公国


『公国』 海軍史


もともと、『公国』ではなく『王国』であったが、
王朝が崩壊し、そのときに沿岸部に秩序を保っていた公領が、
代王として、
そのため、一般に大陸共通語で「大公国」と表記されるが、「大・公国」とするのは誤りであり、
「大公・国」である。


もともと、内海を海賊と当時の領主が手を結んだ、
海上輸送護衛思想が強いのはその影響であるといわれる。


計画中だった、

大型戦闘艦船の保有が、大陸条約*1により制限されたため、
就役状態にあった14インチ砲艦3隻を除いて、
このため、建造中であった船体は条約の制限を受けない航空母艦へと換装された。
このとき建造された航空母艦は建造時は、
連装8インチ砲を艦橋前部に二基、煙突後部に二基、計四基装備している。


軽巡洋艦駆逐艦航空母艦護衛空母
西部大戦時は、船団護衛として
拠点であった攻略し、


公国の空母計7隻が投入されたこの作戦であるが、
このときの上陸作戦の支援任務での一定海域を一定期間その支配下におくという任務の
必要性から公国でも戦艦の必要性が見直され、
三連装長砲身16インチ砲3基を搭載したの建造と、
同4基を搭載するが計画され、
また非公開情報ながら、18インチ砲を搭載する計画艦の計画が行われたという。



航空母艦における艦橋と煙突の配置は、
そのため、実験艦的性質の強い級()では、
艦橋を左舷中央に配置している。
この計画においても、艦橋を艦首寄りに置くか、艦尾寄りに置くかが白熱した議論され、
その試験として妥協的に中央に置かれたという逸話がある。
また、煙突を船体の平衡を保つために艦橋とは反対の右舷に持つ案もあったが、
航空からの反対によりただでさえ邪魔なのだから、どちらか片舷にしてくれ」と
この艦の運用実績から、右利き単発機でのプロペラの回転方向、艦橋の配置が決定されたという。
また、この右舷艦橋艦には左利きパイロット


のちに、この時代に建造された航空母艦は38隻であり、

大公の後宮の38隻寵姫



共和執政府に

この10年後に大公の戦術を研究しみずからの新戦略とした軍事的天才が
名目上とはいえ、公妹が指揮を執る別働軍が絶妙なタイミングで西方に出現し

公妹はxx会戦においても、高熱を発した(インフルエンザと思われる)大公に急遽代わり、
指揮を執り、打ち破っている。
このときの公妹の経験から兵站能力が大幅に増強された*2


海蠍級航空母艦はこのときの陸上会戦で投入された部隊の名称から命名されている。

*1:いわゆる大陸の休日

*2:正確には、民間への大掛かりな委託が行われた。