kiratei2001-09-28

2001年9月28日(金)


 あんなに暑い暑いと騒いでいたのに、けさがたは、起きて来て窓をあけたらすーっと入ってきた風に一瞬確かに「寒いな」と思いました。なんて短い夏、そして夏から秋、秋から冬の移り変わりなのでしょうか。ほんとにこうして毎日毎日日記を書いているとお天気だの、温度だの、花だの、そして毎日おきるいろいろなできごとにひどく敏感になってゆく気がします。たぶん、いまよりもずっとほかのものごとが刺激的でなかった上に、そうした「自分をつつむ周囲の世界」と自分とのあいだに、それをへだて、ミスリードするメディア情報というものはなかった平安時代などには、そうした季節のうつろい、周囲の自然、それによって企画されている折々のもよおしごと、などが、自分と世界とをもっとずっと直接につないでくれている実感のある唯一のものだったでしょう。いまになって突然「春はあけぼの、やうやう白くなりゆくやまぎは……」と(なりたる、でしたっけ)歌い上げた清少納言の気持ちが理解できたり、邦楽がきわめて繊細に四季を歌っていることに思いをはせたりします。長唄には「梅の栄」だの「都風流」だの、「秋色種(あきのいろくさ、と読みます)」だの、四季と切っても切り離せない曲がたくさんあります。「都風流」はこれはかなり新しい曲ですが(作詞が久保田万太郎だったと思う)江戸のままの「都の四季」をきわめて美しく叙情的に歌います。といっても、「これよりしてお馬返しや羽織富士」という歌い出しの1行からして、ひとことひとことに全部注釈が必要になってしまっているのですから――そしてこれが、江戸の人ではなくて、昭和の人が作曲したものなのですから、戦後の日本文化がいかに、おのれ自身の文化を切り離し、自分が持っていた、どのような文化にもまけない、いや世界最高とさえ云いうる素晴らしい文化をどんなにおろそかに、ないがしろに捨て去ってきたか、どんなに自分自身を文化の孤児にすることに熱心になってきたか、考えてみると慄然とします。ちなみにお馬返しは吉原の廓の入り口で、どんな偉い人でも下馬して馬を返さなくてはならないんですね。それで降りて歩き出すと腰に刀を差してますから、その刀で羽織の背中が、うしろにセンターベンツみたいにわかれてるわけですが、それが持ち上がって、そのわかれめが富士山のようにななめになる、それを「羽織富士」としゃれるのが吉原流の諧謔だったわけで、これがまず「吉原って何だ」ってところからはじまるようじゃあもう、とてもなかなか「邦楽のおもしろさ」にすすむまでにはいたらない。そしてこのままこの極端までしゃれた曲は「富士」にひっかけて「富士としきかば筑波嶺の……」と進んでゆくわけです。


 きのうおじいさんたちが元気な話をしましたが、あれはやっぱりあの世代の人たちは「自分の文化」のルーツをもってもいれば、いまだにそれにきちんとつながっているせいもあると思うんですよ。実は私がきのうの会に招かれたというか、そもそもその会の主人公の編集者さんと知り合ったのは、作家と編集者としてではなくて、「小唄仲間」としてです。乾杯の音頭をとった90歳の杉浦幸雄さんも、あと早稲田の演劇博物館のもと館長でいらして、今年なんと99歳になられる印南喬先生というすごく偉い先生がいらして、このかたも、ある「邦楽を楽しむ会」のお仲間としてお知り合いにならせていただきました。ふつうだったら、当時30歳になるならずの私が、そういう、自分の3倍ちかい世代のかたと楽しく一緒に何か音楽をするなんてことは考えられないと思うんですが……もっともこの次の土曜にききにゆくジミー・スコットっていう黒人のシンガーは、76歳なんですね。「魂のシンガー」っていうんですが――うん、スリーピー・ジョン・エスティスなんかも70すぎて初来日して、で憂歌団と共演しました。そのレコードもってましたけどね。そうやってすごい年長の人たちの「すごさ」にふれると、同時にその人たちの生きてきた「時代」というものが体感でき、それは「時の流れのなかに自分もまたいるのである」ということをたえず考えさせられる要素になります。それによって、私たちは「たてのつながり」を実感できる、といいましょうか。だから、そういうもので「大人はすごい。年寄りはもっとすごい」ってことを感じていられれば、おのずとそれへのあこがれができてその文化につながりたいという気持も出てくるし、そうすれば「おやじ狩り」なんてしたくても恐ろしくて出来なくなります。そもそもいまのおやじ狩りてのは結局、いまのおやじ、つまりはその、先代のすごみのあるお年寄りたちにつながれないで、みずからぷっつりと文化を切り捨てて文化の孤児になってしまった情けない何もないオッサンたちが自ら招き寄せたもんだと思うんですね。若者にはロックもあればパンクもある、最近の若者はけっこう、何もないところから自分だけの文化を持ち始めているが、オッサンたちが一番何の文化もない。そのことをなさけないとも思わずにきてしまった。いまの50代、60代っていっちゃ何ですが一番、面白い人すごい人の少ない世代ですね。90代のほうがはるかにすごい。体力的にもすごかったりする(笑)40代は私の年代ですが、これはまだこの先どうなるか……30代より下てのは、けっこう、面白いんですけどね、津軽三味線吉田兄弟だの、東儀秀樹さんだの、歌舞伎の若い人たちだの。いまを生きることに苦しんでいるから、けっこういろいろなところから「なんとかしなくちゃ」という、前の、オッサンたちが断絶させた文化につながろうという気持もあれば、新しいものを作りだそうという気持もある、っていう感じがするんですけども。団塊の人たちは、自分が何も知らないこと、恥ずかしいと思わない人が多いからイヤ。


 思わぬ話になりましたが、とどまるところを知らぬ神楽坂倶楽部のほうは、あっという間に51万アクセス突破、きょうあたり52にいっちゃうんでしょうか?もうこうなりゃ、なるようになるっきゃないですね。でも、それで50万ゲッターのたなみんさんから「せっかく50万という大キリ番なのに、ほかのと同じでちょっとつまんないな(笑)」というもっともな(笑)抗議を頂戴したので(笑)確かにこれ、もしもお誕生日ウィークの前後でなかったら、「50万だ、50万だ」ってすごい騒いでたでしょうから、特別に(笑)たなみんさんには50万記念に、サイン本のほかになにか賞品を考えましょうね(笑)何がとどくか、お楽しみにしてらして下さい。 51万は残念ながらウメちゃんのちゅうです。で、ほかのキリ番ゲッターの皆さんにもご質問なんですが、「10日待ってグインのほんとの最新刊(81巻「魔界の刻印」)のサイン本をゲットなさるのと、あさってくらいに発送されて80巻のサイン本をゲットなさるのと、どっちがいいですか」ってうかがっておきます。もうちょっと待ってると最新刊だから、それに統一しようかなと迷っておるのですが。お返事下されば――よくある本なら、特別の思い入れのある本指名されてもいいですよ。レアものはうちにもないのでだめですけど。


 というわけで、きょうはちょっぴり「いまは、もう秋〜〜」って感じです。いや、ちょっぴりじゃないな。それにしてもなんか今年は秋が早い……例年こんなもんでしたっけ。忘れてしまった。


         2001年9月28日(金)AM11:35