息がつまるほど嬉しい

 

野獣死すべし ( 1980 年 )

シナリオ 『 野獣死すべし 

この時を待っていた。



息がつまるほど嬉しい。



SCENE 0021

» コンサート会場

開演前。
ほぼ満席の客席で、パンフレットを読んでいる華田令子。
クセのない美貌にほどよい知性をしのばせる女。
隣りの席が空いている。
令子、さりげなく辺りを、見回す。



と ―― 、通路に伊達が現われる。

令子  『 ・・・・・・ 』

何かを期待して、顔を伏せる。
通路の伊達、チケットを見て、自分の席を確かめる。
唯ひとつの空席の隣りに令子。

伊達  『  ・・・・・・ 』

伊達、歩み寄り、坐る。
令子、初めて気づいたかの如く、会釈する。伊達も会釈した。
開演のチャイムが鳴り、暗くなる。
指揮者が登場する。拍手。
演奏開始。深遠なクラシックの世界。
聴き入る伊達、令子。伊達の指が、膝の上で無意識に躍っている。
見る、令子。

SCENE 0022

» 同・ロビー

休憩時間。
客席から出て来た伊達、公演予告ポスターに見入る。隣に立つ令子。
令子、言葉をかけようかどうしようか迷っている。
無表情にポスターを見ている伊達。

令子  『 あの、・・・・・・よくお会いしますわね 』
伊達  『 ・・・・・・狭くなったんじゃないですか、東京が 』
令子  『 ( 微笑 ) ピアノ、なさるんですか 』
伊達  『 ・・・・・・? 』

令子、微笑して、指をうつ仕種。

伊達 『 ・・・・・・いえ 』
令子 『 タイプうってらっしゃるんでしょ。英文 』
伊達 『 ・・・・・・ ( 頷く ) 』
令子 『 私も以前打ってましたから。今は秘書をしてますけど 』
伊達 『 ・・・・・・そうですか 』

素気ない。

令子  『 最初におみかけしたのは5月でしたかしら、確か、パレンボイムのパリ管の時 』
伊達  『 ・・・・・・かもしれませんね 』
令子 『 あの時は、ーラーの第五がよかったわ 』
伊達 『 マーラーの第五なら、レコードだけどカラヤンのがよかった 』
令子 『 ( 嬉しく ) 私も聴きました。よかったわ 』
伊達 『 フィナーレのフーガが特に良かったでしょ 』
令子 『 ええ 』
伊達 『 ひと晩に3回も聴き直したんですよ。
      雨が降ってましてね。
      いいレコードに会う日は、いつも雨が降っている 』

開演の予告チャイムが流れる、客席へ戻る人々。

令子  『 いつも、おひとりなんですね 』
伊達  『 静かですからね、ひとりの方が 』

ロビーは2人だけになった。

伊達 『 じゃ 』

と、去りかける。

令子  『  あの、2部はご覧になりませんの  』

伊達  『  ・・・・・・ 何ていうんですか、
     演奏会に来るっていうのは演奏が終ったあとの静寂、
     あの瞬間を味わうために来るんじゃないですか。
     どんな美しい音も、沈黙には結局勝てない、
     どんなに眩しい光でも、一瞬の闇には勝てないようにね 』

令子  『  今日は演奏が終った途端に拍手する人がかなりいますものね  』

伊達  『  そういう方たちとはつきあえない。・・・・・・あなたは別ですが 』

ホッとして微笑する、令子。
伊達、客席へのドアを開けてやる。
吸いこまれる令子。
伊達、ひっそりと出口へ歩いてゆく。
見送る、令子。

Scene 036

» レコード店

クラシックレコードを選んでいる伊達。
入口脇で、柏木がさりげなく見張っている。
伊達、タイプを打つ時の指のクセで、次々にジャケットをめくっている。
その指の脇で、細いしなやかな指が同じように躍る。

? と見上げる、伊達。

令子がいる。ニッコリ微笑した。


令子  『 コンサート以外でお会いできるとは思いませんでしたわ 』
伊達  『 毎日がコンサートみたいなものですよ 』
令子  『 無粋な観客が多すぎますけど 』

伊達、フッと笑った。
壁の鏡で柏木をとらえて・・・・・・。とっくに気づいているのだ。

伊達  『 会社、この近くですか 』
令子  『 いえ、日本橋です 』
伊達  『 ・・・・・・ 』
令子  『 外資系の会社でUSワックスっていうんですけど、
      社長がこのレコード聴きたいっていうものですから』

と、購入したレコード(クラシック)を見せる。

伊達  『 社長と趣味があうなんて素晴らしいじゃないですか 』
令子  『 でも60すぎのおじいちゃんですから 』
伊達  『 ・・・・・・ゴッド 』
令子  『 あなたは? 』

伊達、壁の鏡で柏木をとらえて、

伊達  『・・・・・・それがねェ、なかなか見当たらないんですよ、葬送行進曲 』

令子 『 まァ 』と笑う。

伊達、ベートーヴェンのレコードを1枚取り出す。

令子 『  雨が降るといいですね、今夜 』
伊達『  ・・・・・・( 苦笑 ) 』

視聴室のランプが、『 空室 』に変わった。

伊達 『 じゃ 』

と視聴室に向かう。

令子 『 あの、今度の日比谷のコンサートいらっしゃいますか 』
伊達 『 ・・・・・・ 多分 』

令子、嬉しく微笑する。
出て行く令子を、胡散臭く見送る柏木。
振り向いて、?となる。
視聴室の入口に立った伊達が、真正面から見すえている。
柏木、仕方なく視聴室へ向かう。

SCENE 052

» 日比谷公会堂 ・表 ( 夜 )

雨が降っている。
終演後の客が出てきて、戸惑っている。
その中に、伊達、令子。
伊達、黙礼してコートの襟を立てて出て行く。
令子、慌ててバッグから折り畳み傘を出し、追う。
追いつき、伊達に傘をさしのべる。

令子 『 あの・・・・・・地下鉄まで 』

黙って歩く、2人。
横断歩道が赤信号。立停まる、2人。

令子 『 ・・・・・・ここ2・3日、変な人に尾けられてるみたい 』

―― 信号待ちの人混みの中に、柏木がいる。

伊達、気づいてはいるが、無表情。

令子 『 興信所の探偵かしら 』
伊達 『 ・・・・・・ 』
令子 『 別につきあってる人もいないのに 』

伊達、不意に令子の傘をとり、片手で令子の肩を抱く。

令子 『 ・・・・・・! 』


この時を待っていた。
 息がつまるほど嬉しい。


信号が青で、2人、寄り添って歩き出す。
渡りきったところで、伊達がタクシーを停める。
令子を先に乗せ、伊達も乗り込む。
尾けてきた柏木が、後続のタクシーに乗り込む。


  
 

Scene 053

» 走るタクシー・車内

後部座席で寄り添う、伊達と令子。

伊達、ルームミラーで追ってくるタクシーを見ている。

令子、バッグから1枚の演奏会チケットを差出す。

令子 『 これ、ウチの社長が行けなくなって、2枚もらったんです。よかったら 』

伊達、会釈して無雑作にしまいこむ。

令子、ある期待に顔が上気してくる。

伊達 『 ( 運転手に ) そこの角で 』

四ツ角のアパートの前に停まる。

伊達、運転手に万札をつかませる。

伊達 『 じゃ、ここで。おやすみ 』

サッサと出て行き、アパートに向かう。

令子 『 ・・・・・・( 呆気に ) 』