随分と楽しそうでありますな。多国籍で連邦の人間も研究に従事しているとか。」

駄目押しとばかりに、ウーガ大佐はもう一つ、それとなく爆弾を投下。
聞き覚えのない地名だが、先のインパクトを勘案しジョンおじさんは脳裏にオークリッジの名前を刻みこむ。
帰還次第、即刻両者ともに洗わなければならなかった。

「私は、一介のメッセンジャーなので真偽は知らされておりません。ですが、洗う事はお勧めします。」

事の重さ。
それを理解し得ていないのか、それとも関心を抱かないようにしているのかは定かではない。
だが、勧告してくるウーガ大佐は少なくとも其れが真実だと信じているとジョンおじさんには断言できた。
このような交渉ともよべないような接触を行ってくる相手が突きつけてきた情報なのだ。

彼らに、少しでも長期的な展望を見る能力があれば偽る可能性は極めて乏しい。

そして、手土産が事実であるならば、彼らが提供してくるであろう他の案件についてもジョンおじさんは交渉する価値を見出し得た。
『キム』と彼らが読んでいるダブルの件が事実ならば、それを手土産にできるという事実がモノをいう。
これほどの情報を、単なる予備接触の段階で提供し得るほどに手札があると言う事になるのだ。

他の価値ある諸々は相当の代物になるだろう。

「いかがでしょうか。信じていただきたいのです。我々は、帝国を守りたい。そのために、貴方がたと協力する用意がある。」

「結構なことですな。して?」

「簡単な話でありましょう。帝国は敗れる。ならば、如何にして国家を護持するかが究極の問題であります。」

全ては、『キム』を洗ってから。
事実ならば今すぐにでも、急報するべき重大案件だ。

防諜責任者が、よりにもよってダブルなどという話は笑えないどころではない。

そして同時に、帝国側の意図はそれとなく理解できた。
彼らは、本気でこちらと戦後の模索を行う意思があると見るべきだろう。
もちろん過大な要求をこちらに突きつけていると見えるが、信じがたい事に対価を贖い得る可能性すら見えていた。

「さて、他に何か伺っておくべきことはありますかな?」

「それだけです。我々は、それ以上は当初の約定通りの事以外に何も望みません。」

だが、事実であるならば、帝国の要求は飲む事を検討すべきだった。
対連邦情報漏洩が事実であれば、どの程度諜報部が蝕まれているかを洗うには彼らの情報を使うべきだろう。
それ以上に、バルバロッサ司令部が提供し得るであろう情報や戦後における協力は有益の可能性が高かった。

「ですが、こちらの要望と手土産は次回までに吟味を願いたい。」

「善処させていただきましょう。」




さて、抗い得ない濁流を乗り越えるべく足掻ける人々はまだ幸福だというべきだろう。
少なくとも、彼らは事態を何とか乗り越えるべく希望を抱くことができる。
だが、濁流に押し流されようとしている人々はわずかな時間を稼ぐためだけに足掻くしかないのだ。
それによって、稼いだ時間が、何事かを為してくれると信じる以外に何も許されない絶望的な状況。

そして、それこそが崩壊した東部防衛線を辛うじて修繕し再編しようと努めるゼートゥーア大将以下の将兵が直面した押し留めようのない悪夢だった。
この時、潜水艦のベッドは寝心地が悪い上に、オブラートに包んでも空気が淀んでいることを歎いていた程度のデグレチャフは幸運である。

なにしろ、崩壊した防衛線へ雪崩を打って押し寄せてくる連邦軍によって、東部各地は蹂躙の憂き目に直面。

根こそぎ動員された予備部隊、少年団による民兵部隊、そして民間から女性を徴発しての防衛戦闘。
都市の区画で、人の壁によって、わずかに時間を稼ぐための救いようのない遅滞戦闘。
しばしの時間を彼らが、その人命と財産によって稼ぎだしたとしても、それは大勢を覆すには至らない。

もはや、状況は覆しようがない地点は遥か彼方に。

かき集められた予備兵力は、魔導師は、投入と同時にその悉くが溶かされる。

本当にごくわずかな、東部帰りの古参兵らが戦線においてその勇名を轟かせようとも、個々の技量では支えようもない劣勢。
そして、一気呵成に帝都を直源せんとして、帝都への進撃路を確保すべく攻勢を開始する連邦軍
帝国軍サラマンダー戦闘団残存部隊を中心とするレルゲン戦闘団が急造防衛線によって最後の遅滞戦闘に努めるも、数的劣勢は挽回しようもない。

生き残りの定足割れ魔導大隊が、壊滅寸前まで暴れることで、複数の旅団を屠り、機甲大隊を押し返したとしても。
東部で洗礼を受けた機甲部隊が、歩兵部隊が、地形を活用し、徹底的に遅滞戦闘に努めても。
彼我の損耗比率が、この状況にあって伝説的とまでいえる1:14を叩きだしたにもかかわらず、絶対数は無情だった。

レルゲン戦闘団が稼いだなけなしのわずかな時間。
許されたのは、たったそれだけの時間的猶予。
そのわずかな時間に常軌を逸した戦力化の努力が払われ、帝都を防衛すべく最後の足掻きが行われる。

こうして。

列強として世界に覇を唱えた帝国は、その帝都における戦いを迎える事となる。
…かくして、最後の3週間が幕を開ける。

⚔️ あとがき


珍しく、デグさんはお休み。
次回、決戦、帝都攻防戦。
戦争を終えるため、合州国連合王国・自由共和国・連邦・協商連合・イルドア王国(亡命中)らの友情と仲間への信頼による正義の勝利にご期待ください。

リアルが末期戦状態で、山積みのタスクをなんとかでき次第、更新する予定です。


いろいろ修正。
追い詰められておりますが、作者は諦めが良いのか悪いのか、足掻きます。

誤字ZAPしました。