騙されてはいけないっ! 「 ねこまんま かつぶし編 (キングシリーズ) 」


ねこまんま かつぶし編 (キングシリーズ)

ねこまんま かつぶし編 (キングシリーズ)

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   旦那しゃま!、騙しゃれてはいけましぇん!。


   西村しのぶ画伯が描いているのは、
「下山手ドレス別館 出張編」という2ページだけでしゅ!。


作者は西村しのぶ画伯となっていて、共著でも、「他」とも書いてありましぇんが。



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物理数学の直観的方法―難解な数学的諸概念はどう簡略化できるか


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物理数学の直観的方法 出版裏話


以下は、科学朝日92年7月号に 「 無名の研究者が出した一発必中のベストセラー物語 」 というタイトルで掲載されていたものです。これは筆者が最初の本をどうやって出したかの手記なのですが、完全に八方塞がりの状況から理詰めの戦略を用いて劇的な逆転を果たしていったという、ちょっと珍しい内容となっています。


 実はこれは筆者にとっての戦略なるものの原点であり、机上の理論ではなくむしろ自身が生き延びるために厳しい実戦にそれらを用いてきたという特異性が、恐らく「無形化世界・・」の中にも何らかの形で反映されているのではないかと思います。

無名の研究者が出した一発必中のベストセラー物語

 私が世に出ることになった最初の著書 『 物理数学の直観的方法 』 は、あらゆる点で普通とはかけ離れた方法で出した本である。そのせいか一体どうしてあんなことが可能だったのかと質問を受けることが多い。それを語るのはもちろんこれが初めてのことだが、その実態はおそらく大方の聞き手が目を丸くするような代物ではないかと思う。


 それは、一人の若い無名の研究者が、この現代日本という社会で完全に行き場を失った状態からどうやって活路を開いていったのかという、リスクに満ちた物語の一部なのである。

落武者同然でいったん家に退却

 私が早稲田大学理工学部の大学院を中退したのは85年3月のことである。大学をなぜ去ったのかについて、いま詳しくは述べまい。ただ、私が余りにも大きな目標を描き、余りにも強固にそれに固執したため、居場所がなくなってしまったということに尽きる。しかし、それは単なる気紛れや思いつきではなく、本当に内側から切実に発したもので、我慢して無理やり押さえつけようとしたところ、ストレスで体を壊してしまうほどだった。 


 こうして本人にとってはどうしようもない状況に陥り、落武者同然の姿で家へ退却したわけだが、困惑したのは両親である。24才にもなった息子が仕事もせずに家に閉じこもろうというのだから、それも当然だろう。それで、ひとまず家において食事だけは出してやるが小遣いは打ち切る、と宣告された。


 私の側もそれが望みうる上限と思い、その枠内で算段を考えることにした。しかしこれはエリート候補生から乞食の予備軍に転落したようなもので、夢どころか生きていくことが大問題である。


 ただ食っていくことだけを考えるのでは意味がない。意地を張って反旗を翻したあげく、すぐに白旗を掲げ、命ごいの方策に知恵を絞るようなものである。それで、無茶な話だが、あくまでも最初の目標の縮小はせずに、再起のための戦略を立てることにした。その作業はまず自分の手持ちの戦力の分析から始めた。


 大学とは縁が切れる一方、資格やコネの類はない。マスコミで売り物になるような経歴や肩書もなし。貯金は数十万ほどある。時間は1〜2年なら使えるだろう。唯一のまともな武器は理系の専門知識と趣味でやった文系の知識だが、この窮地に対する武器としては力不足。これで全部となる。まあ現実問題、これでは失地回復など夢物語に近い。


 ではこの限られた戦力をどう使うか?ビジネスマン向けの通俗兵学書では、不利な状況に落ち込んだら、とにかく積極的な攻撃に出て事態を打開せよと書いてある。確かに不利な態勢のときにじっとしていればどんどん不利になっていってしまう。私の立場に照らしても、一日じっとしていれば時間と貯金をそれだけ食いつぶしてしまうことになる。


 ところが、実はこれは不利といっても彼我の力の差がさほど隔絶していない場合の話なのである。力が隔絶している場合、弱い側がかけた攻撃はたとえ成功でも相手にはかすり傷程度に過ぎない。一方、その戦闘で受ける自分の側の消耗は補充がきかず、相対的には自分にとって致命的な打撃となるのである。


 また決定的に不利なときに乾坤一擲の攻撃に出ると、本人に焦りがあるため判断が狂いやすい。実際そういう局面で積極攻撃に出て成功した例はまれである。逆に持久戦だとその期間中に生じた情勢変化を利用しての反撃は成功率がかなり高い。


 要するにこの場合防勢をとるのが正解と判断した。実のところ、この判断は決定的に重要だった。実際、こういう局面に立たされた才能ある若者の9割はここで判断を誤って攻撃に出て失敗しているといっても過言でないだろう。

消耗を避けて手持ち金を温存

 さて以上から基本戦略は次のように定まった。まず持ち金を10万だけ別にして、残りの数十万は手をつけずに温存する。そして消耗を最小限にしながらその10万でねばれるだけの期間持久態勢に入る。稼いだ時間は知識の基盤を強化し、実力をつけることに全面的にあてて力の極大化をはかる。そして持久力の限界にきた時点で、温存しておいた資金を全部一挙に集中投入し、ただ一度の攻撃にすべてを賭けるのである。


 そこで、まず時間と金は可能な限り知識に変えておくという方針を立て、バイトは負けの態勢に入ったことを示すシグナルとみなした。一方、本のための資金をけちるのは愚であるため、本代以外の出費は可能な限り抑えた。出費を抑える最良の方法とは結局外へ出ないことである。本の補給はだいたい月に2回というあたりが妥当のようだった。 その結果決まった生活パターンというのは、だいたい2週間に1度の割合で外へ空気を吸いに出るほかは、ほとんど部屋にこもって勉強する生活となった。しかし針路が定まってさえいれば、そんな日常でも閉塞感はないものである。


 1年半ほどが過ぎた。この時期、私の祖母が亡くなり、そのとき私に数十万円を残してくれた。一方、細々と使ってきた10万の資金が、このペースだと約8か月で底をつくことがわかった。そろそろ行動の準備に入るべきである。


 さてこれでどれを目標に選ぶか?このとき私は以前学んだ兵理の「明らかに見込みがないような窮地に陥ったならば、一見したところ最も不可能に見えるが論理的に考えれば必ずしも不可能でないものが、攻撃目標として最良である」という原則を思い出していた。それに従うと、新しいタイプの理系の参考書を強引に自費出版するというアイデアは条件によく適合するように思われた。


 この手の本は一生懸命書いても評価されにくいため、書き手がつかずに、ギャップや盲点が放置されることが多く、そこを狙えば肩書のなさという障害を突破できる可能性があるからだ。


 こんな出版はおよそ前例がなく、周囲も口をそろえて不可能だという意見だった。当然、引き受けてくれる出版社があるとも思えず、自費出版以外に手はない。 温存しておいた資金と、祖母の分を合わせると全額140万ほどになる。本1冊を自費出版する場合の相場は200万だと聞いたが、思い切って広告費を全額カットしてしまえばぎりぎり1回分は何とかなりそうだった。


 実際の出版は、わずかに理系の本も手がけている知り合いの出版社に依頼した。社長以下従業員3人という、通商産業研究社である。


 ちなみに普通の本の場合、まず年間に出る新刊の点数が3万数千点という驚くべき数字で、1週間たって1冊も売れなければ店頭からは姿を消すという。著者が無名で広告を1枚も出さないという条件だと、確率的にも時間的にも、ほんの針の先ほどの部分に正確に照準を合わせねばならない。理系の参考書だから条件は全然異なるとはいえ、肩書がないという条件がより大きく響くため、困難の程度はほぼ同じと推定される。

命中精度を優先し、中間レベルに照準

 こういう条件で一発必中を狙うにはどうすればよいか? むろん一般的な方法など存在しない。ただ次のことはいえる。


 一般的にものを書くときに、送り手の側が言いたいことを主張するのに熱中しすぎると、しばしば受け手の側が求めるものとの間にずれを生じて狙いを外してしまう。


 一方、言いたいことなどきれいに忘れて市場調査ばかりやると、確かに受け入れられはするが逆にインパクト力が大幅に低下する。これはいってみれば命中精度と威力の間の最適化問題である。


 このとき私の手元には第二章まで書き進んだ相対論の原稿があり、「物理数学」のほうはまだ構想の段階でとどまっていた。しかし、検討の結果、相対論のほうを二番手に繰り下げることにした。


 相対論の本は読者数も多いので威力は大きくできるものの、外す恐れが大きい。最初を外せばそれっきりなので、初回は思想や主張などをやや控えめにすることで命中精度を上げ、二番手で威力・インパクト力に期待するのが最適の解答である。


 そうはいっても具体的な最適化の作業は難しい。ここで命中精度向上のために最も有効だったことを一つ挙げよといわれたなら、それはこういう本が良いと考えついてからかなり長い冷却期間をおくことができたことだろう。追い詰められた状態でも冷静な判断が可能だったのはそのおかげで、最初の戦略の正しさがここで生きた。


 これを外してしまった場合、後の算段というものは何一つなかった。まず確実に5年のロスは出る。私にとってその5年は決定的だった。大体その期間に世間のさまざまな網にからめとられてしまうものであり、結局すべてを断念して白旗を掲げるほかないだろう。5年の遅れを取り戻す方法はないのである。 希望のすべてをこの1発に託すことを考えると、やはり確率の低さは途方もないものだった。先ほどの数字から考えた場合、どうみてもその一般的な値は1万分の1以下のオーダーで、狙いの許容誤差もその程度ということになる。 まして2年半も世の中から隔絶されてすべてが進行してきただけに、そこへの再浮上ということ自体が、多分に恐怖をはらんだことだった。だが、もはや引き返すことはできず、そのまま進んで正面で一発必中を決める以外に活路は残っていない。照準の正確さにすべてがかかっていた。このとき、例の10万は残り3000円のラインまで迫っていた。 87年10月、かくてバクチは決行された。送り出す作業を終えてしまえばもうできることは何もなく、狙ったとおり正確に走っていってくれることを祈るしかない。することがないまま焦燥とともに長く待つことを覚悟していた。


 だが、反応はほとんど即座に、しかも爆発的にきた。京大、東大を皮切りに、たて続けにベストセラーの上位につけて、わずか1か月で再版となり、一般書店で平積みにするところまで出始めた。


 これほどの戦果は一度たりとも予想しなかった。もう白旗などは捨ててしまってよいのだ。踊り上がって喜ぶのが一人というのが、ひどくもったいない気がした。

神田の大手書店で「ノルウェイの森」を抜く

 目にした光景をいまだに信じかねているというのに、戦果はひとりで拡大を続けた。一方、その反動でひどく叩かれることも覚悟していたのだが、それも幸い杞憂に終わった。当たりどころがよほどよかったらしく、本当に次から次へ誘爆を繰り返している、としか表現のしようがないという状態がしばらく続いた。


 それが頂点に達したのは半年ほどたったときだった。何と神田の大手書店で、当時ベストセラーだった村上春樹ノルウェイの森』を抜いて、こんな自費出版の数学の専門書が1位になるという全く前代未聞のことが起こったのである。しかし当時、これが広告を1枚も出さない自費出版であるということはたぶん誰も知らなかったと思う。


 これで窮状からの脱出という当面の目的は達成されたが、それがこれほどの逆転劇で終わるとは予想もしていなかったため、今度はもう一つの懸案であった、現代社会の網から逃れるための主導権の確保という問題が急速に前面に出てくることになった。本稿で述べられたことは実は今まで故意に語られずにきたのだが、その理由もこれにまつわる問題からである。


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