最後まで匙を投げない

怒鳴り声が聞こえる。
「 そのままほおっておけば、そのまま上手く行ったのに!。
  余計な事をしやがって!。
  そんなことの見究めも付かないのか?。」


どうやら、何か大きなビジネスを逃してしまったようである。
しかも、『 何もしなければ 』 商談成立したのに、余計な事をしたやからがいたようである。


さて、 σ(^_^) の 敬称 の ひとつ に、『 最後まで匙を投げない 』 というのがある。
もちろん、表の意味は文字通りなのであるが、裏の意味は、 「 最初から拾おうともしない 」 であるが。


この σ(-_-) の姿勢には賛否両論なのであるが、
関わらなければ σ(-_-) の影響による変化……とくに悪化……はないので、
その責任においても無関係でいられるのである。


その代わり、関わったら σ(-_-) の事による影響に関しては、
功績に関しても功罪に対してもきちんと責任を取らねばならないのである。


ときどき、「 やるな!」と叫ばれていても、
「 いいと思って 」だの 「 折角だから 」 だの勝手に正当化してやってくれて、
悪化させた挙句、その責任も取らずに、今度は放置する御仁がいるから
迷惑なもので …… 。


何もしなくても上手く行くことを、どうせならこれ幸いと御自分の手柄にしたかったのかもしれないが、
手順前後したら、迎えるはずだった結果も変わってしまうのである。


例えば、代価を払ってから持ち出そうとすれば 『 購入 』 であるが、
持ち出してから代価を払おうとしても、それは持ち出した時点で 『 窃盗 』 『 万引 』 であり、
捕まったときの定番文句の 「 代価 は 払いますから 」 といっても、犯罪は消えないのである。


  「 『 ”やる” なら出来ろ 』
     『 ” 出来ない ” ならやるな 』
        『 他人の足を引っ張るな! 』」 である。