ずっと前から …… 、好き だった …… 。

 

 最近、とんかつ屋の閉店の報を聞くことが多くなったとは思わないだろうか。


 昨年2016年の9月には秋葉原の「とんかつ冨貴」、蒲田の「鈴文」が、
一昨年は川崎「とんかつ都」、渋谷「蓬莱亭」、
もう数年前には上野とんかつ御三家の一角であった「双葉」や池袋「寿々屋」、
八王子はめじろ台「とんかつ赤尾」も店を閉めた。


 思いついた店を列挙したが、すぐに思い出せるだけでもこれだけあるのだから、実際にはもっと多いはずだ。この閉店が続く状況は2010年前後、ちょうど大正時代から続く浅草の名店「登運勝 㐂多八(喜多八)」が閉店したあたりからだろう、という実感がある。


 しかし同時に、今までのとんかつ屋のイメージとは一線を画すような新しい形で、新規に開店した店も多く見る。たとえば大手のグルメサイトでとんかつのランキングを見てみると、一位は高田馬場の「成蔵」だ。ほかにもランキング上位には、神楽坂「あげづき」、浅草橋「丸山吉平」、武蔵小山「たいよう」など、ここ10年の間にオープンした店が多く挙げられている。


高田馬場「成蔵」の霜降高原豚ロースかつ定食。おいしい。行った日は2時間待ちの行列でした。ごちそうさまでした。 ©
  つまり、とんかつ界の新旧交代が今まさに行われている真っ最中というわけだ。それにしても昔ながらのとんかつ屋は、なぜ今この時代に消え行くのだろうか。この疑問に答えるべく、「とんかつ」がたどってきた道のりを見てみよう。



3分でわかる「日本とんかつ史」
 そもそも江戸時代、日本人には豚肉を食べる習慣がなかったのはご存知だろう。明治の文明開化とともにやってきた西洋人、西洋料理のために食肉が輸入され、コートレットという料理がなまってカツレツになった、というのも有名な話だ。


 この時期の創業の店といえば、明治38年(1905年)創業の上野とんかつ御三家の最古参「ぽん多本家」だ。この店はあくまで洋食屋であり、メニューには「とんかつ」ではなく「カツレツ」とあるし、タンシチューやポークソテーなどの料理も提供している。カツレツは真っ白の衣は美しく、肉もジューシーで肉そのものの味が力強く感じられる。店の入口の扉は重厚で、入るのには少し勇気がいるかもしれないが、これも伝統の重みを感じさせるアトラクションのひとつだ。



 さて、東京あるいは日本にとっての食文化の転換点として、明治維新と並んで最大級のものが大正12年(1923年)の関東大震災だ。これによって東京の屋台文化は壊滅し、新しい店が増えるに伴って新しい文化もひろまった。第一次とんかつブームが起きたのもこの時だ。


 上野とんかつ御三家のうちヒレカツ専門店として知られる「蓬莱屋」は大正3年(1914年)、上野松坂屋の脇で屋台として創業、昭和3年に先述の場所にほど近い現在の場所に店舗を構えることになった。まさに上に記したとおり、屋台で創業、震災後に店舗を構えるという流れの典型だ。


 ヒレカツ創始者であるとされるこの店は、ガリッとした少し固めの衣から、ヒレの柔らかさと旨味が感じられるものだ。白木のカウンターで食べるのもよいけれど、二階の昔ながらの座敷も雰囲気がすばらしい。


 そして敗戦、高度経済成長がやってくる。第二次とんかつブームが巻き起こったのもここだ。最初に挙げた池袋の「寿々屋」の創業は昭和31年(1956年)、ちょうどこの時期に当たる。とんかつが全国に広まりきったのもまさにこの時期で、大衆文化の中にもとんかつが登場するのをよく見る。


 たとえば映画なら、とんかつ好きとして知られた小津安二郎の『お茶漬けの味』(昭和27)や『秋日和』(昭和35)、ほかにも川島雄三『喜劇とんかつ一代』(昭和38)などがある。




街のとんかつ屋さんはこれからも残っていくか


 さて、たとえば1960年にとんかつ屋を出したとしよう。これから伸びてゆく外食産業、馴染みはあるけれど専門色のつよいとんかつという料理に賭けようという店主は、意欲に溢れた20代半ばの若者だ。そんな彼がさまざまな苦難を乗り越えながらも街のとんかつ屋をやってきて45年、年齢も70に近く体力的にも限界が来ている。息子・娘もとうに独り立ちし、店を継ぐものもない。そろそろ店を閉めるときかな、という年がまさに2005年ごろということになる。


 つまり高度経済成長およびその直後くらいの外食産業の黎明期~成長期、および商店街という文化の最盛期に開店した街のとんかつ屋さんが、加齢に伴う体力的な事情により店を閉めざるをえなくなるのが2000年から2020年くらいの間ではないか、というのが筆者の予想だ。


 最初に挙げたここ数年に閉店した店の中には、もちろんその時期に開店した店もあれば、そうでない店もある。浅草の「㐂多八」も創業は大正時代なのだから関係ない話ではある。しかし今の時代が小さな町の食堂、とんかつ屋さんが消えていく時代であるのは間違いなく、それは時の流れだ、というほかないのだろう。


 しかしそれと入れ替わる形で出てきたとんかつ界のニューウェーブたち、彼らの出現はとんかつの未来でもある。寿司にも回転寿司や伝統的でない新しい寿司屋があるように、さまざまなとんかつ屋があってこそ、とんかつのこれからが開けるのだ。