あたくし、ここに、『 TOKYO 』っていう、大きな字を、ど~~んと建てたいの
…… ふと …… 、
…… 下記 の 話 を 思い出す。
日本沈没 #20 『 沈みゆく 北海道 』 1974.02.16
1974.02.16 日本沈没 第20話 沈みゆく北海道
『 日本沈没 』は、74年テレビドラマ版の第二十話 「 沈みゆく北海道 」 ( 脚本:長坂秀佳 / 監督:金谷稔 ) が 好きだ。
福島が、熊本が、鹿児島が、京都が壊滅し、
函館が、渡島半島が海に沈み、
迫り来る崩壊の予感はあれど何を成すべきかわからない人々。
しかし大通り公園ではひとりで 『 日本 』 という 文字 の 雪像 をつくる男 *1 がいた。
「 避難命令が出ているのを知らないのか! 」と怒る主人公・小野寺 *2 の 言葉に、男は耳を貸さない。
「 俺はむかし二等兵で、殺したくもないひとを殺してきたよ、中国大陸でな。
お国のために願いますって言われてな。
おれの弟は神風で死んだ、おぃ若ぇの!、おめぇ特攻隊って知ってっか、まだ十七だよ。
オレの五人の兄貴と親父もみんな戦争で死んだ。
お国のためだって言われてな!。
そのニッポンが沈んでたまるかい!。
誰ぁれも雪まつりやらねぇってんなら、オレひとりでやってやらあ 」
「 オレぁ、ここになぁ、
どてぇ~~んと、建ててやるんだ。」
男は
「 ♫ えんやっと こらやっと
どっこいなっと こらやっと
はぁ~~
電信柱にゃ ツバメこ止まる、
停車場、 停車場にゃ汽車 止まる、
港 港にゃ船止まる
かわいい あの子にゃ目が留まる
止めて止まらぬ恋の道
よされ ソリャ ヨイヤナ~~ ♫ 」
と歌いながら雪を積む。
険しい顔になり何も言えなくなった小野寺は黙ってスコップを握り雪を積むのを手伝い始める。
その姿を見た男は 「 若ぇの 」 と 呟き、ニッと少し笑う。
小野寺 も 微笑む
( ここでCM。 痺れるぜ )
そしてついに雪景色の札幌市内は破壊される。
時計台が大通り公園が地割れと津波に呑み込まれてゆく光景で
高らかに鳴り響くのは …… 、
ビバルディ 『 四季 』 第一番 「 春 」 !。
なんたる選曲!
揺れる札幌駅や赤れんが庁舎などといった点描の中に
さりげなくワンカット「DISCOVER JAPAN 美しい日本と私」と観光用か何かの看板が挿入された直後、
誰もいない大通り公園に完成した 「 日本 」 という文字の雪像の前で形容し難い顔で座る男の姿が映る。
雪で真っ白な札幌のまちと大通り公園、大俯瞰の引きの画に小さく映る雪像と男はあっというまに黒い泥土に呑み込まれる。
男の最期の表情は映らない。
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映画に比べるとテレビ番組は予算が、だとかそういうことじゃないんだよ。
違うんだよ。
「 テレビ塔展望台から見た大通り公園 」 という絵葉書的な見慣れたアングルの景色、
それが崩壊してゆく特撮カット ……
…… 予算やスケジュールを考慮すると「この画、特撮でやるのは、めちゃめちゃ大変じゃないですか、やめませんか」という画だ。
それを撮っているんだ。
正直いうと現在の目どころか前年73年の映画版との比較でも「うーん……ちょっと映画と比べると」というカットもある。
でもそういうことじゃないんだ。
その ワンカット の クオリティ だとか、ヴィジュアル・エフェクツ への予算のかけ方だとか、そういうことじゃないのだ。
どれほど技術的に優れたヴィジュアル・エフェクツでも …… それを愛でるという楽しみ方はあるにせよ …… ドラマ上ではカットのひとつだ。
そこに至るまでに数多くのカットが積まれているんだ。
この第二十話「沈みゆく北海道」札幌市内中心部崩壊場面の編集は「カットを丹念に積んでゆく」というのはどういうことなのかが、その効果は果たしてなんなのかが、本当に本当によくわかる。
本稿は、「『日本沈没』テレビドラマ版(74〜75年)第二十話「沈みゆく北海道」|ryokikuzaki」ほぼ引用させていただきました。
♪エンヤット コラヤット
ドッコイナット コラヤット
ハア~
電信柱にゃ ツバメこ止まる
停車場 停車場にゃ汽車 止まる
港 港にゃ船止まる
かわいい あの子にゃ目が留まる
止めて止まらぬ恋の道
よされ ソリャ ヨイヤナ~