⚔️ 第九六話 カルロ・ゼン 2017.01.29 16:27
親愛なる、我が連合王国の、そして同盟国の皆さん。
我々の労苦と、困難。
それが、今日終わったことを私は今宵皆さんにお伝えすることができるならばどれほど私は幸せだろう。
実際、それができるならば私は長きにわたる任務を幸せに終えることができる。
そして、有権者の皆さんが私の事をもう沢山であり引退すべきであると考えておられるのならば、私は潔くそうするつもりである。
しかし、残念ながら、誰も予想だにできなかった長きにわたる戦いに皆さんと挑んだ初日と同様に警告しなければならない。
すなわち、依然として我々には為さなければならないことがたくさん残っているという事である。
つまり、惰性の轍、目的の混乱、偉大なことへの怯えから来る恐怖などといった要素に陥らずにさらなる犠牲を払わねばならないということである。
それは精神と、肉体の、一層の努力を大義のために必要とすることになるものである。
警戒と機敏の心構えをいささかも弱めることなく、即応できるように心がけねばならない。
無論、休日の歓喜は人間の精神にとって不可欠ではあるが、それは活力につなげるものである必要がある。
私が、皆さんにこう申し上げるのには理由がある。
大陸について、我々はまだ次のようなことを確認しなければならない。
すなわち、我々が参戦した際の直際かつ名誉ある目的が、我々の勝利の後の数カ月において放置されたり無視されたりしないこと。
同時に、『自由』『民主主義』『解放』という言葉が、真の意味から歪められないこと。
法と正義の支配を実現し、かつ全体主義国家や警察国家からの解放。
そして、我々は我々自身のためには何物も求めない。
それでも、だからこそわれわれは我々の戦った目的が、言葉ではなく、平和会議の席上で承認されることを見届けなければならない。
とりわけ戦後の秩序が、実行力を持ち正義と道義に基づく安定をもたらすことを確認する必要がある。
世界の新しい形が、勝者のための盾と化し、弱者にとっての紛い物とならないことを保証する義務がある。
勝者こそが、彼らの振るう巨大な力の高貴性ゆえに、それに値する存在とならなければならない。
同時に、これまで連合王国自治領が暗黒の時代に我々を支えてくれた事に、また支え続けてくれていることを忘れてはならない。
その紐帯でもって、我々はこの長く苦しい時代を、共に安全のために戦った。
だからこそ、みなさなんの信頼と寛容に値するためには、私は依然としてこう叫ばなければならない。
全課題が成就され、全世界が安全で清澄となるまで、ひるむことなく、迷うことなく、屈することなく、全身するのだが、と。
だが、それでもみなさんに申し上げなければならない。
戦争は終わった、そう、戦争は終わったのだ、と!
マールバラ公爵による帝国降伏当日の声明-『先の大戦とは』より
焼け野原になった帝都。
呆然と、放心して座り込んでいた老人が辺りを見渡し、やがてトボトボとどこかへと消えていく。
列強随一の栄華を誇った町並みは、悉くが瓦礫と化し、その瓦礫すらも帝都攻防戦のさなか砲弾で粉砕された。
辛うじて、帝都の栄華を物語るのは放射線状に構築された道路網の残骸のみ。
そして、半壊の建物を接収した各国軍の姿は帝都が掌握されていることを否応なく帝国に付き付ける。
そんな中で、奇跡的に無事であった建物の中で連合王国・合州国両軍を代表したアイゼントルガー将軍は帝国軍の降伏を受理していた。
典礼を司る儀仗兵らは、何処からか手品でも使って、煤だらけの一室をまともな会議場にでっちあげることに成功したらしい。
見事な手際に感心しつつ、アイゼントルガーは謹厳な表情でその場に臨む。
だが、彼の内心は表情ほど割り切れていない。
帝都では、問題が山積していた。
既に、だ。
連邦軍との関係は、非常に危うい均衡状態にある。
特殊な事例としては親帝国と見なされたフランソワ人の処刑が自由共和国軍によって行われているらしい。
面倒なことに、連合王国と自由共和国の両軍がいざこざをという話も耳にした。
憲兵隊の仕事だとアイゼントルガーとしては思うのだが、政治が絡むだけに参謀らも扱いかねていると聞く。
此処しばらくは碌に休めていなかった。
各軍の首脳は、誰もが同じように苦労しているだろう。
それでも、この時ばかりはさすがにアイゼントルガー以下、列席する全ての軍人が一つの感慨を感じて臨んでいる。
戦争が、過去に類を見ない戦争が、ようやく終わるのだ、と。
そして、それは帝国が降伏文章を受理することで形となる。
帝国側の代表、ゼートゥーア将軍が震える手でサインした降伏文書。
毅然と、それこそ古い教本の軍人然とした表情を保っているが、彼の心はインクが物語っていた。
サインは酷く歪んでいて、ところどころにインクの滲みすらある。
滲んだインクは、泣いている彼の本心なのだろう。
だが、少なくともアイゼントルガーにしてみればこれでようやく終わったのだ、という安堵があった。
この戦争は、あまりにも長過ぎた。
そして、あまりにも多くの若者たちを、泣き悲しむ母親の元へ冷たい亡骸として送り返してしまった。
だが、だからこそアイゼントルガーはこれ以上の厄介事は避けたい。
はっきりと言えば、政治的な理由で、部下をまた戦地へ送るのは避けたいのだ。
「結構、では、連邦の署名を。」
むすっとした表情ながらも、連邦代表が降伏文章にサイン。
遅々として、この席につこうともしなかった彼らを引っ張り出すまでには胃が散々荒らされている。
部下のパルトンなど、これ幸いと帝都から連邦を追い出してしまえとまで叫ぶほど。
そればかりではなく、本国ではどうやら政争が繰り広げられているらしかった。
これもまた、前線で交渉しているアイゼントルガーにとっては気の重い話である。
なにしろ、朝令暮改とばかりに訓令が送られてくるのだ。
前線とはいえ、司令部にいれば嫌でも上が混乱していることは垣間見ることになる。
大統領が、突如として逝去なされたことは、合州国本国でも想像以上の混乱を産んでいるらしい。
対帝国・対連邦の国家戦略を含めた国家のかじ取り全般がやや混乱していると聞く。
無論、大本に変更はないのだろうが。
だが、やや手間取ってしまったのは事実だ。
唯一上手くいっているのは、以外なことに占領行政くらい。
幸いにして、占領行政は帝国側協力者との事前取り決め通り、驚くほどスムーズに進んでいた。
帝国側との協力関係もまた悩みの種と言えば、悩みの種。
なにしろ、敵側と公然とまではいかずとも、戦時中に取引したのだ。
当時こそ本国の方も、承認していたが副大統領は御存じだったのだろうか?
或いは、連邦だ。
彼らにしてみれば、合州国は連邦を使い潰して美味しいところを持っていったと考えているらしい。
なればこそ、彼らが色々とごねているという話はアイゼントルガーにとって良くない徴候である。
「アイゼントルガー閣下、では、ご確認いただけますかな?」
「ありがとう。では。」
しかし、少なくとも帝国軍の降伏手続きは完了し得た。
武装解除や、各軍事施設の制圧も順調に完遂。
その意味において、アイゼントルガーという一介の軍人が為すべきことは終わったと言える。
いや、軍事の領域が終わったと言うべきか。
後は、降伏した帝国をどのように処理するかという戦後処理の問題。
つまりは、政治の領域の問題となる。
軍人が口を出すべき問題ではないし、出して良いものでもないのだ。
それが、文民統制である。
故に、肩の荷を下ろした気分でアイゼントルガー元帥は一先ずの平和を言祝ぐ。
なんとか終戦のめどが付いたという報告を閣議にイーテン外相がもたらした時、マールバラ首相以外の閣僚は一様に安堵の表情を浮かべていた。
逆に言えば、首相閣下は面倒事が相変わらず存在しているという事を理解しているらしい。
どうやら、現場から面倒事がブーメランのように飛んでくることを理解されていたようだ。
「終戦は結構なことだが。では、占領政策は?実際のところ、碌に連邦と折衝もできていない。」
あんな共産主義者でも、使える限りは使い潰すしかあるまい。
かつて、連邦と対帝国で共闘することを決断した時と同様にマールバラ首相の顔は不本意だと物語っている。
筋金入りの保守主義者にして帝国主義者のマールバラ公爵家が末裔にしてみれば堪ったものではないのだろう。
イーテンは、そこはかとなく複雑な心情であるだろう上司を慮りつつ口をつぐむ。
「いっそのこと帝国を掌握して、併合でもしてみるかね?」
「まさか!それこそ、論外でしょう。大蔵大臣として、国庫には余剰が一銭たりともないことを明言させていただきます!」
「では、帝国に行政機関を我々が確立して、我々が面倒をみて後始末するかね?」
困ったことに、実のところ連合王国とて明確な戦後のビジョンがあった訳ではない。
そこに問題があるのだ、とイーテンは数ヶ月前から悩まされてきた。
帝国の敗色が濃厚となりつつあった時期においても、低地戦線のガーデン・マーケット作戦の失敗などで連合王国内部においては明確な占領政策というものは後回し。
しかも、列強間の総力戦の後始末となるとさすがに前代未聞だ。
イーテンとて、列強の一角を占める連合王国外相として戦争・紛争の後始末は並み以上の経験と見識がある。
だが、同じ列強である帝国、それも植民地での戦争ではなく本国間のそれ。
その後始末ともなると、さすがに頭を悩ませるほかなかった。
なにしろ、マールバラ首相や大蔵大臣が愚痴っているように併合は無理だ。
そんな金は国庫に残っていないどころか、そもそもレンドリース用の返済資金すら大幅な赤を記録しているのである。
実質的に破綻寸前の国庫は、併合などという愚挙をやらかせば国庫そのものが消滅しかねない。
故に、誰もが嫌々認めたがらない現実の方策しか連合王国にとりうる方策はないのだ。
「仕方のないことでしょうが、やり過ぎです。一番、正当性と実力のある連中を見繕うほかにはありません。」
「では、やはりバルバロッサと?私は、良い案かどうか理解しかねる。」
だからこそイーテン外相は少なくとも帝国軍のバルバロッサという連中が提案してきた『戦後計画』は飲める、と考えていた。
彼らの言い分は、明瞭だ。
帝国は、少なくとも合州国・連合王国の陣営に属したい。
だから、煮るなり焼くなり御随意に。
ただし、対連邦に関してのみは帝国の温存を図っていただきたい。
そのために、連合王国が負担すべき全ては帝国側の協力という形でかなり軽減される。
まさに、双方にとって利益が出るような提案以外の何物でもない。
「ホークウッド卿、率直に言って、バルバロッサの何が問題ですかな?」
「イーテン外相、お言葉ですが帝国の再軍備、台頭は危惧すべきでは?」
これに対し、一部の閣僚らは負担が軽減されると言う事実は認めても帝国の再台頭を危惧し躊躇する。
なにしろ、敗北したとはいえ他の列強全てを相手に回して奮戦以上に戦い抜いた帝国だ。
安全保障上、この脅威を無力化すべく介入する必要があり、帝国側との協力は武装解除を骨抜きにされかねないという事を彼らは危惧している。
そして彼らは知らないが、一部の危惧は正しい。
実際、バルバロッサ司令部はライヒの再建という目標を抱いているのだ。
だが、それらを暗に察した上でもマールバラ首相はバルバロッサの提案を飲むべきだと決断していた。
愛用の葉巻を燻らせつつ、首相はゆっくりと諭す口調で言葉を挟む。
「ホークウッド卿、気持ちはわからないでもないがね。歴史を学ぶべきだろう。少なくとも、連邦よりはマシだよ。」
「共産主義者への番犬になさるおつもりですか?」
「ある程度、しつける必要はあるでしょう。ですが私としては、有効だと思いますよ。」
実際のところ、一定程度の利害対立があるとはいえ帝国・合州国・連合王国は資本主義陣営として潜在的には纏まりえる。
対して、連邦は世界革命主義だ。
無論、協調出来るのであれば協調が望ましい。
しかしながら、すでに帝国が支配していた東部の協商連合は連邦が引き継いで『統治』しつつあるという報告も現地からは入っているのだ。
彼の国を信頼するというのはイーテンとしては現実的かと疑ってかからざるを得ない選択肢である。
「私も、イーテン君の意見に同意だ。ところで、連邦の政治情勢に関しては何か入ってきたかね?」
「どうやら、人の皮をかぶった獣が、人を喰らう獣に粛清されたようです。」
正式には、病気療養中とのことだが。
だが、さすがに連邦内部の苛烈な政争を知っている分析官らはそれが『引退』か『銃殺』かのどちらかが決まるまでの保留だと分析している。
イーテンとしても、連邦との折衝経験や訪問経験から其れが正しいであろうことは理解できた。
まったくばかげたことに、その連邦の掲げる共産主義に憧憬を抱いた間抜けどもが自分の部下にいた。過去形である事を、神と国王に感謝したい。
この第一報がバルバロッサ情報という形で飛びこんできた時の苦々しい感情。
だが、イーテンは気持ちを取りなおす。
今は少なくとも、各省庁は『清掃』済みなのだから。
「ほう、ロリヤはヨセフの腹心だと思っていたのだが。…予想される連邦対外政策への影響について後ほどレポートをくれたまえ。」
「わかりました、首相。」
「それで、戦後政策に関する植民地人の意見は?」
「混乱しています。案外、我々の提案をたたき台にするつもりかもしれません。」
連邦と異なり、合州国の混乱は人為的なものではなく天命だ。
大統領が病死し、後任者に引き継ぐまでの混乱は一時的なものだろう。
だが、それにしてもこの時期に大統領が交代するというだけでも混乱は深刻な影響を及ぼす。
故に、暗にだが先方はこちらにたたき台を求めているのではないか?
そのような感触を、在合州国大使館は伝えてきている。
そして、最近話した限りでは合州国の大使も同じようなことを示唆していた。
「難しいな。連中の気分は、気まぐれだ。」
「アイゼントルガー将軍と参謀本部は信頼できるでしょう。彼らは、円滑な戦後秩序のために帝国を復興させるつもりだ。」
何より、イーテンは少しばかり陸軍省との縁もあり合州国の軍人ら、特にアイゼントルガー将軍らとも折衝していた。
あの軍人らと話した限りにおいては、やはり彼らも円滑な戦後秩序のために一定程度は帝国を取りこむ必要性を認めている。
もちろん、彼らも領土慾は皆無だった。
故に、連合王国は対帝国政策について一定以上の支持を合州国内部に期待できるだろう。
「結構なことだ。では、一先ず草案を親愛なる植民地人に送ってやろうではないか。」
これで、終わりかね?
そう言わんばかりのマールバラ首相。
だが、イーテン外相は不本意ながら、望ましくない知らせを首相に伝える義務が一つだけ残っていた。
「首相、フランソワの意見はいかがされますか?奴ら、戦後における権利を高らかに要求してきておりますが。」
「ああ、あの鼻もちならない連中!」
実際、ド・ルーゴの鼻持ちならない顔を思い浮かべたのだろう。
苦り切った表情で吐き捨てる首相の顔には、ぬぐい難い嫌悪の表情すら浮かんでいる。
碌に仕事もせず、さんざん援助物資と支援を要求し、挙句こちらの働き具合が全く不十分極まりないと批判してくる同盟者。
オブラートに包まずに言えば、敗残者の分際で、連合王国とあたかも対等以上の偉大な国家として振舞う自由共和国。
しかも、あの高慢なフランソワ人どもときたら、大戦のきっかけを惹き起こしておきながらライン戦線崩壊後は全てをこちらに丸投げにして逃げ出している。
それが、戦後において連合王国と対等な立場で話し合おうと言うのだから閣議で閣僚らがおおよそ愉快とは言い難い感情を抱くのも無理はなかった。
まあ、イーテンとしては彼の国が歴史的に連合王国との微妙な関係に苦慮している事を知っている。
そして、その上でド・ルーゴ氏には少なくとも連合王国の下に付いた訳ではないことを共和国に示さねば傀儡と笑われる危険性がある事も理解している。
まあ、だからといってイーテンという連合王国の外相が好意的になるべき理由など皆無なのだが。
「一先ず、要求だけ聞いておけ。聞くだけだ。」
そうなるだろうな、という予感はしていたがまさにその通り。
肩をすくめ、そうなるだろうなと解っていたことを示しつつ、イーテンは頷いた。
「解りました。大使にでも聞かせておきましょう。」
無知というのは、恐ろしい。
情報が無い段階で、行動を起こせるのは勇者か愚者だけだ。
そして、勇者は行動を起こすや否や、局面を覆しうるだけの力がある。
ザイドリッツの如きに至っては、ほとんど本能によって大王ですら成し遂げ得ないであろうタイミングで突撃を行った。
よほどザイドリッツという名は幸運をもたらすのだろう。
先達にあやかって命名されたザイドリッツは、あのスカゲラークで満身創痍になりながらも生き延びている。
運と、実力。
悲しいかな、腐肉漁りのつもりで入りこんだ彼らにはそのどちらも欠けていた。
雇われの警備員程度は、圧倒できる火力と人数の強盗団。
地元では、そこそこ忌み嫌われる程度。
仲間らでつるんで、日々ぶらぶらしているだけの連中。
言い換えれば、小火器程度で武装したチンピラである。
「ここに例の、帝国軍の隠匿財産が?」
「間違いない。潜水艦で、運ばれた木箱に金塊が入っている筈だ。」
彼らが、それを耳にしたのは完全に偶然だった。
各国の情報部ならば、あまりの胡散臭さに眉をひそめるような情報でも彼らは疑う事を知らない。
知らないというよりは、自分にとって都合のよい現実しか興味が無いと言うべきか。
だが、奇跡的にせよ彼らはアタリを引いたのだ。
中途半端に現地に根を張っているがために、彼らは誤った形で其れを耳にしてしまったとも言える。
そして、それは悲劇だった。
なにしろ、彼らには生存に必要な知恵が無い。
加えて、野生種が持っているべき本能すらない。
つまりは、情報を検証すると言う概念、危険を察知する本能の欠如。
悲しいまで、彼らは種としてもっているべき能力を腐らせてしまっていた。
「単なる倉庫にしては、妙に警備が厳重だった訳か。」
「ふん、あんな連中、いないも同然だろう。」
故に、彼らは酷く無警戒だった。
薄暗い闇夜でケラケラと無駄口を叩けるのは、自分が何をしていないアホに限る。
塹壕では、夜間に発狂した兵士をスコップで『寝かしてやる』ことすらあるのだ。
なにしろ、音源をばら撒いた揚句に警戒が散漫となるのだから黙らせるために手段は選ばれない。
そんな状態の連中が、取引の時間が迫り即応体制で魔導師らが警戒しているところにノコノコ押し入ってくるのだ。
だから、そんなところに頭の足りないような集団がゲラゲラと笑っているのを見れば伏撃に備えている魔導師らは思わず首をかしげたくなるのも無理はない。
いや、ラインなり東部帰りの狙撃兵が見れば、あまりの光景に囮だと確信してしまうほどの間抜けさである。
そして、同じように人を人としてではなく人材として見るターニャも同じような思考法にどっぷり浸かっていた。
端的に纏めるならば、状況が理解できていなかったとも言える。
「ああ、諸君、そこまでにしてもらいたい。」
故に、一先ずせん滅ではなく情報収集を優先したターニャの判断はある意味で完全な的外れだった。
だが、少なくとも判断の過程においては可能な限り合理的かつリスクの最小化を図っていたことは間違いない。
仮にこのチンピラ連中が囮であり、攻撃を誘発するのが目的であるならば監視者がいるはず。
ならば、こちらが接触しようとすれば監視している連中も動くだろう。
そこを制圧すれば、厄介事を一つ片付けることができるだろうし、なによりも監視者に代価を支払わせることが可能。
このターニャの判断は、酷く現実的というよりは戦場的な思考だ。
其れゆえに、肝心の事実が全く間抜けな連中が迷い込んできただけだという事を理解しそびれている。
だが、本人としては取りあえず弾薬費が無駄になるのを嫌ったとはいえ人道上の配慮を行っているつもりでもあるのだから救われない。
「官姓名と、所属、それに任務を吐きたまえ。」
一応の誰何。
これで、曲がりなりにもどこかに帰属していれば拘束して捕虜ないし人質としての価値を認めるに吝かでもないのだ。
だからコミュニケーションを円滑に図るため、人的資本価値の皆無な連中にも価値を見出してにこやかにターニャは話しかける。
ターニャとしては、彼らという個人に価値を見いだせずとも、彼らという存在が意味を持つのではないかと考えればこそだ。
「非正規作戦中の行動かね?悪いことは言わない、沈黙した場合非正規扱いで捕虜としては見なさないが?」
一応、悪いようにはしないとまで安全を保障。
わざわざ高級軍人が、のこのこ出てきて正式に宣言したということの意味は大きい。
加えて、相手が無知であることを危惧したターニャは完全なる善意で補足説明までも行っていた。
陸戦協定の規定や、国際慣習法に無知であることを危惧し、本人としてはほとんど揺り籠から墓場までの手厚いフォローを入れているつもりである。
故に、非正規兵として拘束された場合捕虜として扱わない旨を正式に告知しつつターニャは翻意を促す。
だが、悲しい事に言語慣習の違いというのは容易には乗り越えられない。
そもそも、第一印象で人は外見が9割という平時の習慣をターニャも、その古参兵らも完全に失念している。
ターニャにしてみれば容姿端麗だろうとも使えない新任は、単なる無能である。
逆に少年兵だろうとも有能であれば、十分な戦力足りえると分析してのける精神構造だ。
そして古参兵らにしてみれば、眼の前に君臨している上官を外見で推察すると言う事の無意味さを骨身で理解している。
故に、少なくとも外見で言えば子供に過ぎないターニャが暗がりの中から出て行って警告するという行動が招く誤解を理解し得た軍人はいなかった。
彼らにしてみれば、発見することすら叶わない至近距離で、ネームドが投降勧告をすれば取りあえず警告としては十二分だろうと単純に考えている。
「ふん、ざまぁない。何様だ?じゃりが。」
だが、それは少なくとも暴力の世界とはいえ『平和』な暴力の世界で過ごしている連中には全く理解しがたい。
突然出てきた小娘に驚きこそすれ、一人きりでこんな薄暗い倉庫にでてくる小娘だと理解するや否やニヤニヤし始める始末。
まあ、子供に慾情する者はさすがに少ないのだろうが。
しかしながら、暴力で屈服させるなり、口封じに殺すなり。
或いは、身代金でも請求し得るに違いないと彼らは彼らのロジックで考える。
だから口々に彼らは脅しを口にした。
それは彼らにしてみれば、単なる軽い言葉。
だが、自分の価値がよもや自らが意識せずに吐いた言葉の重さ程度だと眼の前の存在に判断されるとは夢にも思っていなかったに違いない。
「いやはや、まさかとは思ったが。」
にこやかな交渉用の表情。
それを止めたターニャは完全に無駄なことをしてしまったという軽い自己嫌悪の気分で肩をすくめたかった。
うすうす、単なるチンピラ崩れどもが腐肉あさりにでも来たのだろうと考えては見たが。
しかし、まさかそれが現実だとは。
現実は小説よりも奇なりという格言を思い、てっきり囮なり自爆させられるための運搬人なりを警戒したのだが。
それらが完全に空振りに終わったのだ。
虚しくならないわけがなかった。
警報で飛びだしたことは、仕方がない。
だがこんなことならば、冷める前に特産の珈琲を味わってくるべきだったとすら歎きたくなる。
「無価値な連中か。時間を無駄にした。まったく、救い難い屑どもめ。珈琲が冷めてしまった。」
「なんだとぉ?」
「まったく物騒な国だ。会話も碌にできない上に、身の程知らずばかり。排除だ。排除。物には当てるな?二、三人生きてれば、文句は言わん。」
これ以上の会話は完全な時間の無駄と判断。
それでも、念には念を入れて『物理的対話手段』による『言語の障壁』を『迂回』するための『協力者』を二、三人は確保するように命令。
体に聞けば、守秘義務という概念の無い彼らは『唄って』くれるにちがいない。
もちろん平和的に行えるに越したことはないので、『喋らない』のならば『放して』やるのも吝かではないのだが。
「なぁっ!?」
次の瞬間には、ライフルによる単純な狙撃がきっちりと目標を排除。
術式を宝珠から出すまでもなく、本当に単なる非被防殻目標にすぎなかったなぁとターニャは時間の無駄をつくづく悔いる。
それでも、部下はきっちり三人だけ四肢を仕留めるに留めたので習慣で良くやったとハンドサイン。
だが、別段音を殺す必要が無いことに思い至り肩をすくめて部隊と苦笑い。
つくづく、戦場とは程遠いにも関わらず非文明的な世界というのは理解が難しいもの。
ターニャにしてみれば、加減の塩梅がいささか掴みかねている。
それは、ただ待つだけの環境がもたらした一種のゆとりだ。
そうして肩をすくめかけたとき、ようやく待ち人が現れる。
「やれやれ、アンクルサムには時間厳守をお願いしたいものですな?」
「遅刻したからと言って、ブラッディ・バスでお迎えとは恐れ入ります。」
修羅場慣れしているとはいえ、所詮は後方要員。
あまり気分のいいものを見ているとは言い難い表情の、ジョン・ドゥ課長。
まあ、まともな感性の人間ならば死体がごろごろしているところに出迎えられれば顔をしかめるくらいはする。
というか、それくらいは大げさというよりも控え目な反応だろう。
「ああ、失礼。お会いできて光栄です。ジョン・ドゥ課長。」
「こちらこそ。デグレチャフ閣下。」
一先ず、取引なのだからにこやかな業務用の笑顔で握手の手を差し出す。
人事とて、この程度の簡単なマナーならば良くやったもの。
手慣れたものと言い換えてもよいだろう。
その差し出された手を握り返すジョン・ドゥ課長はある意味で大変立派だった。
こんな死体がごろごろしている現場で、にこやかな笑顔と共に歓迎の意を表明されようとも仕事を忘れなかったのだ。
「さて、現物を見せていただけますかな。」