古今亭志ん生 (5代目)
σ(^_^)が大好きな落語家。
σ(^_^)が一番好きな逸話は、
ある日、志ん生は酔っ払ったまま高座に現れそのまま寝てしまった。
客は怒るどころか
「いいから寝かしてやろうじゃねえか。」
「酔っ払った志ん生なんざ滅多に見られるもんじゃねえ。」
と言って、寝たままの志ん生を楽しそうに眺めていた。
であるが、
以下のように逸話には欠かない。
戦争末期、物資不足で満足に酒が飲めなくなったとの理由で三遊亭圓生と共に慰問の為、物資豊富と言われていた満州に渡る。理由については、後年自ら語った物である為、実態としては第三者からの依頼による物と思われる。満州にて終戦を迎えたものの、混乱状態の満州から帰国の目処が付かず、国内では「志ん生は満州で死んだらしい」と噂が流れていた。
実際本人も今後を悲観して、支援者より「強い酒なので一気に飲んだら死んでしまう」と注意されたウオッカ一箱を飲み干し、数日間意識不明になったことがあった。その後意識を回復し、「死なないのなら少しずつ飲めばよかった」と言ったと落語を地でいく逸話が残っている。
6代目圓生は芸の差を、
「あの人とは道場の試合では勝てますが、野天の試合じ勝てやせん。」
と剣道に例えて脱帽した。
関東大震災のときに、酒が地面にこぼれるといけないと、真っ先に酒屋へかけこみ、酒を買おうとしたという。
また、既に東京が空襲にあっている頃、漫談師大辻司郎(初代)に「ビールを飲ましてあげるからいらっしゃい」と招かれて数寄屋橋に出かけ、しこたま呑んだあと、お土産にビールを詰めた大きな土瓶を貰い帰宅中に空襲が始まり「どうせ死ぬならビールを残してはもったいない」と全て飲み干し、酔っ払ってそのまま寝入ってしまった。あくる朝、奇跡的に無傷のまま目覚めて帰宅。家では「志ん生は空襲で死んだらしい」とあきらめられていたと言う・・・・・。
TBS の専属時代に他局に出演したが、それを指摘されて「何かい、専属ってのは他に出ちゃいけないのかい?」と訊ね、TBS の方も「志ん生だからしょうがない」といって諦めたというエピソードもある。
串かつ で 大盛銀飯
ホントは、いわゆる 串かつ *1 を食べに行ったハズなのですが、
何故か関東版の串かつになってしまいました。
「串かつ定食」 の御飯大盛で 680円。
美味しゅうございました (-人-)。
ちなみに、皿に盛られたときは、もう串は抜かれていました。
「関西風串かつ」と「関東風串かつ」の違いは、
まず 具、そして衣のパン粉の細かさ、
付け合せのキャベツ、
そしてソースの種類か?。
それとも、まったく別な料理と考えた方がいいのか? *2 。
ぢつは、σ(^_^) は、早急に近日中にこのとんかつ屋へ行かねばならない必要があったのです。
元を辿れば数週間前 *3 に遡ります。
そのとき、その とんかつ屋でロースかつ定食を食べたσ(^_^) は
1万円札で支払おうとしました。
そしたら、ちょっと料金袋を調べた主将さんがいいました。
「 今、御釣りが無いから、次 来たときでいいよ 」
と。
金額を確認*4して
*1:「串カツ」?、関東では「串あげ」?。
*2:串カツ(くしかつ)は、小ぶりに切った肉や魚介類、野菜を串に刺して衣に通し、パン粉をまぶして揚げた料理。主に関西方面での呼び名である。
大阪市浪速区の新世界が発祥の地とされ、 それを深めの容器に入った薄いウスターソースにドブ漬けして食べるスタイルを起こりとしている。新世界では立ち食いの店があり、ソースの入った器を隣どうしの客が共有する。 衛生面の観点から「ソース2度浸けお断り」という張り紙がどの店にも張ってあるのも特徴。 生のキャベツが添えられているスタイルも多く、箸休めのように食べる。どうしてもソースを2度以上つけたい場合は、ソースをキャベツですくってつけることも許されている。
最近では、色々な創作串カツをお好みやコースのスタイルで供する高級化した店も流行している。そこではソースだけでなくタルタルソースや練りうに等を付けて出す。
関東ではこの料理のことを串揚げと呼び、串カツは豚肉を3〜4cm角に切ったものと、玉葱もしくは長葱を切ったものを交互に串に刺し、トンカツの要領でパン粉をまぶして揚げる。基本的に野菜や魚介類など肉以外のものを単独で串で揚げたものは串カツとは呼ばずに「〜フライ」と通常は呼ぶ。
*3:まるで初産のときのように日付が合わんぞ!。
*4:「ロースかつ定食」は950円と壁に掲げてあるのですが、
い・つ・も・の・よ・う・に・σ(^_^) はその御飯大盛を頼んでいて、
そしてこれまでは御飯の大盛代はサービスだったのです。
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Mixiへの更新反映停止中
ちょっと未来のことを考えすぎて、
また Mixi への更新の反映が停止しているようです。
Mixi世界の時間軸が追いつくまでご容赦ください。