珊瑚海海戦


瑞鶴艦爆隊の攻撃を受け250キロ爆弾1発が艦橋後方、2番エレベーター前23ヒートの場所に命中し、また3発の至近弾によって燃料漏れが生じた。命中した爆弾は飛行甲板、第5爆撃隊の待機室、海兵隊居住区、倉庫の順に貫通し、飛行機用補用品倉庫の装甲甲板で炸裂した。


5月27日に真珠湾に到着した[1]。

ミッドウェー海戦



1942年5月17日に、修理に最低90日かかると報告されていたヨークタウンを帰港後の調査で早期戦線復帰が可能であれば最低限の修理を真珠湾で行い戦列復帰させることが決定、これに伴い修理に必要な物資が大至急でかき集められた。


ちなみにこの時集められた物資の中には酒保で使用する冷凍機や酒も含まれていた。27日に真珠湾に帰港すると、太平洋艦隊司令長官チェスター・W・ニミッツ大将が直接損傷状況検分を行い、応急措置を施せば戦列復帰は可能と判断、3日で修理を行うよう命令した。修理は24時間体勢の突貫工事で、作業効率を優先し民間人である修理工に兵隊を指揮監督させる方式で行われた。修理法は破損箇所に鋼板をツギハギで溶接、換気不十分で艦内温度が48.9℃の蒸し風呂状態といったいささか乱暴なものであったが、オアフ島の一部を停電にして海軍工廠に電力を優先に供給するよう調整するなど全面バックアップが取られ、2日後の29日11:00には穴は完全に塞ぎ終わりドックの外へ出す事が出来るまでに回復された。


同時に連戦続きで101日に渡って正規の補給無しで払底していた物資も大急ぎで補給された。ある砲術科の下士官は48時間ぶっ通しで爆弾搭載作業に当たったとの回想が残っている。

一番重要な艦載機については珊瑚海海戦で消耗した第5雷撃隊(VT-5)と第5偵察隊(VS-5)は下ろされ、
サラトガの飛行隊であった第3戦闘機隊(VF-3)、第3爆撃隊(VB-3)、第3雷撃隊(VT-3)が搭載された。
残る元々の搭載機のうち、第42戦闘機隊(VF-42)はVF-3に組み込まれ、
第5爆撃隊(VB-5)は第5偵察隊(VS-5)と改称された。

最終的に艦載機は

戦闘機: F4Fワイルドキャット 25機 隊長:ジョン・S・サッチ少佐
爆撃機 SBDドーントレス 37機 隊長:マックスウェル・レスリー少佐
雷撃機 TBDデバステーター 12機 隊長:ランス・マッセイ少佐

となった。この時戦闘機は従来のF4F-3から新たにF4F-4が搭載されたが、F4F-4を整備した事がある整備士も整備マニュアルもなく整備は難航を極め、出航後も突貫で整備された。またパイロットも照準器の調整が必要、機銃を2門追加した事による運動性低下に対する完熟飛行は無し、都合3空母のパイロットの寄せ集めで1つの部隊としての訓練も無しという状態であった。日本軍が損傷軽微の瑞鶴の修理を急ぎ、翔鶴の飛行隊と併せれば何とか一隻出せる状態だったにもかかわらず、飛行隊を別の母艦に移すのは連携に難があるという理由と、そこまでしなくても楽勝という驕りから実現しなかったのとは対照的である。