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第九八話 カルロ・ゼン 2012.09.02 16:01
戦争が終わった時、彼の任務は完遂されたはずだった。
目的を達成し得たと彼は、軍事的側面から確信しえた。
そして、今、現実がそれを嘲笑う。
現実が、存在感をもってそれを嘲笑う。
内出血でどす黒く変色した左手に気付きすらせずレルゲン少将はベルンの収容所にて何もない灰色の壁を呆然と眺めていた。
右手には、数日前から握りしめぐしゃぐしゃになった新聞記事。
許可されて手にしたその新聞には判決後、即日処刑された上官に関する記事が載っている。
『人道に対する罪』
『人類に対するヘイトクライム』
『血を啜る帝国軍人』
その何れもが、つい先日まで帝国軍を賛美していた国内の報道記事。
無論、報道管制や検閲があればこそのモノも無視するべきではないのだろう。
過去においては帝国軍、今においては占領軍の意向にそぐわない新聞が発行差し止めされることも考えれば、無理はないとも言える。
だが、それでも。
目を通した時、彼がうけた衝撃は計り知れない。
帝都で連合王国軍に投降した際、彼の心は疲労困憊と過酷な現実で摩耗していた。
辛うじて、情動を取り戻したのは上官が一身に咎を引き受けるという新聞記事を目にした時なのだ。
許されるのか?
閣下が、いったい、どのような思いでそこに立っているのかもしらない連中に。
ここまで掌を返して侮辱されねばならないのか?
名誉が汚され、忠誠が嗤われ、自己犠牲が顧みられないことがあってよい筈がなかった。
ライヒがために、我らがライヒがために。
其れがために、彼は、彼らは。
それを、嗤うというのか?
恥知らずどもが、閣下の名誉を嗤うのか?
名誉のなんたるか、それすらも知らない連中!
屑どもめ。
言葉にするのも、汚らわしい狗め。
ふざけるなと叫びたかった。
だが、あまりの激昂は言葉すら紡げないほど。
レルゲンは思わず抑えがたい衝動に身をゆだね収容所の壁に拳を叩きつけていた。
罵声を外へ吐き捨てようとした時、彼は初めて外の光景に関心を向けた。
そして、収容所の外に広がる光景は明晰な彼の頭脳を強制的に冷却する。
灰色の眼差しが捉えたのは、焼きつくされた町並みの残骸。
摩耗しきった感情の視野においては、防衛線にならないという程度の光景。
せいぜい進軍を妨害するために地雷を敷設しやすくなったかという程度の光景。
だが、それはライヒの光景でもある。
彼が、帝国が、為すべきだった事を為せなかった証。
自らの無能を、あますことなく雄弁に物語る証。
眼前の現実が圧倒的な存在感。
その無情なまでの現実によって、レルゲンの怒りはあとかたもなく叩き潰されることとなった。
人影がちらほらと収容所の前を通り過ぎていくが、その足取りは誰もが重い。
彼は、それを国民の食糧事情の悪化と栄養状態として知識で知っている。
個人としても、乏しくなる食事で実感してきた。
だが、彼はそれを『数値』でもって戦闘継続能力でしか見ようともしていなかったのだ。
あのデグレチャフが、忌み嫌っていた合理性の塊がそうしていたように。
それでいて、あの愛国者はこの光景を予期していた。
なればこそ、なればこそあの狂人は、事態を予期した上で回避するべく行動。
理解し、支援し得たゼートゥーア閣下の心情が慾理解できる。
何にもまして、何にもまして我らがライヒのために。
『ライヒに黄金の時代を。』
その言葉に込められた真意。
意味するもの。
ライヒを、祖国を!
閣下は、ライヒの未来を望まれていた。
だが、現実は無情極まりない。
祖国は焼き払われた。
人々は、住むべき暖かい家を失い冬を迎えようとしている。
燃やすべき燃料など、全て燃やしつくされてしまっているというのに。
うずくまったきり動かなくなってしまう者も珍しくもなくなった。
疲労しきった帝国の人々にとって、今年の冬はあまりにも過酷に過ぎるだろう。
北部では、暖房設備が無ければ冬を幾人こせることか。
まして、今は人々は飢えている。
そして、それは軍が為すべきことを為せなかったがゆえの光景。
野犬が何処からか、残飯をあさりにやってくるのを占領軍の憲兵が忌々し気に追い払う光景も見慣れたもの。
比喩の意味でも、現実でも、祖国は、ライヒは焼きつくされてしまったのだ。
護るべき祖国。
彼らが祖霊。
護るべき人々。
世界に冠たる我らがライヒ。
その全てが廃墟と化し荒れ果てた、我らがライヒ。
その防人たるべき軍人。
自分は、その防人であるべき軍人だった。
そしてより一層罪深いことに、兵士たちに対して責任を負う指揮官ですらあった。
その無能が、今のこの光景だとすれば。
許されざる敗北を。
壁に叩き付けた拳の痛みすら忘れ、レルゲン少将はうずくまる。
気が付いた時、彼は慟哭していた。
解ってはいた。
彼らは、帝国は敗北したのだ、と。
そして、この実感する。
自分は、帝国は敗れたのだ、と。
そして、数日彼は敗北を噛みしめて項垂れる。
レルゲンという人格は、決して弱くはない。
それでも彼が受けた衝撃は途方もなく強烈だったのだ。
だが、なればこそ。
彼は誓うしかない。
先立っていった先人に。
戦火に倒れた人々に。
誇るべき戦列を共にし、先だった人々に。
誓って、誓ってライヒを廃墟より立て直さんと。
『ライヒに黄金の時代を』
合州国本国へ『水道管』の移送。
その陣頭指揮のために乗り込んだカンパニーのジョン・ドゥ課長。
わざわざ、『友好国親善訪問』の名目で寄港させた第三艦隊に詰み込みを完了した時、彼は思わずため息を漏らす。
それは、本当に安堵の色が込められた偽りなき万感の思い。
物騒極まりない交渉相手を、取り込みつつ奪取された『水道管』を回収しろという無理難題。
神のごとき上から降り下りてきた難題によって、彼の胃は完全に荒れ果てている。
なにより厄介なのは、取り込むべき化物は未だに戦場に未練たらたららしいという事実だ。
既に吐くべきものなど吐きつくしたにも関わらず、耳にした時は胃液が口から洩れでそうになった。
機密費を提示する時に、一部で危惧されていた通りに非正規戦への思いを唐突に口にするウォードッグ。
全くもって救いが無い事に、本人はそれ以外に生き方を知らない愛国者ときている。
仮にゲリラ化すれば、本当に何処までも死ぬ最後の日まで戦い続ける制御不能な政治的爆弾と化すだろう。
しかも、この爆弾、解体しようにも解体できる人間がいないのだ。
いや、居るには居たのだが過去形である。
なにしろ、制御できる上官は既に疑いの余地なく死んでいる。
間違いなく制御し得ていたという上官はあの『ゼートゥーア』上級大将。
あの、『ゼートゥーア』だ。
なるほど、確かにあの恐るべきライヒへの忠臣にして卓越した軍人ならばこの化物も制御し得たのだろう。
だが、何の因果か、わざわざ大陸軍事裁判という茶番で以て安全装置を世論は盛大に粉砕していた。
…自爆も良いところだろう。
セーフティーが首を吊らさていたと耳にした時、思わず自分も首をくくるかと本気で思いかけたほどに絶望。
なにしろ、アレと取引しようにも、アレが何を欲するか皆目見当もつかない。
通常の人間ならば、一定程度の金銭なりなんなりで買収することは不可能ではないだろう。
よしんば、買収だけでは動かないとしても欲するところを自明にすれば交渉の余地はある。
誘拐犯ですら、交渉しようと言うのだ。
まして、軍人として交渉したいと言ってくる相手ならば交渉は可能。
そう考えることは、一般的には間違いではない。
一般的には。
さて、職務がらカンパニーではあまり一般的ではないケースも想定しなければならない。
当然のことながら、相応の経験を積んだ警察関係者から異常なケースを参考として耳にすることも頻繁にある。
嫌になるような、事例を散々耳にし人間の善意と悪意について吐き捨てるような見解を抱かざるを得ないほどに。
その自分達をして、今回の交渉相手は類似例を他に見ない。
キャリアからして稀なのだ。
いや、キャリアとして人生の過半を、軍事組織で軍人として過ごすのは良い。
まあ、将軍連中ならばある程度はそういった人間もいる。
だから、その程度ならばある程度は交渉のパターンも理解できるというもの。
将軍連中とて、将来の不安や、家族の心配、金銭以外の特権など色々な関心事項を持ちがちなのだから。
だが、今回の交渉相手はそもそも軍以外に何も知らない。
孤児院出身で、テディベアではなく、ライフルと演算宝珠で駆けまわっている子供。
それが、今次大戦の激戦区ほぼすべてに従軍。
士官学校や大学での評価は、極めて卓越した士官のソレ。
戦場においては、年齢が何かの冗談にしか思えないような戦果を淡々と積み上げている。
全ての分析において、分析官は愛国者、乃至病的な愛国者として分析してのけた。
経歴と実績を見れば、そもそも分析させる必要が無いくらいよく理解できる。
そんな軍人相手にだ、一度取引を反故に仕掛けたアホは救い難い。
事故は起こるべくして起こったのだろう。
実際、その支援要員として行動したのだから、今ならば理解できる。
だが、その支援に従事した時まさか此処にリンクしているとは夢にも思わなかった。
ともかく、馬鹿げた契約違反はすさまじく高くつく。
『水道管』を、あの厳重な防空網と警戒線が突破された挙句に奪取されたのだ。
先方が、交渉する意志を示したことが、奇跡に近かった。
そんな相手が、一体何を望むと言うのだろうか?
なればこそ、交渉において望みを探るべく訊ねた。
ポーカーフェイスを崩さなかったのは、ほぼ奇跡だろう。
「…必要であるならば、1億ドルまでの機密費が用意されております。」
額に上限は必要であれば取り払ってよいとまで言及されている交渉。
1億ドルにしても、当座用意できる額で、という意図に過ぎない。
空母や戦艦が楽々と調達できる金額にもかかわらず、安いくらいだと上は見なしている。
『これで、奴が大人しくなり平和になるならば、費用対効果は完璧だ。』と。
それでも、巨額も良いところの額を耳にしてアレは、感嘆するでもなく淡々と言ってのけたのだ。
「1億ドル?なるほど、それだけあれば十分に非正規戦を行えるでしょうな。」
狂っているとは思っていた。
まともでないとは、どこかまともでないとは死体が散乱したままの初会合で嫌というほど理解できていた。
アレ以来、肉の匂いを嗅ぐだけで胃が痛くなる。
この仕事が長いと、ベジタリアンに転向する人間が多いというのがよくわかる。
アレが、アレが、思いとどまったのはほとんど何かの奇跡に違いない。
煙草と酒の量が赴任以来妙に増えたと思うが、そうでもしなければやっておれん。
神々にでも感謝の念を捧げるべきだろうか?
いや、アレを産みおとしたのだから呪うべきだろうか?
とまれ、
「つまるところ、私はライヒのために最善を尽くしたい。『ライヒに黄金の時代を』それが、私の望みなのですから。」
と言われた時は本気で投げ出したかった。
闘争を継続するゆるぎない意志が確認できたのだから、たまったものではない。
現場にこんな危険物を押し付けてきた上に対し、密かな殺意すら抱くに留まったのはむしろ抑制的なほどだ。
だから、アレが、デグレチャフが闘争を一時的にせよ棚上げすると口にした時飛び付いた。
まだ迷いがあるような口ぶりだったので、迷われてはたまらないとばかりに。
そして、リスクがある事は承知でも一切を考慮した上で躊躇なく行動した。
カバーの経歴は、ごくごく普通の帝国からの移民を用意。
当然ながら、准将にまで至った経歴は一切が白紙となる。
にもかかわらず、その事実には平然としてのけたアレは、やはり地位ではなく『戦争』に執着しているのだろう。
まあ、苦労するのは自分ではない。
だから、きちんと士官学校に入学できるよう手配してのけた。
上院議員や大統領からの推薦という形式も、きちんと整えた。
一番厄介だった、本人の容貌は、幸いにも魔導師というデグレチャフの前職が解決。
金髪の髪は、術式で強制的に色を変えることによって銀髪に。
毛根から弄ったので、元に戻ることはないという術式専門家の保証済み。
加えて、本人の自己申告によれば帝国離脱後、随分と身長が伸びたとのこと。
正直に言えば、年齢不相応に小さな身長で栄養失調の典型例だ。
それでも、辛うじてだが士官学校に誤魔化して入れることはできるだろう。
飛び級という制度を活用すれば、さらに何とかなる。
それに、成長期なのだから容貌が変わることも期待できた。
つまり、身元が士官学校から出た後ばれる可能性も少ない。
おまけに、話す言語は英語に帝国訛りが入っているとはいえ、綺麗な連合王国系だ。
ウィスコンシナ州当たりの出身と言えば、十二分に通じるだろう。
後は、適当に孤児院に預けられるまでの経緯と、カバー用の両親。
経歴上の諸々を作成すればよかった。
無論、それらとて決して容易な仕事ではない。
だが、これほどまでに胃が痛くなるような苦痛に比べれば痛痒すら感じないソレだ。
一刻も早く、誰かに押し付けるためにジョン・ドゥ課長は全力で働いた。
それこそ、カバーがはがれて自分のところにブーメランが戻ってこないように懸命に。
そして、遂に彼は解放される。
にこやかに笑うデグレチャフを本国に送り、『水道管』の管理も移行。
やってのけたのだ。
後は、上院議員なり政府高官なりお偉方がのたうち回れば済む話。
しばらくは、長い休暇を取ろう。
労働は、当分考えたくもない。
世間で、疲れ果てた男たちが一つの裁判を呪っていた時。
モスコーにおいては、別の小さな裁判が行われ、その結果として拭いがたい安堵の念をみたした男たちが祝杯をあげていた。
いや、或いはその事実を耳にした全ての連邦人民が言祝ぐに違いない。
それはヨセフに不信感を抱かれたロリヤの粛清が確定し、さんざんわめきたてる彼を銃殺刑に処したことへの祝杯だ。
無論、党にとって、書記長ヨセフにとって不都合なのだから表向きにされることは皆無。
それでも、長期療養入りという発表以前に、ロリヤの息がかかっていた内務人民委員らは悉く拘束されている。
運が良ければ、海外へ逃げることもできるのだろうが、共産党は人材発掘に事の他熱心であるという実績がある。
一般の誤解とは異なり、共産党は広く人材発掘に努めているのだ。
一例としては、トルトルツキー氏をメキシカーナで発掘することに成功している。
極論ではあるが、連邦政府の対応は実に人材に対して貪欲であると言えるだろう。
だから、何も問題はない。
そう、テクノクラートらや高級党員は素直に喜べた。
忌むべきロリヤが粛清されたことを。
蓋をされてこそいれども、彼が何をしているかを知らない高級党員など居ないのだ。
「同志書記長の健康に!」
故に、彼らは素直に乾杯を叫びウォッカを流し込む。
同時に、密かに恐れるがために本心を覆い隠して乾杯を叫ぶ。
彼らは、未だに恐れているのだ。
いや、本質的に理解していると言い換えてもよい。
なにしろ、連邦において粛清というのは酷く身近なモノなのだ。
だが、どちらにしてもどこか浮ついた雰囲気がモスコーに流れたのは間違いない。
そして、それはモスコーを戦後交渉のために訪問したイーテン連合王国外相らの一行も目の当たりにするところとなった。
「やはり、戦争が終わったからでしょうか?」
「それはそうかもしれないが。しかし、今の時期というのは妙ではないのかね?」
当たり前に、人々が笑いながら酔いしれる光景。
それが連邦のモスコーでどれほど異常だろうか?
それを理解している連合王国の外交使節団は何事かと思わず首をかしげざるを得ない。
ここが連邦で、自分達の一動作に至るまで監視されていなければ駆けだしていって訊ねたことだろう。
それほどまでに、車窓から見られる光景は明るいものだった。
「いや、何とも言い難いな。何か、恩赦でもあったのでは?」
「祝祭日ではありませんし、何か報道もあったとは記憶しておりません。」
実際、外交交渉に従事する立場の人間にしてみれば軽い話ではないのだ。
報道されているニュースを見落としているわけでもなく、かつ何か特別な日でもない。
そんな時に、浮ついている国民世論を見落とすようでは外交官としてはあまり優秀ではないのだろう。
「合州国大使館に照会してみたまえ。」
「解りました、外相。」
とはいえ、同じ疑念は他国の外交官も抱いているに違いなかった。
そこで、イーテンは友邦に何がしかの徴候を捉えていないか照会するように依頼。
気になっているのは、イーテンも同じなのだ。
自身でも、どことなく人々が浮ついていることには気が付いているし注意も払ってみた。
印象的だったのは、外交当局にまで影響が出ていることだろう。
実際にいつもの交渉相手であるモルトフ外相ですら、どこか人間的だった。
驚くべきことに、対応もどこかにこやかで肩の荷が下りたと言うところまで見受けられる始末。
それでも、戦争の終結という事実ならば十二分に説明できるだけに判断が難しかった。
イーテンには、理解できていない。
彼自身、粛清を司っていたロリヤ自身が粛清された可能性があると言う事までは耳にしていても理解が及ばなかったのだ。
それは立憲君主制の民主主義国家において育った貴族であるイーテンには理解が及ばない世界の話。
いったいどれほど憎悪を一身に買い、かつ恐れられていたことかは連邦人にしか理解できようもないのだ。
彼にとっては、あまりにもそれは異常な世界の異常な論理。
連合王国の常識的なパラダイムにおいては、理解し解釈しようもない世界の論理なのだ。
そして、イーテンにとってその真相究明は最優先事項にはなりえなかった。
なにしろ、イーテン外相にとっていま重要なのは、連邦高官の身柄ではない。
連合王国にとって頭の痛い協商連合地域の独立と統治に関する連邦との協議。
そのためにモスコー入りしているのだ。
だが協商連合に民主的な政府を復興させる術と、その後の国家運営に至るプロセスで未だに連邦と連合王国・合州国は合意に至れていない。
同時に、既に帝国の占領政策に関してつばぜり合いが始まりつつあるのだから頭が痛かった。
もちろん、これほどの規模の戦争のあと始末なのだからイーテン自身容易に進むとは期待していない。
もちろん、肩の荷を自覚こそすれども退く訳にもいかなかった。
それでも、マールバラ首相が覚悟しているようにまた次の戦争のために備えられるのかという事にはさすがに苦々しい思いを抱く。
二度と、このような大戦を避けるために尽力しなければ。
イーテン外相にとっては、それこそが亡くなった全ての人々にできる最善なのだ。
だが。
同時に、鋭敏な外交官としてのイーデンはその思いを醒めた思いで見つめる自分を知っている。
それが、如何に望み薄な願望であるかを十二分に知悉した自分が苦笑いを浮かべながら語りかけてくるのだ。
「連邦が、信じられるのか?と。」
其れに対する自分の答えは、古典的な外交官のソレだ。
信じられようが、信じられまいが、交渉しなければそもそも始まらないのだ、と。
チェスのルールで、ある列を使ってはならないと定めてしまえばチェスはできない。
故に、そこにおいて如何なる選択肢も排除するべきではないのだ、と。
だから、イーテン外相は懸命に望みを繋ぐために折衝に力を入れる。
悲しいかな、その努力は報われない。
それは、外交史においては初期の失敗と記録される定めにあるのだ。
歴史において、イーテン外相の努力は失敗した外交政策と見なされることになる。
しかし、イーテン外相がその結果を見るのは今しばし後のことと。
本人とて、希望が無いことくらいは理解していたに違いない努力。
それでも彼は、義務を忠実に果たすべく最善を尽くす。
だからこそ後世において彼の経験は、初期の対連邦政策に関する一つの一里塚として記憶された。
対連邦外交に携わる事になる全ての外交官が抱く共通の悩み。
信頼できない交渉相手という問題。
それでも、彼らは交渉する。
交渉しなければ、ゲームは始められないのだから。